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パネルクイズ アタック25/log20220525

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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パネルクイズ アタック25
番組内で使用される
5×5並びの公式パネルボード(再現)
ジャンル クイズ番組
出演者 児玉清
加藤明子(ABCアナウンサー)
他 解答者4名
オープニング 作曲:山下毅雄
エンディング 同上
製作
プロデューサー 尾島憲
制作 ABC
放送
音声形式ステレオ放送(2006年4月 - )
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1975年4月6日 - 現在
放送時間毎週日曜13:25 - 13:55
放送分28分
回数1745
アタック25公式サイト

特記事項:
ハイビジョン撮影(2005年4月 - )
現在における正式な放送開始時刻は13:25:30。
放送回数は2010年3月28日放送分までのもの。
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パネルクイズ アタック25』( - にじゅうご、英字表記:PANEL QUIZ ATTACK 25)は、1975年4月6日から放送されている朝日放送(ABC)制作のクイズ番組ハイビジョン制作。一般には単に『アタック25』と呼ばれることが多く、新聞のテレビ欄には『クイズアタック25』『アタック』などとも書かれることもある。

現在日本で放送されている全国ネットのレギュラー番組では『クイズ!ヘキサゴンII』(高校生が出演をする回のみ。)と並んで視聴者参加型クイズ番組である(後述)。

概要

現在はANNフルネット24局での全国ネット放送となっているが、かつてはANN系列外局でも放送されていた(後述)。

当初、放送時間は13時15分からの25分番組だったが、後に30分番組になった[1]。1994年10月2日からは、日曜正午の番組の放送時間を12時55分まで延長するため、13時25分からの30分番組となり、現在に至る。

また、地方局で高校野球などを中継する時は、放送時間が夕方[注 1]に変更されたり、日曜日に放送できなかった分などは次の土曜日などに振替放送を行う[注 2]。また制作局であるABCでは、全国高等学校野球選手権大会の準々決勝や準決勝に日曜日に当たった場合は、各ANN系列局に裏送りで放送し、後日振替放送を行う[注 3]。ただし、2007年7月29日や2010年8月1日の回は、ABCだけ高校野球大阪府大会を中継する都合で当日の12時30分からに前倒して放送を行った[注 4]

この番組の生みの親である堤章三は、毎日放送アップダウンクイズ』の生みの親でもあり、構成を長く務めていた。放送開始から18年にわたり構成を務め、監修に移行し2008年末に番組を降板した。1993年より上方演芸放送作家高見孔二が構成を担当。

初代プロデューサー三上泰生[2]。番組送信などの技術畑出身で、『ワイドショー・プラスα』や『ワイドサタデー』、『新婚さんいらっしゃい!』などの番組プロデューサーを務める傍ら、『残響2秒 ザ・シンフォニーホールの誕生』と『6chは上方文化や』〔いずれも大阪書籍〕という著書を残す。

音楽山下毅雄によるもの[3]。この番組のテーマ曲と海外旅行獲得VTRクイズ出題中に流れる曲(『フライト・トゥ・パリ』)は発売されたCDに収録されている。また、オープニングテーマ曲の「アタック!」の声と「口笛」の音は、山下本人のものである。なお、シンキングタイムの音楽、トップ賞のファンファーレ(ごく一部のみ)以外は開始当初から全く変わっていない。

時期ごとに番組構成を変えながら続けているにもかかわらず、その時期のテレビ番組の主流に反した傾向が強い。といっても、答えやアタックチャンスのルール説明のテロップ(代わりに字幕放送でその喋った内容を確認できる)、アタックチャンス・旅行クイズのCM跨ぎなど、若干ではあるが、その時期ごとのテレビの主流演出が取り入れられている部分もある。

この番組の最高視聴率は関西地区で24.2%(1979年1月14日放送)、関東地区で21.5%(1980年1月27日放送)を記録している。2009年度現在視聴率は全盛期に比べると8%前後とあまり高くない。

制作局の朝日放送は本番組を「青少年に見てもらいたい番組」に指定しているが、他のANN各局では指定していない(2010年4月現在)。

「オープニングクイズ」での不正解時の起立を廃止したこと、不正解時の起立を3問から2問にしたこと、放送から半年後にアタックチャンスが開設されたこと、そのアタックチャンスが開設当初1回限りだったものを後に正解者が出るまで続ける方式に変えたこと、賞金が増額したこと、海外旅行獲得VTRクイズ(旧フィルムクイズ)正解者の旅行先が変わったことを除き、基本的なルールはほとんど変わっていない(ルールは下記参照のこと)。

クイズの種類

番組内で出題される問題はほとんどが読み上げ形式で、答えは解答後・シンキングタイム終了後にテロップで出される(1994年3月6日から)。問題読み上げの途中で押された際、正解・不正解に関係無く児玉が問題を最後まで読み上げて解説するが、しない場合はテロップで問題の答え(ごく稀に問題文も)が出される。

読み上げ問題以外では以下の形式が用意されている。

現在

オープニングクイズ

当初は第1問から読み上げ問題だったが(その際児玉が「今週のアタック25は、この問題からスタート!」と言う)、パネルの書体が変更された1984年10月からオープニングクイズとして登場。最初は「フラッシュオンクイズ」として、黄色のパネルがランダムでフラッシュされるモニターに隠れている写真の人物を当てる。1994年頃に分割された写真が繋ぎ合わさる過程へと変更された。1996年10月から系列各局からのご当地映像クイズに、その後1997年5月からは街頭インタビューなどのヒントからある人物を当てる志向になった。演出もCGを使った形式になっている。2005年10月からは、人物当てから物当てになり、2008年10月からは、人物の写真を泡状のCGで隠されているものを見て人物を当てる物に変わっている。

1995年9月24日放送分までは他のクイズ同様間違えるとお立ちとなったが、CM後に間違えた解答者がお立ちのまま自己紹介するという異質なケースが少なからずあったため、1995年10月1日放送分からお手つきでもペナルティなしに変更された。またトップ賞の旅行先が変更されると、児玉と出題の女性がその地に赴き、旅行先にまつわる問題が1か月間程出される。

映像クイズ

2010年7月現在のもの。映像クイズの呼称は「ビジュアルクイズ」になっている(2004年4月~)。

  • アナグラム問題…著名人の名前を並び替えて作った文章を見て元の名前を当てる問題。
  • 5ヒント問題…5つのヒントから連想される答えを当てる。その際加藤がヒントの文章を読み上げる。

音楽の問題

当初は、特定のテーマに沿った曲名や歌手名を当てる問題が中心だったが、現在は3曲流し、タイトルに共通して入っている言葉を当てる、歌手名または曲名の頭文字を繋いで3文字の言葉を当てる、歌っている歌手の人数をすべて足した人数を当てるなど、多様な形式が存在する。なお、問題数も当初は3問あったが、しだいに2問→1問と減り、2004年4月以降映像クイズ直後に出されていた問題は、2010年6月以降映像クイズ後の読み上げ問題を数問こなした後で出題されている。

過去

パーソナルクイズ

1992年9月ごろまで、解答者に関する問題が出題されたが、失格中でなければ誰でも解答できた。失格者は立ったままでインタビューに答えることになっていた。

オープニングクイズから3問出題後に行われる形式で、赤から順に4人の解答者に関するエピソードの関連問題を1問ずつ計4問出題。司会者とのやりとりは直接の対話とエピソードの一節を紹介するケースの2通りであった。なお年間チャンピオン大会では解答者がそれぞれトップ賞をとった回のフィルムクイズの答えの関連エピソードから出題した。クイズは全員に解答権があった。

初期には、各解答者の生年月日の朝日新聞に載ったニュースから出題するクイズだった。

ルール

  • 4人の参加者が、赤 ()・緑 ()・白 ()・青 ()の4色に分かれて戦う。
  • 早押し問題が出題される。参加者がボタンを押したところで問題の読み上げが止まり、司会の児玉が解答者を指す[注 5]。解答者が解答したのちに、児玉が問題文の残りを読み上げて、正解を確認する。
  • 正解者が出ると、下の図のようなボード上の1から25までの数字が書かれたパネルの色が下に記したルールに従って変わっていく。最終的に、自分の色のパネルの枚数を競う[注 6]。番組本編内でのパネル獲得のルール説明は番組初期の数回以降途切れていたが、2009年5月3日放送分で久々にオープニングの提供クレジット読み上げ後にアシスタントの加藤アナのナレーションによるVTRにおいてルール説明が行われた。以降、不定期で行われている。クイズの正解数は勝敗には直接には関係なく、また、パネルの取り方に戦略性が求められる。
  • 最初の正解者は、13番のパネルを獲得する[注 7]
  • 2問目以降の正解者は、下記の優先順位に従ってパネルを1つ指定し、そこを自分の色にする[注 8]
    • 自分の色のパネルで他の参加者の色をのパネルを縦・横・斜めのいずれかの方向に挟める場合、そのようなパネルの中から指定する。挟まれた部分に複数の参加者の色が混在してもよい。挟まれたパネルは、オセロゲームの要領で、全て解答者の色に変わる。

      (白が正解の場合、黄色の枠で囲まれたパネルの中から指定できる。10番のパネルを指定すると、14番の青が白に変わる。)
    • 自分の色で挟めない場合、次の問題に正解したときに挟めるようになるパネルを指定する。

      (緑が正解の場合、黄色の枠で囲まれたパネルの中から指定できる。例えば、5番を指定すると、次に正解して3番を指定すれば、4番を挟むことができる。)
    • それでも指定できない場合、参加者の色がついているパネルに縦・横・斜めいずれかで接しているパネルの中から指定する。

      (赤が正解の場合、黄色の枠で囲まれたパネルが指定できる。)

戦略

  • 良く知られている戦術に、1問目の解答者が2枚目のパネルをあえて他の解答者に取らせることで、その解答者が更に次の問題に正解しても辺(3, 11, 15, 23番)を狙えなくさせるというものがある[注 9]
  • 3問連続正解し、13→7→1の様に指定して、挟まれる恐れのない角を狙ったり、13→8→3の様に指定して挟まれにくい端を狙ったりする参加者が、時に現れる。多くの場合、3問目で他の解答者に阻止されて角のパネルを獲得されることになり、リスクも大きい。
  • 一見正解してパネルを取る単純明快なゲームだが、いくら正解を重ねても角を取れない事態に陥ることもある。シンプルさの中に複雑な駆け引きが繰り広げられるのである。

