[go: nahoru, domu]

コンテンツにスキップ

ジアード・トレムカニ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。150.38.127.17 (会話) による 2014年7月1日 (火) 09:43個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (外部リンク)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ジアード
名前
本名 アーメド・ジアード・トレムサーニ
ラテン文字 Hamed Ziad Tlemçani
アラビア語 زياد التلمساني
基本情報
国籍 チュニジアの旗 チュニジア
生年月日 (1963-05-10) 1963年5月10日(61歳)
出身地 チュニジアの旗 チュニス
身長 186cm
体重 80kg
選手情報
在籍チーム 引退
ポジション FW
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1984-1990
1990-1994
1995-1997
1997-1999
チュニジアの旗 エスペランス
ポルトガルの旗 ヴィトーリア
日本の旗 ヴィッセル神戸
チュニジアの旗 エスペランス
? 0(?)
119 (45)
? 0(?)
? 0(?)
代表歴
1990-1998 チュニジアの旗 チュニジア 20 0(4)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

トレムカニ・アーメド・ジアードアラビア語: زياد التلمساني‎, ラテン語: Tlemçani Ahmed Ziad, 1963年5月10日 - )は、チュニジアチュニス出身の元同国代表の元サッカー選手トレムカニと呼ばれることが多いが、日本での登録名はジアード

経歴

1984年にエスペランス・スポルティーブ・ドゥ・チュニスでキャリアを始めると、6年間にリーグ戦3回 (1985, 1988, 1989)とカップ戦2回 (1986, 1989)優勝した。1990年にスーペル・リーガヴィトーリア・ギマランイスへ移籍。ここでは5年過ごし、119試合45ゴールを記録した。

1995年に旧JFLヴィッセル神戸に入団。長身のエースストライカーとして活躍すると、翌1996年の旧JFL得点王となり、クラブの目標であったJリーグ昇格に大きく貢献した。昇格後の1997年も神戸でプレイしていたが、翌年開催される1998 FIFAワールドカップのメンバー入りを目指し、母国チュニジアの古巣エスペランスに移籍した。

国内に復帰すると、1年目の1997-98シーズンは、チュニジア・リーグ優勝と得点王のタイトル獲得し、さらにアフリカンカップウィナーズカップでも優勝した。翌1999年はカップ戦優勝をし、同年に引退した。

引退後は、エスペランス・スポルティーブ・ドゥ・チュニスのサッカー部門責任者を務めたり[1]、"Bitaka"という会社を設立している[2][3]

2011年4月9日、東日本大震災に際し、自身が阪神・淡路大震災直後の日本が復興していくのを目の当たりにし、今回も必ず復興するとエールを送った。また、母国チュニジアで起こったジャスミン革命から、境遇は違えど共に国家再建を果たしていくことを願った[4]

代表

1989年にチュニジア代表デビューをする。母国チュニジアで開催されたアフリカネイションズカップ1994に出場、1次リーグのマリ代表戦, ザイール代表戦と両方に出場するも1分1敗で最下位になり、早期敗退した。ブルキナファソで開催されたアフリカネイションズカップ1998では準々決勝まで進出。その間の全4試合に出場し、コンゴ民主共和国代表戦, トーゴ代表戦で、それぞれ1ゴールずつ決めた。

プライベート

父のアブデルマジード・トレムサーニフランス語版チュニジア代表でプレーし、1959年・1960年と2シーズン連続でチュニジア・リーグ得点王に輝いている[5][6]

所属クラブ

関連項目

個人タイトル

脚注

  1. ^ Nouveaux entraîneurs pour Zamalek et l'Espérance
  2. ^ Sports et affaires: Zied Tlemçani, ouvre le capital de sa société «BITAKA»
  3. ^ Tunisie : Zied Tlemçani voit plus grand
  4. ^ 〈生きていくあなたへ〉必ず復興と確信 元ヴィッセル神戸選手 ジアード・トレムサニさん
  5. ^ Tunisia - List of Topscorers
  6. ^ “J’ai été souvent victime de mon franc-parler”

外部リンク