バレーボール中華人民共和国女子代表
国または地域 |
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協会 | 中国バレーボール協会 |
監督 | 陳忠和 |
FIVBランキング | 6位(2007年11月16日版) |
オリンピック | |
出場回数 | 6回 |
初出場 | ロサンゼルス 1984 |
最高成績 |
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世界選手権 | |
出場回数 | 11回 |
初出場 | 1956 世界選手権 |
最高成績 |
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アジア選手権 | |
最高成績 |
1995、1997、1999、2001、2003、2005) |
バレーボール中華人民共和国女子代表は、バレーボールの国際大会で編成される中華人民共和国の女子バレーボールナショナルチームである。
歴史
バレーボール中国女子代表の黄金時代は1980年代と言える。エースアタッカー・郎平を中心に国際大会で多くの結果を残し、特に1981年から1986年にかけては3大大会で5連覇を達成した。その後1990年代は惜敗続きであったものの2004年のアテネオリンピックでは久しぶりに金メダルを獲得した。
2005年に入り諸外国が次々と代表の世代交代をしていく中で中国代表はさほどの変化を見せなかった。それはもともと北京五輪の金メダルを目標として形成された若い代表だった為である。
2006年になると17歳のレフトでパワースパイカーの王一梅と10代ながら196㎝の身長を誇る徐雲麗が代表に加わった。2006ワールドグランプリでは決勝に進んだものの5位に終わった。2006世界選手権では1次ラウンドでロシア、ドイツに敗れ3位で通過することとなり、2次ラウンドでは2日目にブラジルと対戦した。2セット取ってから3セット取られて逆転負けをした。中国国内からは陥落した女子バレー中国代表に批判の声があがった。その後もオランダに敗れるなどの波乱があったが、順位決定の決勝ラウンドではキューバと日本を倒し5位で大会を終えた。2003年に世界ランキング1位になってから初めてその座も明け渡すこととなった。年末のアジア競技大会では決勝で日本に逆転勝ちし3大会連続6度目の金メダルを獲得した。メダルは9大会連続で獲得中である。
2007年はキャプテンでセッターの馮坤が膝の手術で代表を離れると、新キャプテンには周蘇紅が就任。中国国際で優勝、モントルーバレーマスターズ優勝、エリツィン杯優勝と、主力がいないながらも好成績のスタートとなった。しかし、北京オリンピックのホスト国であるためにワールドカップ2007に出場できず、FIVBランキングは2位から6位に下がってしまった。
過去の成績
オリンピックの成績
- 1964年 - 不参加
- 1968年 - 不参加
- 1972年 - 不参加
- 1976年 - 不参加
- 1980年 - 不参加
- 1984年 - 金メダル
- 1988年 - 銅メダル
- 1992年 - 7位
- 1996年 - 銀メダル
- 2000年 - 5位
- 2004年 - 金メダル
世界選手権の成績
- 1952年 - 不参加
- 1956年 - 6位
- 1960年 - 不参加
- 1962年 - 9位
- 1967年 - 不参加
- 1970年 - 不参加
- 1974年 - 14位
- 1978年 - 6位
- 1982年 - 金メダル
- 1986年 - 金メダル
- 1990年 - 銀メダル
- 1994年 - 8位
- 1998年 - 銀メダル
- 2002年 - 4位
- 2006年 - 5位
ワールドカップの成績
- 1973年 - 不参加
- 1977年 - 4位
- 1981年 - 優勝
- 1985年 - 優勝
- 1989年 - 3位
- 1991年 - 準優勝
- 1995年 - 3位
- 1999年 - 5位
- 2003年 - 優勝
- 2007年 - 不参加(2008年北京オリンピック開催国のため出場できず)
代表人物
参考文献
- 紅い魔女たち: 中国女子バレーボール物語 ISBN 4931033393