アタックチャンス

  • 1975年10月5日放送より新設された特別問題として定着し、当初は1回限り、スルーまたは不正解だった時はなしという対応をしていた[4]。その後、正解者が出るまで続ける方式に改められ、現在に至っている。
  • 残りのパネルが5枚になったところで鐘(チャイム)が鳴り『アタックチャンス』問題となる[注 10]
  • この問題で正解した解答者は、通常のパネル獲得の他、大量得点の可能性や今後の展開に有利なパネルを1枚だけ「」のパネル(点灯状態)にして指定することが出来る(正解した解答者が選択したパネルは、点滅したあとから黄色のパネルに変わる)解答者なし、お手つきや誤答の場合は、正解者が出るまで続ける[注 11]。なお、児玉の「アタック・チャンス!」というコールも、当然チャンス中は正解が出次第コールされる(児玉は、この黄色いパネルを「アタックチャンスの狙い目」と呼ぶ)
    • 黄色になったパネルは、誰も獲得していないパネルと同じ扱いになる。ただ、他人が取ったパネルは勿論、自分が獲得したパネルでも指定できるが、消すと逆に不利になったり、他の解答者にチャンスが出てきてしまうような場合でも、どれか1枚を指定しなければならない。但し、過去にアタックチャンス時にパーフェクト状態であった解答者に対して、アタックチャンスの狙い目指定の放棄を認めた例がある。その解答者はその後パーフェクトを達成した。
    • だいたいの回は角のパネルが指定されるが、配置によっては端のパネルが狙い目に指定されることもある。一般に、13番に狙い目を指定することはめったにないが、1987年7月5日放送と1994年2月27日放送には狙い目に13番が指定されるという珍事が起きた。

      (22番に青が入って、アタックチャンスの狙い目として25番を指定。)
    • アタックチャンスの時点でトップ独走状態にある解答者が正解した場合は、大量のパネルを追加獲得する必要性が小さい。このため、他の解答者にとって以後の展開が有利にならないパネルをアタックチャンスの狙い目に指定して、守りに回ることがある。
  • 児玉が「アタックチャンス後の問題が大事です」と度々述べるように、解答者全員は、その後の問題に正解し狙い目となったパネルを獲得することがさらに重要である。前述のように、パネルが空くことで他の解答者にもチャンスが生まれるからである。
  • 1996年6月以前はアタックチャンス問題の合図となる鐘(チャイム)を鳴らしたあと、児玉が「それでは、ここでこちらをご覧下さい」と言ってCMに入り、その後「アタックチャンス」のタイトル文字とアタック音が流れる趣向だったが、1995年10月からは、特別企画ではタイトルを出さなくなり、1996年7月以降はCMに入る前に児玉が「(大事な大事な)アタックチャ〜ンス!!」とコールしてから、一旦CM[注 12]を入れて、再開後再び「アタックチャンス!!」のところから再生する。このコールの際、児玉が右手の握りこぶしを微妙に前後させるポーズもまた番組恒例となっている。なお、一時期は解答権を得た出場者が解答する直前まで放送、CMに入って「アタック・チャンス!!」から再生していたこともある。
  • 1996年6月以前のアタックチャンスのアタック音は、優勝者に対するフィルムクイズに不正解だった時の音の出だしの部分を加工して使用していた。また、アタックチャンスの旧来式の台形ロゴは現ロゴに変更後も2000年6月まで使用されていた。
  • コーナー開始から2009年3月までは出題中の場面のみ通常問題と区別されていなかったが、4月から出題中の右下に「アタックチャンス」と表示されるようになった。
  • アタックチャンスのパネル選択時は、放送開始当初から2005年9月までと2009年4月から2010年8月まで、実際のパネル画面を映して行われた(それ以外の時期はCG画面を使って行われており、2010年9月に復活している)。

シンキングタイムとお手つき

  • シンキングタイムはおよそ10秒(流れ終わったあとはブザーが鳴らない)シンキングタイム用のBGMが流れ、流れ終わっても(時間切れ寸前であっても)、解答ボタンが押された場合は解答することができる。但し、画面を見て答える問題と音楽の問題では出題自体がシンキングタイムであるためBGMが流れない(児玉自らが押すブザーが鳴った時点で出題は終了)。
  • お手つき・誤答は児玉自らが押すブザーが鳴り、不正解のBGMが流れ、解答者はその場で起立して、続く2問の解答権が失われる[5]。ブザーが鳴ると時間切れとみなして解答権を失うため、正解が出ても不正解だが(これは他の解答者も押されていることを考慮して即答をしなければならないため)、第1問目のオープニングクイズにはペナルティがないので、同じ解答者が何回も続けて間違えることもある。なお、言い直しは認められていないため、誤答が出た後で正解が出ても不正解となる。
    • ブザーが鳴ると解答席の横にあるランプが2つ点灯し、解答権が失われる2問は起立していなければならない。起立することから、児玉は解答権が失われる状態を「お立ち」と呼んでいる。2問以上連続して誤答が出ると、次の問題の解答権は2人にしか与えられない。
    • ブザーの後は不正解の(立たなければならない)BGMを流す。ただし、音楽の問題や画面を見て当てる問題ではすぐ正解確認に入るため流れないが、もちろん「お立ち」となる。なお、正解の場合のチャイムやBGMはなく、児玉が「正解!」(現在は「正解!」と言う場合が圧倒的に多いものの、たまに「結構!」「その通り!」と言う場合も)などと言うことでそれに替えている。
    • 「お立ち」となっても他の解答者への出題は続くため、当然ランプは1つずつ消える。なお、スルーや他の解答者の不正解もあり得るため、児玉が「1問得されました(助かりました)」などと言うこともあれば、パネルが1枚も埋まることなく解答権が復活することもある。また、児玉は2問の「お立ち」が終わった解答者が出る状態を「お戻り」と呼んでいる。
    • 1995年9月24日(第1033回)放送分まで、「お立ち」は3問だったが、解答者が4人なので、解答権が1人だけという状況もあった。そのため、収録時間や問題を全部使い切り、ウェストミンスターの鐘が鳴って強制終了したこともある。1995年10月1日放送分より「お立ち」を3問から2問に減らしたのは、その影響からである。
    • 妊娠している人などは体調の負担を考慮して座ったままとなる例外もあるが[注 13]、座ったまま休むことができても2問の解答権は失われる。

優勝者(トップ賞)の決定・ウェストミンスターの鐘・賞金

  • 全てのパネルが埋まった時点でゲーム終了となる。また、収録時間の都合で時間切れとなった場合はウェストミンスターの鐘が鳴り、パネルが埋まっていなくても終了となる。
  • 出場者は参加賞と獲得パネルの枚数に応じた賞金(1枚につき1万円)を獲得し、獲得パネルの最も多い人が優勝(すなわち、トップ賞)。海外旅行を賭けたフィルムクイズに挑戦する。
  • 25枚のパネルを全て同じ色にすると、パネル獲得分の賞金に加えてパーフェクト賞がもらえる。
  • 2人もしくは3人が同じ枚数で並んだ場合、同点決勝プレーオフ。児玉が「同点決勝!!」と言って問題が始まる)を行って優勝者を決定。2人での同点決勝の場合は、先に解答権を得て、それが正解ならばその時点で決着。もし、不正解の場合は、相手に解答権が移る。その解答も不正解の場合は、新しい問題に移る。3人での同点決勝の場合は、最初に解答権を得た人が不正解の場合は、その人は次の問題の解答を失い、新しい問題に移る。新しい問題で、先に解答権を得た人が不正解の場合、今度はまだ2問とも答えていない人が解答権を得る。それでも不正解の場合は、3人で新しい問題に移る。1問正解で優勝決定。
    • 2009年2月8日(第1690回)の放送で、番組史上初となる3人による同点決勝が行われた。赤・白・青がそれぞれ8枚ずつ、緑が0枚で最後の問題を迎え(この状況も番組史上初)、ここで緑が正解したことによる。同点決勝は青が制した。
    • 優勝者を発表する時、児玉が「○(色)の○○さんが○枚のパネルをお取りになりまして、憧れのエーゲ海クルーズ・ペア10日間の旅、挑・戦・権獲得!!おめでとうございます!!」と絶叫し、ファンファーレが流れる。画面には「憧れのエーゲ海クルーズ・ペア10日間の旅、挑戦権獲得」の字幕スーパーが写し出される。その後、児玉が優勝者(トップ賞)の賞品(「○○さんにはトップ賞といたしまして…」と言う)を紹介し、出題者が参加賞の賞品(「そして、今日出場いただきました○○さん(三人全て)には…」と言う)の紹介をする(1996年4月 - )。
    • 80年代前半~90年代前半では、パーフェクトを達成したときには、「パーフェクト達成!!」の字幕スーパーとトップ賞と別のファンファーレが流れたが、1998年10月11日放送の11人目のパーフェクト達成の際は「パーフェクト達成!!」の字幕スーパーやトップ賞との別のファンファーレはいずれも出ず、通常のトップ賞のファンファーレが流れたのみであったが、2009年8月16日放送で12人目のパーフェクトが出た時はラストコール後に「史上12人目!パーフェクト達成!!」の字幕スーパーが出るが、トップ賞との別のファンファーレは11人目同様流れず、やはり通常のトップ賞のファンファーレが流れただけである。
    • 鐘が鳴るのはだいたい年に1、2回程度であるが、2002年度のように一度も鐘が鳴らなかった年もある。かつて1995年9月には1ヶ月の間に2回(第1031回・第1033回)もウェストミンスターの鐘が鳴ってパネルが全て埋まらず、ゲーム終了ということもあった。ただし、芸能人大会やチャンピオン大会など特別な大会では時間切れなしで全てのパネルが埋まるまで勝負は続けられるが、その際、途中カットされる部分はダイジェスト形式で編集した上で放送する。特別な例として、1995年5月28日放送の回で、誤答の「お立ち」が非常に多かったため、逆に全てのパネルが埋まるまで続けたこともある。1995年10月1日(第1034回)放送分から不正解による起立を3問から2問に短縮したのは、1995年9月の出来事の影響が大きく、ウェストミンスターの鐘が鳴る確率を低下させて攻撃性を増すためである(1995年10月1日放送分で児玉がコメント)。
    • このほかに、賞金とは別に優勝者(トップ賞)(18金ダイヤモンドネックレス、掃除機、キャスター付き旅行バッグ)・参加賞(ベルト、札入れ、小銭入れ、キーケース、磁気健康グッズ)の賞品がプレゼントされる。過去に東リが単独スポンサーだった時代にはカーペット又はカーテン又はクッションフロアがプレゼントされていた。優勝者と参加賞では違った品物が贈呈された。商品紹介のBGMは、本田雅人「放課後は日曜日」(アルバム「Real-Fusion」収録)。
    • 獲得賞金はゲーム終了後児玉が「パネル獲得数と賞金の額を順に申し上げますが…」と言って紹介していたが、現在は行っていない。但し、夏休みに行う児童・生徒対象の大会では「賞金」とはいわずに、「奨学金」(主に生徒)または「図書券」(主に児童)と表現していた。

賞金額の変遷

金額はパネル1枚当たりの額。賞金額改定の度に2000円ずつ値上がりしており、賞金額の改定は毎回4月に行われているが、1990年4月以降は1枚10000円で据え置きとなっている。

  • 放送開始-1977年3月…2000円
  • 1977年4月-1986年3月…4000円
  • 1986年4月-1989年3月…6000円
  • 1989年4月-1990年3月…8000円
  • 1990年4月-現在…10000円

25枚全て獲得してパーフェクトを達成した際の賞金は、放送開始当初から50万円に固定されている。過去には副賞として当時のスポンサーだった東リのカーペットが贈呈された(優勝者とは別の賞品。さらに過去には東リのクッションフロアも賞品だったことがあった)。

また、賞金とは別に出演料的なものが成績にかかわらず5000円支払われる(遠方からの出場者でABCまでの交通費が5000円を超えた場合、交通費もまたABCのスタッフ側から別に支払われる)。

海外旅行獲得VTRクイズ

海外旅行獲得クイズは、25枚のパネル盤面上(スタジオでは別モニター)にVTRを映し、古今東西問わず「ある○○」を当てる問題。主に「人物」、「都市」がメインで、他に「グループ」、「架空の人物」、「国」、「都道府県」、「町」、「村」、「半島」、「島」、「山」、「川」、「湖」、「海峡」、「岬」、「観光地」、「国立公園」、「温泉」、「日本の年号」、「西暦年」、「文学作品」、「楽曲」、「条約」、「組織」、「建造物」、「施設」、「出来事」、「寺」、「船」、「遺跡」などがある。

成績や賞品紹介の後、すぐに優勝者と児玉が簡単な感想を話した後、児玉から「さあ、今日はある○○を、御当て頂きます」とジャンルが発表され、優勝者が獲得した自分のパネル(外す操作は当初はアシスタント、現在はスタッフ)が全部外れた時点で、「ある○○・VTRスタート!!」と言ってVTRが始まる。以前はフィルム映像だった為「ある○○、フィルムスタート!!」と言っていた。1996年4月から2010年3月14日まではVTR開始前に一旦CMに入り、CM明けに旅行の紹介を放送した後、もう一度「ある○○、VTRスタート!!」から再生されていたが、2010年3月21日放送分からは、残りパネル1~3枚の時点で一旦CMに入り、CM明けに旅行の紹介をした後、以後番組終了までCMを挟まずに競技を進行するようになった。憧れのエーゲ海クルーズ・ペア10日間の旅になった2010年6月以降、旅行の紹介は海外旅行獲得クイズ開始直前に変わった。番組開始当初(東リ提供時代)は、全成績を述べた後に、CMなしでそのままクイズに入っていた。

VTR 映像は、優勝者の色のパネルの部分だけしか見ることが出来ない(オンエアでは残った他の色のパネルのうちの1枚にトップ賞獲得者の様子が映し出される。パーフェクトの場合は出されない)。現在はCGパネルにVTRが表示されるが、1995年9月以前はスタジオのパネルでクロマキー合成によりVTRを流していた。その際、残った別の色のパネルの数字部分が透けて映像が見えていたり、格子の形が見えていた。これはクロマキー合成に紫色を使っており、格子の線は黒だが、パネルの数字は紫色を使っているためである(エンディングでのパネル点滅時には紫もある)。映像はいくつかのヒント映像が流れ、映像の最後に、ある人物ならその人の顔写真(このために映像を撮っている場合もある)、ある都市なら航空写真に市章(但し、日本にある都市の場合のみ)、ある国なら航空写真に国旗が映される。VTR映像出題中は「フライト・トゥ・パリ」のBGMが流れる。

映像終了後、児玉に「その○○とは!?(西暦の場合のみ「さあ、それは西暦何年?」)」と尋ねられ、5秒以内(解答時間は時報のようなカウントダウンの音が流れる)で正解を解答すると児玉が「正解!!」・「結構!!」・「その通り!!」と絶叫、ファンファーレが鳴り、番組開始当初から1984年9月までと1995年10月から2009年3月までは電飾が光る中で、2009年4月以降は電飾点灯に加え、「憧れのエーゲ海クルーズペア10日間の旅獲得!!」というテロップが出る中で海外旅行獲得。1984年10月から1995年9月までは電飾点灯に加え、解答者席上(天井)に吊るされていたくす玉が割られて大量の紙吹雪とフランス国旗を彩った紙テープが降った。

誤答の場合は初代「アタックチャンス」のアタック音をアレンジしたBGMが流れる。一時期、不正解の時、BGMが流れている最中にブザーが鳴ったこともあった。フィルムクイズの正解(海外旅行獲得)のテロップは、2009年3月までは一切出ていなかったが、2009年4月から画面下にテロップが表示されるようになった。児玉が正解を説明する際、毎回パーフェクト達成状態の形でパネル全体が外れて見られるようになる。現在はその際に画面が中央に寄り、周りはトップ賞獲得者の色がバックとして使われる(1997年10月 - 。画面下にはスタッフ・制作クレジットのロールが流れる)。正解を説明の際、児玉は当初、内容の書かれたメモをポケットに入れていたが、現在は「アタック25」のロゴの入った黒いファイルを持っている。

優勝者の獲得パネルの配置によっては大事な部分が他の人のパネルで隠されて全く見えず(特に画面下の年代などのヒントのテロップなど)、全部見えれば分かったのに答えられなかったというケースも少なくない。他の3人は分かっていたのに優勝者だけが分からなかったというケース、パーフェクトや20枚以上の大量得点を獲得したのに全く分からなかったケース、逆に1桁枚数(7・8・9枚)の優勝者、または真ん中がほとんど取れなかった優勝者がわずかに見えた画面で正解を探し当てたケースもある。そのため、問題の難易度は常に一定ではなく、運に近い状態と言える。

エンディングの際に、解答者の前で出題者から旅行獲得プレートと花束が贈呈される(「おめでとうございます!憧れのエーゲ海クルーズ・ペア10日間の旅をお楽しみください」と言う)。ただし、かつてのような旅行地にちなんだバックミュージックは流れない。そして、解答者が海外旅行獲得の時は児玉が「また次回、憧れのエーゲ海クルーズの旅、お待ちしております!!ごきげんよう!!さよなら!!おめでとうございます」と言ってエンディングとなる。逆に旅行獲得できなかった時は「本当に残念ですが、また次回、憧れのエーゲ海クルーズの旅、お待ちしております!!ごきげんよう!!さよなら!! 残念でございます」と言ってエンディングとなる。

かつてエールフランス協賛によるパリ旅行だった時は、以下の様な流れとなっていた。

  • 児玉が優勝者を発表する際に、「○○(色)の○○さんが○○枚のパネルをお取りになりまして、パリ挑・戦・権獲得!!おめでとうございます!!」と言ってファンファーレが鳴った際、字幕スーパーには「トップ賞・花の都パリに挑戦・ABC」→「アタック25トップ賞・パリ挑戦権獲得」と出る。
  • 出題前に「さぁ(トップ賞の解答者名)さん、エールフランスに乗れますでしょうか。パリそしてニース(カンヌ)があなたを待っております(この時にこやかに旅行鞄を持っているエールフランスのスチュワーデスのアップが映し出される)よろしいでしょうか。ある○○(人物・国・都市・川・島・年号など)、フィルムスタート!!」というコメントとともに出題が始まる(1995年10月以降は「○○行きなるでしょうか、VTRスタート!!」に変更されるが、詳しくは#海外旅行を参照)。
  • 正解内容を確認した後、児玉が「(解答者名)さん、お見事!! パリそしてニース(カンヌ)にいらしていただきます!!おめでとう!!良かった!!」とコメントした後、バックミュージックが流れ、エールフランス機の離陸映像とパリの風景をパネルに映し出して、そのパネルをバックにエールフランスのスチュワーデスより「おめでとうございます、エールフランスで楽しい旅をどうぞ!」と言いながら目録(当初は航空バッグ、末期は旅行獲得プレート)と出題者より花束が贈呈される。
  • 児玉が「さらに○○さんにはトップ賞といたしまして(トップ賞の賞品)を合わせてお持ち帰りいただきます」を紹介し、出題者が「そして、今日ご出場いただきました他3名様(後に3名の個人名)には(参加賞の賞品)をお持ち帰りいただきます。そして、今日見事パリ行きとなられました○○さんを応援していただいた方には(賞品名)をプレゼントいたします」と言う。
  • 児玉が感想を聞いた後、「○○さん、見事パリ行きを射止めたことをお伝えして、また来週この時間、パリがあなたを待っております!!ごきげんよう!!さよなら!!良かった!!」と言って片手を前に出しながらエンディングとなる。
    • 旅行を獲得できなかった場合、児玉は「○○(出題者)さん、おみやげを差し上げて下さい!」と言うと出題者は「残念でございました。トップ賞の○○さんには(賞品名)を差し上げます(その間に拍手が沸く)。そして、ご出場いただきました他3名様(後に3名の個人名)には(参加賞の賞品)を差し上げます。そして、今日トップ賞となられました○○さんを応援していただいた皆様には(賞品名)をお持ち帰りいただきます」と言う。児玉は司会者席に戻り「惜しくもパリ行きなりませんでしたが、また来週この時間、パリがあなたを待っております!!ごきげんよう!!さよなら!!残念!!」と言って片手を前に出しながらエンディングとなる(どちらとも末期は解答者席の前で行った)。

出演者

番組開始当初から、児玉は出題者(アシスタント)とともに司会者席に座り、海外旅行クイズの時だけ立って(ハンドマイクを持って)番組を進行したが、1992年10月4日放送分から全編立って進行するようになった(座っている時はデスクマイク、立っている時はハンドマイクだったが、これらに代わりピンマイクを着装している。)

「パネルクイズ アタック25」歴代の出演者一覧
期間 司会 出題 アシスタント
1975.4.6 1976.3.28 児玉清 あかはゆき 浅井環
1976.4.4 1980.3.30 中村京子
1980.4.6 1981.3 相沢純子 森昌美
1981.4 1984.9.30 平井悦子
1984.10.7 1985.3.31 豊島美雪
1985.4.7 1985.6.30 伊藤美加
1985.7.7 1993.9.26 (これ以降なし)
1993.10.3 1999.3.28 相馬宏美
1999.4.4 2009.3.29 沢木美佳子
2009.4.5 現在 加藤明子
(ABC)
備考
  • 児玉は第1回の放送から現在まで司会を担当しており、2010年3月現在で実に35年に渡り司会を続けている。これは日本のテレビにおけるクイズ番組史上最長の司会記録である[6]
    • なお、1984年10月14日と10月28日放送分は、児玉が腹膜炎に伴い入院したため、板東英二が代役を務めた。
  • 過去の出題者は、芸能事務所所属のキャスターが務めていたが、現在はABCアナウンサーの加藤が務めている。
  • 1993年1月17日1月24日の放送分は、出題者の豊島が急病のため、下村委津子が代役を務めた。
  • 番組開始当初から10年ほどはパネル操作アシスタントもいて、児玉・出題者・アシスタントの3人で番組を進行していた時期もあったが、現在アシスタントはおらず、児玉と出題者の2人で進行している。パネル操作アシスタントは4人いた。

歴史

この番組が誕生する1年前の1974年4月7日 - 1975年3月30日、同じ児玉が司会をした視聴者参加クイズ番組『東リクイズ・イエス・ノー[7]という番組が東洋リノリユーム(現:東リ)の一社提供の下、毎日放送制作でANN系列にて放送されたが、1975年3月31日にABCと毎日放送のネットチェンジ、並びに視聴率の低下などを理由に番組が打ち切られた。ただ、東リ側が自社提供の番組をABCでも継続して制作・放送することを熱望したため、1975年4月にこの番組が誕生。児玉は当初『 - イエス・ノー』の失敗からこの番組を司会することに難色を示したが、東リ側の要請もあって結局はそのまま司会を担当することとなった。よってNET(現・テレビ朝日)など一部の系列局では、制作局が異なるものの児玉司会・東リ提供の番組が継続して放送されたこととなる[注 14]

ANN系列単独加盟局所在地域でも、広島県では広島ホームテレビが開局した後『 - イエス・ノー』までは諸事情により系列外の中国放送(JNN系)への時差ネットだった。本番組から系列通り広島ホームテレビへのネットとなった。

JNN系列局時代のABCは、『ベルトクイズQ&Q』の水曜日の制作を一時担当した以外は、自社制作の視聴者参加クイズ番組がなく[8]、TBS制作の番組ばかり[注 15]だった。

番組の企画にあたっては、とあるABCのスタッフが、子供にオセロゲームを買ったことを思い出し、「このオセロゲームを使ったテレビ番組はどうだろう」と言ったのがこの企画が生まれる発端だった。

では、次に放送時間内にクイズを答えてすべての面が埋まり、面を最も多く獲得した解答者が海外旅行を賭けたクイズに挑戦すると仮定した場合、面の数は何枚が良いのかを試行錯誤の末に出した結論が25枚だった。

また、企画段階では最終的に獲得した面の数とは別に、クイズの正解数に応じて賞金を出すという案もあったが、あくまで「面の数」にこだわり、これがこの番組の最大のウリとしてプロデューサーが一蹴。さらに、使用する面には白、赤、青、緑という色を使うため、まだ一般家庭の半数は白黒テレビだったこともあり、この企画には社内やスポンサーからも難色が上がったという。プロデューサーは「将来テレビはすべてカラーになる」と説得して回った。

1992年9月まではABC制作枠の15秒番組宣伝枠がABC制作全国ネット番組の中で唯一なかったが、翌10月から放送開始。同時に番組ロゴをそれまで台形をモチーフにしたものから現ロゴに一新した。

1997年4月の時点で毎日放送『アップダウンクイズ』(1963年10月6日~1985年10月6日)、NHK連想ゲーム』(1969年4月5日~1991年3月20日)の22年を抜き、全国ネットクイズ番組の長寿新記録を達成した。なお、地方ローカル番組を含めた最長寿記録はCBCで放映された『天才クイズ』の37年2ヶ月(1967年7月26日~2004年9月25日)。もちろん、現役クイズ番組としては全国ネット・地方ローカルを問わず当番組が最長寿である。2012年6月以降も継続するとクイズ番組最長寿の完全新記録達成となり、今後の去就が注目される。

テレビ朝日の『100万円クイズハンター』が終了した1993年10月からテレビ東京の『決戦!クイズの帝王』が始まる1996年4月までの2年半と、『決戦!クイズの帝王』が終了した1997年3月からフジテレビの『クイズ$ミリオネア』が始まる2000年4月までの3年間は、全国ネットのレギュラー番組で唯一の視聴者参加クイズ番組だった。しかし『クイズ$ミリオネア』(2007年3月でレギュラー放送終了)が2006年9月で視聴者参加を取り止めたため(ここまでの期間中の視聴者参加クイズ番組は他にテレビ朝日『タイムショック21』があった)、再び唯一の視聴者参加クイズ番組になっている。しかし2010年放送分の『クイズ!ヘキサゴンII』ではヘキサゴンファミリーが通っていた高校の後輩の一般視聴者の高校生が出演をする回も有る事がある。

1996年7月から1999年3月まではオープニングのテーマ曲がサラウンドで放送された。 2003年4月6日から字幕放送を開始。2005年4月4日からハイビジョン化され、2006年4月9日からは番組の音声もモノラルからステレオになった。2010年6月6日よりアナログ放送ではレターボックス放送となり、その日の問題にレターボックス放送に移行したことを意識した問題が出題された。

特別企画

  • 1回目の特別企画は1975年7月27日藤田まこと石坂浩二、桂三枝、高岡健二(現・建治)を迎えたゲスト特集で、石坂がパリ旅行を獲得した。
  • 毎年、8月第2日曜日(夏休み期間中)に「高校生大会」と8月後半に「高校生VS高校の先生」が、9月の敬老の日の前日(2001年までは9月15日と重なる週の日曜日)に60歳以上対象の「熟年大会」が行われる(ただし、60歳以上であっても、熟年大会ではないレギュラー放送で出場した人は複数いる)。1994年まで「中学生大会」、1996年まで「小学生大会」が行われた。なお、「高校生VS高校の先生」は「小学生大会」の後継として1997年から行われている。
  • 年始初の放送はANN系列のうち4局の女性アナウンサー各2人を解答者に迎えた「新春女性アナウンサー大会」を2003年から行っており、この時に限り旧来の『解答者本人が自己紹介をする』形式をとっている。かつては1992年10月4日1996年1月7日に男性アナウンサーを含めた「アナウンサー大会」を実施した経緯がある。また2000年3月26日にも、「25周年記念企画」で、2001年4月15日も「26周年記念企画」で行っていた。エンディングでは司会の児玉、出題者の沢木(2010年は加藤アナ)、解答者の全員が揃って「アタックチャンス」のポーズを取るのが恒例となっている。さらに2010年1月10日の女性アナウンサー大会では、前半のCM前のアタックチャンスのコールを、児玉と共に、解答者全員が解答席に座りながら「アタックチャンス」のコールをした(CM明けのアタックチャンスは別撮りで従来どおり児玉単独で行う)。なお、ABCのアナウンサーは社則により解答者として出場しない(問題の内部流出など不正防止の意味合いもある)。また、ANN系列のうち現在放送していない福井放送とテレビ宮崎は対象から外れている。
  • 原則として毎年9月第1週はタレントやお笑い芸人の2人1組、計4組が解答者として出場する「芸能人大会」が2005年から行われている(2008年以降は開催されていない)。なお、上記の「アナウンサー大会」同様、出題場面が途中でダイジェストの扱いとして放送されることがある。2006年3月5日にも、9月以外で開催されている。
  • 毎年、最終放送となる本番組の放送では、前年12月(もしくはその年の1月中旬)からその年の11月までに特別企画以外にて優勝した解答者から獲得枚数が多かった上位解答者が登場、『年間チャンピオン』を決定する「アタック25 チャンピオン大会」が、1978年から行われている。
    • 2003年度までは、年間の獲得枚数上位4人が対戦。
    • 2004~2007年度は、年間の獲得枚数上位10人で予選クイズ(3問先取の早押しクイズ、誤答2回で失格・退場)を行い、それを勝ち抜いた4人が対戦。
    • 2008年度以降は、年度内に14枚以上獲得して優勝した出場者全てに参加資格が与えられ、更に第2日曜日放送分で予選、第3日曜日放送分で決勝と、2週に分けて放送される様になった。予選第1ステージで映像を用いた筆記クイズ20問を実施、結果発表は成績上位10人の番号の数字パネルが一斉に赤く点灯した。その成績上位10人が予選第2ステージ(2004-2007年度の予選クイズと同様の形式)を戦い、それを勝ち抜いた4人が翌週の決勝に挑むルールとなった。
  • 数年に一度、過去5年以内(またはそれ以上)に出場者で海外旅行を逃した人、解答出来ずに終わった人、あるいは正答できてパネルを獲得するも最後は0枚という残念な結果に終わった人たちのためのいわばリベンジ大会である「夢をもう一度大会」がある。優勝出来なくとも、獲得パネル1枚だけで喜ぶ人あり、海外旅行獲得リベンジ達成の人ありなど、夢を再び与えるという画期的な企画も持っている。
  • 1989年1月15日に放送された『700回記念大会第1弾』「4強激突!プロ野球大会」ではセ・パ両リーグの2強の選手とファンのタレントが出場、優勝したジャイアンツチーム(後述)がフィルムクイズをおまけの正解(フィルムクイズの本来の正解は「大阪球場」であるが、通称だった「難波球場」と答えておまけの正解)で成功、パリ行きを獲得した。更にトップ賞となったチームを応援していた観客1人にもパリ旅行がプレゼントされた。
  • 1989年1月22日(700回記念大会第2弾)、1990年4月8日(15周年記念大会第2弾)、1991年1月20日(800回記念大会)の3度、各大学のクイズ研究会やサークル25人が1チームとなって4大学対抗で戦う「大学対抗!100人の大サバイバル」を実施。各大学、代表者1名が解答席に着いてクイズに答えるが、お手つき・誤答や相手に正解された場合は、その人は失格で、次の代表者に交代するという特別ルールで実施。当然25人全て失格になった大学は、その時点で敗退。そのため、1989年の700回記念大会第2弾で放送された最初の大会では、通常のルールでは不可能な6枚獲得で優勝するという事態が起きた(18枚獲得していた大学がいたが、25人全員失格で敗退したため。)。なお、海外旅行への挑戦権は、優勝したチームで最終的に残ったメンバー全員にあり、正解した場合は、残り人数分の旅行を獲得となったが、6枚で優勝した大学は不正解。1990年の15周年記念大会第2弾ではある人物・C.W.ニコルを、1991年の800回記念大会ではある人物・坂口安吾を見事正解して、パリ行きを獲得した。また、1993年1月24日は900回記念として、「大学クイズ研究会ペア大会」を実施したが、海外旅行獲得クイズはある人物・内館牧子を答えられずに失敗。
  • 1995年2月5日の1000回記念では過去にパーフェクトを達成した9(8)人(1993年8月22日時点)のうちの4人が出場。9(8)人目のパーフェクト達成者(大阪府在住の塾講師)がパネル16枚でトップ賞を獲得、旅行クイズもある国の名前「ベルギー」を見事正解し、1993年8月22日(パーフェクト達成回)・12月26日(年間チャンピオン大会)放送回で獲得出来なかったパリ旅行を獲得。三度目の正直を果たす。
  • 1995年3月、過去5年以内の出場者の参加も交えての「20周年記念グランドチャンピオン大会」を開催、まず全国各地で筆記予選を行いネット局の代表1人(全国朝日放送からは2人)が選ばれ、それらを東日本・西日本別に予選大会を行い(形式は3問先取の早押しクイズで4人勝ち抜き→従来のパネルクイズ)それぞれ獲得パネルの多かった2名が選出。決勝戦ではテレビ朝日代表の東大生(後述の30周年記念大会のクイズ王決定戦にも出場)がグランドチャンピオンとなり(賞金は50万円)旅行クイズでもある人物「マハティール」を正解しパリ行きを獲得した。
  • 1997年1月5日1998年1月11日には大学対抗クイズ研マドンナペア大会を開催。1998年は予選を行っていた。
  • 2000年3月は4週にわたって25周年記念大会を開催。1週目は、番組が開始された年の1975年に出場された「25年前の出場者大会」を、2週目は、出場者が全員25歳である「25歳大会」を、3週目は「25にちなんだ人大会」を、4週目「系列局女子アナペア大会」を行った。2001年4月も3週にわたり27周年記念大会を開催した(実際は満26年)。1週目「27にちなんだ人大会」、2週目「ペア大会」、3週目「系列局女子アナペア大会」を行った。
  • 2004年4月には番組開始30周年(正式には満29年であり、30年目突入)記念大会と銘打って、3週間に渡る「史上最強のクイズ王決定戦」を開催した。参加基準やルールは「20周年記念大会」と同じだが、賞金はパネル1枚につき4万円だった。FNS1億2000万人のクイズ王決定戦初代チャンピオンの実績があり、「20周年記念」でも決勝まで勝ち残っていた(「20周年記念」のチャンピオンも東日本予選から決勝進出)新潟代表のブックオフ社員が優勝を手にしたものの、旅行クイズはある人物「大伴家持」を「柿本人麻呂」と答えて失敗し、エンディングで謝罪した。
  • 2005年3月20日、1500回を迎えやくみつる高田万由子森内俊之丸山和也の4人の著名人によるゲスト大会が行われたが、丸山がルールを把握していなかったらしく、他の解答者が不正解して解答権を得ることが出来ないにもかかわらず早押しボタンを押したり、不正解でのお立ちの場所が違っていたりした。なお、森内が海外旅行獲得VTRクイズで「ある都市の名前=マドリード」を正解して「ANAハローツアー行くパリ・モンサンミッシェルプロヴァンスを巡るフランス縦断10日間の旅」を獲得した。なお、クイズを趣味とする森内は、過去にもプロ棋士としての仕事の合間を縫って一般参加者として予選会を勝ち抜いて出場したことがあり、その際は海外旅行の挑戦権を逃した苦い経験を持ったが、二度目の正直で海外旅行を獲得した。
  • 2005年8月7日は、「浴衣大会」を開催。一般出場者4人と、児玉・沢木が浴衣を着て登場した。
  • 2010年2月14日と同年4月4日は、2001年以来ペア大会を行った。

番組出場

解答において人名の場合は、日本人、中国人、韓国人の場合は姓と名のフルネームでなければならないが、それ以外の外国人の場合はフルネームでなくてもよく、判別できる程度でよい(このケースは予選でも適用される)。但し、フィルムクイズは外国人もフルネームで答えなければならないことがある。そのため、苗字または名前しか答えられず、結局不正解になってしまったこともある。

いわゆるクイズ王によるクイズ荒しを防ぐため、一度本選に出場すると、5年間は本選に出場することができない(ただし、「グランドチャンピオン大会」などの特別企画で特例として5年以内でも出場できることがある)。その5年間の沈黙を経て再び出場する者も多い。

予選・収録

予選は基本的にANN系列局の放送エリアごと(関東地区予選はテレビ朝日でも山梨県ではなくABC東京支社)で行われる。そのため、ハガキに書く住所の項目は都道府県名から書くことになっている。ANN系列局がない富山県は富山テレビ(BBT)で行われていたが、2009年3月の放送終了により予選の募集は終了した(ケーブルテレビや県外受信などで北陸朝日放送(HAB)や、新潟テレビ21(UX)を見ることができる視聴者は引き続きHABまたはUXで行われる予選については参加可能[注 16])。ANN系列局のエリア外で県外から視聴している場合は(クロスネット局の福井放送(FBC)・テレビ宮崎(UMK)の放送エリアも含む)、当該地域の局で開催される予選に参加することになる[注 17]

予選は専用の用紙に氏名などの他に自己アピールを記入することから始まる。予選問題は全30問(制限時間8分)の筆記形式で、いわゆる「クイズによく出る問題」と時事問題がバランスよく出題される。解答の際、誤字・脱字がある場合は不正解となる。ただし、漢字がわからない場合はその漢字をかなで書いても問題はない。筆記予選が終わると答案用紙が回収され、即採点される。その後は名前を呼ばれた人のみ面接に進めるが、それ以外の人はその場で「お帰り」となる。面接に呼ばれるのは基本的には得点上位者だが、明確な基準はないため、ある程度得点できていれば、面接に呼ばれることもある。この面接に受かれば、予選に合格となる。予選に合格すればすぐ出場というわけではなく、向こう1年間の出場資格が与えられたということになる。実際に出場が決定するのはABCのスタッフより電話連絡が入った時である。1年待っても連絡がなければ出場資格が消滅する。なお、指定された収録日に都合が悪く(用事等で)出場を辞退したとしても、出場資格は消滅せず合格してから1年以内であれば再びお呼びがかかることもある。

なお、出場が決まっていないなら、出場資格を持っている間にも予選に参加することは可能で、その予選に合格すれば出場期限を延長できる。 また、前回の出場から5年経過していなくとも、応募すれば予選への参加は可能である(ただし、出場はできない)。

1975年の放送開始以来、出場者募集はハガキのみだったが、2004年春頃からはインターネットでも募集されるようになった(現在は携帯電話でも募集している)。また、出場者募集のお知らせは数ヶ月に1回だけ行っていたが、現在は毎週番組中でアタックチャンスに入る前のCM明けに告知され(無い場合もある)、1年を通じて行われている。また、音楽問題の正解確認時と旅行獲得クイズ前のインタビューを行っている場面で各放送局別で送出マスターのテロップで出場者募集のお知らせ表示を行うこともある(主に予選開催日が迫っている放送回の場合)。応募したはがき、インターネット、携帯電話は抽選前に記入漏れ、偽り、重複応募がないか等を厳重にチェックした後厳正な抽選を行い、予選参加者を決定する。

2006年10月1日、横浜市立大学医学部に通う19歳の学生が優勝したが、予選の筆記問題でカンニングしたことをmixi上のブログで暴露していたことが発覚。2ちゃんねるを中心に騒がれ、一部の新聞などにも掲載された。その後、この学生はカンニングを否定。放送元のABCはこれを不問とした。

従来は、番組開始当初から大阪市北区大淀南のABC本社Aスタジオで行われていたが、2008年春から社屋の移転により、福島区福島1丁目(通称「ほたるまち」)のAスタジオでの収録(隔週木曜日)となっている。このため、4月27日からエンディングでのスタジオ全景のカメラ位置も変更されている。

備考

応援席

1995年9月までは観覧者を一般から募集をしていたが、現在は出場者の身内・友人と関係者・アルバイト(エキストラ)しか観覧席に座ることができない。

1992年9月までは、観覧者が色別のパネル上げでトップ賞の予想を行い(行わない回もまれにあった)、予想が的中するとプレゼントが贈られた。

  • 番組初期の頃は、司会の児玉の呼びかけとともに、番組の冒頭でギャラリー(観客・応援者)が、支持する解答者の後方にある「応援席」へ移動し着席する様子が、番組テーマ曲がBGMで流れる中、映し出されていた。
  • プレゼントの内容は、番組オリジナルグッズや、スポンサーからの賞品などだった。そのため支持(応援)する色の観客席に座る人のばらつきが発生していた。観覧者にはそれぞれの色のシートを持たせて、番組序盤で上げていた。
  • 1985年頃には、フィルムクイズの前に各解答者の応援人数をコンピューターで表示していた時期もあった。
  • 現在では、このトップ賞予想制度は廃止され、番組冒頭時点から各解答者の後方にはギャラリーがすでに着席している。

解答者紹介

1994年4月3日までは本人による自己紹介(解答ボタンを押した後に自己紹介に入るもの、1992年のリニューアル以降はフラッシュオンクイズ→提供クレジット→CM挟んでから)で、翌週4月10日からは出題者のナレーションによる紹介に。1996年10月6日からは序盤終了後(パネル5枚埋まった時点が目安)に児玉が紹介し提供クレジットとCMとなった。2005年1月9日以降、現在はオープニングクイズが終わった後に紹介する形になっている(2008年8月以降は、解答者のプロフィールのうち年齢が省略され、「今回は○○歳代の皆さん」と紹介している)。

優勝者に関する記録

25枚パーフェクト優勝を達成した解答者は2009年8月現在で12人いるが、1998年10月11日放送分でパーフェクトが出た際は、10人いたとの児玉のコメントがあった(実際はその時点で11人)。それ以降約10年10ヶ月にわたってパーフェクトはなかったが、2009年8月16日放送分で鹿児島県の高校生が通算で12人目のパーフェクト達成者となった。歴代のパーフェクト達成者の中で、青からはまだ出ていない。その一方、赤は2人達成しているが、旅行クイズはどちらとも不正解に終わっている[9]。緑と白は共に5人だったが、緑は全員正解しているものの、白のみ1人不正解に終わっている。

歴代パーフェクト達成者

# 放送 達成者 旅行クイズ
1人目 1977年10月2日 埼玉県 女性 正解
2人目 1983年 不明 東京都 男性 正解
3人目 1984年5月20日 千葉県 男性 正解
4人目 1985年9月29日 福岡県 男性 正解
5人目 1986年12月28日 東京都 女性 正解
6人目 1987年4月5日 東京都 男性 正解
7人目 1989年10月15日 大阪府 女性 不正解
8人目 1990年12月30日 愛知県 男性 正解
9人目 1993年8月22日 大阪府 男性 不正解
10人目 1997年2月23日 愛知県 男性 不正解
11人目 1998年10月11日 岐阜県 女性 正解
12人目 2009年8月16日 鹿児島県 男性 正解
  • これまでの色別パーフェクト達成者数()内は旅行クイズに正解している人の数
    • :2人(0人)
    • :5人(5人)
    • :5人(4人)
    • :0人(0人)

なお、1986年、1990年にパーフェクトを達成している2人は、年間チャンピオン大会で達成している。また、2人ともフィルムクイズを成功、ペアでのパリ行きを獲得している。

優勝可能な(海外旅行挑戦権獲得)最低獲得枚数は7枚であるが、1989年1月の大学サバイバルでは6枚で優勝となった[10]。なお、7枚で優勝したのはこれまでに5人おり(最近では2007年10月14日放送分)、そのうち2人は旅行挑戦に成功している。また、優勝するためには最低3問に正解する必要があるが、1985年6月9日、2000年8月6日2008年7月27日放送では、3問正解で優勝・海外旅行挑戦権を獲得した。

海外旅行

フィルムクイズ正解で獲得できる海外旅行は、初回から1995年9月までエールフランスで行くパリ(パリの他にニースカンヌディジョン、あるいはタヒチ)だったが、1995年10月放送分から旅行先はアメリカ合衆国ニューヨークフロリダディズニーワールド)、ドイツスイスローマオーストリアミラノスペインと変化。そして2009年4月5日放送分からは地中海クルーズ・ペア10日間の旅と史上初のペア旅行となり、2010年6月6日放送分から憧れのエーゲ海クルーズ・ペア10日間の旅となった。

1975年以来、オープニング映像にエールフランスの旅客機が飛び立つ映像が使われていたが、パリ旅行中止とともに消滅した。2007年4月1日放送分で、旅行先がパリ・ミラノに変更されたことに伴って、久々にエールフランスの旅客機が飛んでいる映像が、オープニングクイズで流された(2008年4月からのスペイン・パリ旅行の時にも適用された)。

フランス旅行が中止になったのは、1995年9月5日にフランス政府が南太平洋ムルロア環礁核実験を行ったことに対する抗議とされている。そのため、この出来事があった直後の9月10日放送分から24日放送分までの3回分、収録した日付のテロップを表示したり、優勝者決定時のテロップを「海外旅行挑戦権獲得」に変更。さらに、児玉のコメントの1つである「パリ挑戦権獲得!」を「海外旅行挑戦権獲得!」に、「エールフランスに乗れますでしょうか?」を「海外旅行獲得なるでしょうか?」と変更するなどの対応になった。

2001年4月、ようやく旅行先にパリが復活。ただし、エールフランスではなく、日本旅行会社が主催するツアーとの提携である(2001年のみJALパックAVA、2002年から2004年まではANAハローツアー、2005年4月から2009年3月までは近畿日本ツーリスト、2009年4月からはPTS提供)。なお、現在は違うが、児玉は長らく樫山文枝と近畿日本ツーリストのCMに出演。

通常旅行に行けるのは1人で、2人ペアでの旅行は、チャンピオン大会等の特別企画のみだったが、2009年4月からは、通常回でも2人ペアでの旅行獲得ができるようになった。

旅行先が変更される際の1か月間は、通常のオープニングクイズが、旅行先にまつわる問題に変更される。この時のVTRでは、児玉と出題者が実際に旅行先へ赴き、そこから出題を行う(なお、終盤のフィルムクイズでの旅行先紹介VTRでも、2人が登場する)。なお、この旅行先にまつわる問題が実施される場合、読み上げ問題の間に挟まれる、通常の映像(ビジュアル)クイズと音楽の問題の合計4問のうち、1 - 2問分が削減される。

旅行先の変遷

()内は航空会社・旅行会社である。

  • 1975年4月 - 1976年3月:パリ(エールフランス)
  • 1976年4月 - 1981年5月:タヒチ(エールフランス)
  • 1981年5月 - 1986年頃:パリ・ディジョン(エールフランス)
  • 1986年頃 - 1991年3月:パリ(ニースも抱き合わせであった。)(エールフランス)
  • 1991年4月 - 1995年9月:パリ・カンヌ(エールフランス)
  • 1995年10月 - 2000年2月:ニューヨークとフロリダ・ウォルトディズニーワールドの旅(日本旅行→JALパックAVA)
  • 2000年3月 - 2001年3月:ウォルトディズニーワールドとディズニークルーズライン8日間の旅(JALパックI'll)
  • 2001年4月 - 2002年3月:ヴェネツィア・フィレンツェ・ローマとパリ10日間の旅(JALパックAVA)
  • 2002年4月 - 2003年6月:パリ・ロワール・モンサンミッシェル10日間の旅(ANAハローツアー)
  • 2003年7月 - 2004年3月:ドイツ・ロマンチック街道とスイス・アルプス、パリの旅(ANAハローツアー)
  • 2004年4月 - 2005年3月:パリ・モンサンミッシェルプロヴァンスを巡るフランス縦断10日間の旅(ANAハローツアー)
  • 2005年4月 - 2006年3月:充実のローマ・パリ9日間の旅(近畿日本ツーリスト・ホリディ)
  • 2006年4月 - 2007年3月:充実のオーストリア・パリ9日間の旅(近畿日本ツーリスト・ホリディ)
  • 2007年4月 - 2008年3月:充実のパリ・ミラノ9日間の旅(近畿日本ツーリスト・ホリディ)
  • 2008年4月 - 2009年3月:充実のスペイン・パリ9日間の旅(近畿日本ツーリスト・ホリディ)
  • 2009年4月 - 2010年5月:地中海クルーズ・ペア10日間の旅 (PTS)
  • 2010年6月 - 現在:憧れのエーゲ海クルーズ・ペア10日間の旅 (PTS)

パネルボードと解答席

  • 番組の要であるカラーパネルは、初期の頃で制作費1000万円ほど掛かっており、パネルの内部に赤・緑・青の蛍光灯を組み込んで、それらの色を合わせている。そのため、点灯した色にムラがあったり、点灯が乱れたり、黄色が微妙な色になったりした事がある。またパネルを開発した家電メーカーの社員がスタジオに駐在しており、パネル故障などの緊急事態に対応していた(実際トラブルが起き、収録が中断した事もあった)。
  • 番組初期の頃は、25枚のパネルの左右両サイドに上向きの矢印(当時のスポンサーの東洋リノリユーム〈現: 東リ〉のマーク)を図示した10個のランプが縦並びにあり、シンキングタイム(5秒)には、シンキングのBGMとともにそのランプが下から0.5秒に1つずつ順に点灯していき、解答時間切れを表していた。
  • 現在、地上デジタル放送でこの番組を見ると、画面右端の空きエリアの部分に現在の4人取得パネル数が常時表示されている。
  • 現在の解答席は7代目である。2001年9月30日放送分からパネルの枚数表示が電光から液晶に替わっている。
    • 初代: 1975年4月 - 1976年3月
    • 2代目: 1976年4月 - 1984年3月
    • 3代目: 1984年4月 - 1986年3月
    • 4代目: 1986年4月 - 1992年9月
    • 5代目: 1992年10月 - 1995年9月
    • 6代目: 1995年10月 - 2001年9月
    • 7代目: 2001年9月 - 現在
  • 早押しボタンは、初期頃はキーボードのスペースキーほどの長さのボタンであり、7代目の初期頃は解答席の色と同色のカラーボタンが左右に設置された。左利きの人や特別企画で2人1組の回もあるので、その為の配慮と思われる。現在は黒いボタンである。
  • 解答席の正面にはテレビモニターが設置されており、通常時や旅行を賭けたVTR問題の際に使用される。またモニターの手前に、自分や相手のパネルの獲得枚数がわかる表示板が設置されている。
  • 現在のパネルボードの書体は3代目である。初代は角張った文字、2代目はゴシック体になり、解答席と同様に、2001年9月30日放送分から3代目 (Lucida Bold) になった。
  • 1995年9月まで、スタジオのパネルで表示していたが、1995年10月からテレビ放送ではCGで製作したパネルを使用している。無論スタジオのパネルは現役で使われており、2009年4月から第1問・アタックチャンス・ラストコール時にスタジオのパネルでの表示が復活した。
    • 初代: 1975年4月 - 1984年9月(新学社「単元別漢字ノート」のページの数と同じ書体になっている)
    • 2代目: 1984年10月 - 2001年9月
    • 3代目: 2001年9月 - 現在

スタジオセット

オープニングの変遷

1975年4月 - 1982年3月
エールフランスの飛行機が離陸するシーン→テーマソングに合わせて、色を切り替えたり、クロマキー合成を駆使して25枚のパネルにタイトルが映し出される→アタックチャンスの黄色を含む5色のパネルがフラッシュしながら、バックにスタッフロールが流れ、最後に「25」の赤文字が浮かび上がる→司会席の児玉が「さぁ、25枚のパネルにアタックしましょう!パリです」と挨拶し、その季節ごとのパリ・フランスの風景を描写した紹介→3人が「東リパネルクイズアタック25、司会の児玉清です」「問題を差し上げます○○(出題者)です」「アシスタントの○○です」「どうぞ、よろしくお願いいたします」と挨拶→その回の趣旨を紹介した後、解答者の自己紹介→ギャラリーの応援席移動→提供読みという構成であった。
1982年4月 - 1985年3月
最初にパネルボードが登場し、そこに映る飛行機離陸シーンから、パリの日中の風景が綴られた映像にのせてタイトルバック・スタッフロール、それ以降の展開は前と同じ。
1985年4月 - 1992年9月
飛行機離陸シーンに続きタイトルバック→パネルボードの前に立った児玉と豊島が「こんにちは、この時間は"パネルクイズアタック25"でお楽しみいただきます。司会の児玉清です」「問題を差し上げます、豊島美雪です」「どうぞ、よろしくお願いいたします」と挨拶した後、先週の展開を回想するやりとり→解答者の自己紹介→ギャラリーの4色別のボード札上げ→フラッシュオンクイズという構成であった。
1992年10月 - 1994年3月
空港の映像→飛行機離陸シーン→タイトルバック(この代からCGアニメーションによる表示になった)にのせて児玉の「東リパネルクイズアタック25、まずはフラッシュオンクイズでお楽しみいただきます」の挨拶と共にフラッシュオンクイズスタート→13番点灯あとにブルーバックに提供クレジット→CMと続き、児玉と出題者が「さあ、25枚のパネルにアタックしましょう!"東リパネルクイズアタック25"、司会の児玉清です」「こんにちは、問題を差し上げます、○○です。今日もパリ目指してがんばって下さい」「どうぞ、よろしくお願いいたします」と挨拶する構成であった。
1994年4月 - 1995年9月
スタジオをバックにタイトルが映し出される→解答席の前に立った児玉と相馬が「こんにちは いかがお過ごしでしょうかお伺い致します。東リパネルクイズアタック25 司会の児玉清です。」「問題を差し上げます相馬宏美です」「どうぞよろしくお願いいたします」と挨拶→解答者紹介(その間、児玉と相馬はそれぞれの持ち席に移動)。
1995年10月 - 1996年6月
タイトルバックは変わらず、パネルの前に立った児玉と相馬が「さぁ、25枚のパネルにアタックしましょう!東リパネルクイズアタック25、司会の児玉清です」「問題を差し上げます相馬宏美です。これから30分ご一緒にクイズでお楽しみください。」「どうぞよろしくお願いいたします!」と挨拶→解答者紹介へと続く。
1996年7月 - 1999年3月
スタジオをバックにタイトルバックにCGのパネルボードが散乱し、それがまとまりタイトルに形成される→パネルの前の映像がアップになり、パネルの前に立った児玉と相馬が「こんにちは 東リパネルクイズアタック25 司会の児玉清です。」「問題を差し上げます相馬宏美です。さあ○○の旅を目指して頂きましょう。」「どうぞよろしくお願いいたします!」(これは1996年10月以降省略)と挨拶→児玉の進行でオープニングクイズに入り、その後数問問題が続く→解答者紹介→提供クレジット。このときのオープニングの曲はサラウンドで放送された。
1999年4月 - 2004年12月
ここからアニメーション→パネルの前に立った児玉が、「こんにちは、東リパネルクイズアタック25、児玉清です」(これは2000年6月まで。後に東リが冠スポンサーで無くなった際には、東リと言わなくなった)。出題席に座っている沢木が「問題を差し上げます沢木美佳子です。今日も○○の旅を目指して頑張って下さい」と挨拶→児玉が「はい、頑張っていただきます」と言った後オープニングクイズに入り、その後数問問題が続く→解答者紹介→提供クレジット。
2005年1月 - 2009年3月
オープニングクイズまでは変わらないものの、オープニングクイズが終わった後、解答者紹介→提供クレジット。
2009年4月 - 現在
アニメーションCGを事実上廃止し再びスタジオをバックにしたタイトルバックになった。それ以降の進行は変わらず。

児玉清の主なエピソード

  • 児玉は番組開始当初から司会を務めているが、前述した通り、児玉が腹膜炎に伴う入院で、2週にわたり板東英二が代役を務めたことがあった。このことが1000回記念の時のアタックチャンスの問題にも取り上げられ、その時のVTRも放映された。
  • 俳優が本業の児玉が司会を任されたのは、前身番組『クイズ・イエス・ノー』からの流れによるものだが、『アタック25』の司会では俳優らしく、その特性を生かしたキャラクターでもあり、かつパワフルな司会が人気である。
  • 2007年9月5日、フジテレビ平日正午に放送されている『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」に、児玉がゲスト出演(1年ぶり2回目)。その際に、『いいとも!』司会のタモリが「(2007年)8月頃から、アタック25で“正解!”っておっしゃってますよね、どうしてですか?(タモリの発言は8月であるが、正式には同年6月頃にはじめた)」と尋ねると、児玉が「私のモノマネをして下さっている(博多)華丸さんが、“その通り!”や“結構!”と真似して下さるので、それを自分が真似しているのではないかと思い、“正解!”と言うように変えた」というエピソードを語っている。また、この影響か「大事な大事なアタックチャンース!!」も、現在は「大事な大事な勝負のアタックチャーンス!!」と、“勝負の”を付けて言っている。
  • 同局『霊感ヤマカン第六感』(フランキー堺司会)にも出演し、「霊感ゲーム」の問題で児玉に対して「オセロゲーム」が出題され、正解を成し遂げている(相手の女性軍の問題は「はさみ将棋」)。

児玉清と博多華丸

  • 2006年9月放送の「芸能人特集」で児玉と二人でのWアタックチャンスが実現し、出場者及び後方の応援席の方々まで拍手と爆笑が溢れた。また、華丸・大吉は最後の問題を答え、華丸自身で「ラストコール」をした。提供クレジットをはさみながらのエンディングでは、解答者全員で「アタックチャンス!!」の掛け声とポーズを唱和した。(この方式は、2007年のチャンピオン大会でも取り入れられた。)また、この日の放送は、普段行われていない番組宣伝まで行われる程の回となり、これ以降、最低1問は、児玉の「その通り!○○!!(○○は、出された問題の答え)」と言っているシーンが映されるようになった。華丸・大吉の地元・福岡県(北部九州地区)での視聴率は19.8%(近畿地区12.9%・関東地区11.6%)を記録した。
  • 川崎フロンターレ 2007年8月25日川崎市等々力スタジアムで行われた日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)1部・ガンバ大阪との試合で「アタック25日」と題したコラボレーション企画を行った。
    • この企画では博多華丸を迎え、「川崎フロンターレ、大事な大事なアタックチャーンス!!」「青のガンバ大阪さん、もう1試合ご辛抱!」といったフレーズのPRや、当日のスタジアムのフロンターレ応援席(メインスタンドとバックスタンド)で「水色のフロンターレさんお見事!!青のパネルが水色に変わる!!」という合図とともにガンバのチームカラーの青色からフロンターレの水色へと観客が持ったパネルの色が変わる(青色の紙を落とし、その裏に持っていた水色のビニールシートを入場中の選手達に見せる)というパフォーマンスを行った。(参照:フロンターレ公式[1]
    • なお、華丸は福岡市出身で、故郷のJリーグチームであるアビスパ福岡を応援しているが、この年はカテゴリーが違う(アビスパは2部所属)という理由でフロンターレからの依頼を引き受けたことを自らのブログで説明した。

その他

  • 初回から数回は、児玉が1分間ほど、パネルの取り方等のルールを説明していた。
  • 解答者が正解した時に児玉がよく言っていた「その通り」の「通り」は、当時冠スポンサーだった東リとかけていた。
  • 開始当初はパネルの取り方のルールが十分に把握できず、時間切れも頻発していた。
  • 競走馬にも「アタックチャンス」がいた。2000年生まれの牡馬騸馬で、2002年にデビューしたが、平地競走10戦0勝(2着・3着各1回。4着以下8回)、障害転向後も4戦0勝(全て4着以下)の合計14戦0勝(2着・3着1回ずつ。4着以下12回)で2003年に競走馬を引退した。(詳細:[2]
  • かつてライバル局の毎日放送が、ちょうど重なる時間帯に近畿ローカルのクイズ番組をぶつけていた。特に『クイズGoGoZ』はネット局(HBCCBCITVRKB)で放送されるなど好評だったが、『アタック25』には視聴率面で遠く及ばず短期間で終了している。
  • 他系列がこの時間帯(日曜13時台)の広告料金をゴールデンタイムより低く設定しているのに対し、ANNはゴールデンタイム並みの料金に設定している(つまり最高ランク)。これはANN系が全国ネット枠となっているのに対して、他系列はローカル枠となっているためである[11]
  • 最後の海外旅行挑戦権の問題において、日本国内の地名・人名に関する問題が出題される場合は、大体その地域にあるANN系列局が協力している。
  • 解答の正誤判定は児玉一人で行っており、時には児玉の裁量違いで正答が不正解扱いになるケースが稀にある(前例では宮沢りえの曲名を当てる問題で、解答者が「ノンタイトリスト=NO TITLIST」と正答したのにもかかわらず、児玉に「ノータイトリスト」が正解とされてしまい、不正解にされたことがある)。
  • 毎日放送アナウンサーの森本栄浩は、関西学院大学の学生をしていた1983年の年間チャンピオン大会で優勝した。
  • かつてABCの社員として1960 - 1980年代にかけ『お荷物小荷物』『必殺シリーズ』『ザ・ハングマンシリーズ』など数々の名作ドラマを世に送り出したテレビプロデューサーの山内久司は、2007年5月20日放送の読売テレビたかじんのそこまで言って委員会』(放送時間上は裏番組に当たる)にパネリストとして出演した際、この番組について「あんな(制作費の)安い番組やめられまへん」と褒めているのか貶しているのかどちらにも受け取れるコメントをしていた。

番組休止・変更

  • 毎年8月に行われる『全国高等学校野球選手権大会』の決勝戦が日曜日にあたる場合、休止となる。準決勝が日曜にあたる場合はABCや準決勝進出校の地元局のみ放送日・時間変更となり、それ以外のネット局は裏送りで対応。他にも地方予選の決勝が日曜の場合、放送時間が変更される。
  • 毎年11月-12月に放送される国内ロードレース中継の際は下記の対応になる。
  • 年末最終週は『新婚さんいらっしゃい!』の1時間スペシャルを放送するため休止。正月三が日においても正月向け特別番組を編成するため休止になることが多い。
  • 同時間帯で放送している『噂の!東京マガジン』『そこまで言って委員会』『お笑いワイドショー マルコポロリ』などと同様年末年始を除き、番組が休止になることはほとんどないものの、1989年1月8日には昭和天皇崩御、歌舞音曲自粛に伴う追悼特別番組を編成したことによって、また、2010年2月28日には前日発生したチリ大地震に伴って大津波・津波警報が発令されたことに関する報道特別番組を編成したことによって休止している。

パロディ

  • 他局でのパロディは非常に多いが、ABC自身もたびたびパロディの題材にしている。
    • ごきげん!ブランニュ』では、「アタック25やろう!」という企画で、出演者が本物のセットと出題者で普通に1回分のアタック25をやるだけというのがあった(問題は「喜連瓜破」という地名が正しく書いてあるのはどれか答えるなど、関西ローカルに特化したものだった)。
    • 2006年6月30日放送の「ブラマヨ最強宣言!!」でも「ブラマヨのアタック25」として本物のセットを使って吉田敬が司会、小杉竜一三井麻由川島邦裕野生爆弾)、水口靖一郎が解答者、沢木が問題読みとして出演した。ルールは本家と違い、解答権は無制限で正解が出るまで続く・お手つきで2回休みのルールはなし・問題の後半では吉田に関する事が出題された。だが吉田の三井に対するえこひいきが凄く、川島の正解後の三井の余談を正解にする・正解が桂三枝という事で三井にパネルを3枚取らせた上、パネルに接していないパネルを取らせるといった本家のルールを完全無視した進行に、水口が「取り方おかしい!」と突っ込み、小杉が正解の際は通常通りのルールに激怒するが、吉田の「アタック25って普通1枚じゃないですか?」の言葉に小杉は「うわ、最悪や」と呆れる。アタックチャンスでは、権利を得た三井が変えられるパネルがあるにも関わらず別のパネルを指定した上、アタックチャンスの狙い目に全く勝負に影響しないパネルを指定し、小杉は「アタック25としては全くルール無視の展開や」と呆れ返った。最後は残りの4枚のパネルを一気に獲得した三井が優勝、VTRクイズは吉田の自宅が出題され三井は答えられなかったが、吉田の正解発表後に三井が答えて正解とされた。終了後、小杉は「色んな人に迷惑が掛かった」、吉田は「セットとかスタッフの充実感と、司会者の腕とのバランス悪いの初めて」と反省した。
  • 同局の関西ローカルの深夜番組『クイズ!紳助くん』での年末特番や朝日放送の特別番組では『アタック25』のパロディ企画が行われる。ここでは、島田紳助が児玉になりきって司会を担当する。しかし紳助司会の場合は本家では考えられない笑いが出る収録になっている。
    • 2001年末に放送された時には沢木が既婚者だったことも紳助からバラされ、さらに「25枚のパネルに一色に染めたチームは沢木さんを連れて帰っても結構です」などと発言、紳助が過度にいじっていた。この回の賞金は300万でフィルムクイズは国名を当てるものだったがかなり難問(正解:スワジランド王国)であったため、優勝したロザン山田花子チームは正答できず300万円を逃した。
    • 2002年の年末特番では「児玉さんが今年お亡くなりになりましたので、代理で私が司会を担当します」などと発言、また紳助が沢木を散々いじったために動揺してしまい、本家では考えられないミスを連発(噛んでしまう、笑ってしまうなど)してしまったことから、紳助が「今沢木さんの体調が弱っています。沢木さんにアタックチャンス!!」などと発言、本家では見られない展開となった。板東英二大河内奈々子ペアがフィルムクイズで正解し、賞金200万ウォンを獲得した。なお、この時の紳助と沢木は番組中「賞金200」としか言っておらず200万ウォン(約20万円)とわかった後、紳助が「気ぃついてません?1回も『円』って言ってませんけど」と発言した。
    • 2006年3月20日にABCの番組対抗クイズ「番組ナンバーワン決定戦」(ABC開局55周年記念特別番組)の決勝で行われ、『朝だ!生です旅サラダ』チームが優勝したものの、フィルムクイズ(ABCが放送していた過去のヒット番組=『プロポーズ大作戦』を1コーナーである「フィーリングカップ5対5」と答えて)は誤答して失格に。この時はくす玉が用意されていたが、割られることなく終わった。また、この時のスタジオパネルは、モニターにCGパネルを映したものだった。紳助は「こんなの間違うわけがない。4月に旅サラダは終わります」「新番組は島田紳助のいい旅・夢気分になります」とエンディングで言われる始末だった。尚他にも紳助がアタックチャンス後に「次これ正解すれば25(アタックチャンスの指定されたパネル)を取れるんでしたっけ?」と言って全回答者が紳助に総突っ込みだった。
    • 2008年5月6日には「朝日放送新社屋完成記念 番組対抗No.1スペシャル 〜オールスター大集合!おめでたバトル〜」の決勝で『ビーバップ!ハイヒール』チームが優勝、フィルムクイズ(ある人物=福澤諭吉)も正解し、フィルムクイズ正解の賞金100万円を獲得した。尚番組自体は紳助の暴言はエスカレートして「沢木さんに久々会いましたが老けましてね」たむらけんじに「1回不正解すると2度営業停止だぜ(たむらの経営している焼肉たむら)」等本家では考えられない展開だった。

関連書籍

  • 1983年11月1日に『東リ・パネルクイズアタック25』の書名で、大泉書店より発行された。大きさは新書判で、全1250問・219ページで構成されている。8 - 9ページの目次に「パリ挑戦者(向かって左)を激励する児玉清さん」という写真があるが、このときのトップ賞とパリ旅行挑戦権を獲得したのは、当時滋賀県の大学生・早川浩一だった(獲得パネル数10枚、フィルムクイズである人物・「ガンジー」を見事正解してパリ旅行を獲得。長寿番組でありながら、これまで1冊しかクイズ本が発行されていない中で、唯一掲載された挑戦者である)。
    • 現在は絶版となっている。発刊から長期間経過していることもあって古書店でも探すのが難しく、ネットオークションの出品も稀で当時の定価(650円)の数倍から十数倍もの高値での落札となるケースが多い。

ゲームソフト

  • 富士通パソコンシステムズ: プレイステーション版・Windows95版・Macintosh版のゲームソフト(全て1997年)を発売していた(他に100万円クイズハンターのゲームも発売された)。
    • PS版: ゲーム内容はオープニングからエンディングのフィルムクイズに至るまで実際の番組(発売当時)の流れを完全に踏襲しており、司会の児玉も実写ムービーで登場するなど、番組の雰囲気の再現性は非常に高い。クイズゲームとしても、問題数の多さに加え、一度出題された問題はセーブデータに記録されて出題の優先度が下がるなど、独自の仕様により高い評価を得ている。他にもクイズだけで楽しむモードや、逆にクイズなしでスロットマシンを使ったモードが楽しめる。また、「勝ち抜きアタック」モードで優勝し、フィルムクイズを正解すると、「ニューヨークの様々な光景」がテーマの映像が流れ、そのあとに「勝利の言葉」が表示される。この言葉、応募券とともに自身のプロフィールなどを郵送すると、先着500名にオリジナルグッズが貰えた。
    • PC版: PS版では予選がなかったのに対し、こちらは応募ハガキの記入から始まり、予選の筆記試験、面接を合格できれば番組出場と、実際の番組参加手順を更に忠実に再現している(ただし、実際の予選はディレクター以上のスタッフが仕切るのに対し、このソフトではADが予選を仕切るようになっている)。
  • デジキューブ(のちに倒産現存せず): プレイステーション2版のゲームソフト(2002年)を発売していた。
    • PS2版: PC版と同じく応募ハガキの記入からスタート。まれに、予選会の通知ではなく「近所のスーパーの特売」といったものが届き、その時点でゲームオーバーになることがある。オリジナル解答者を作って成績を保存する事もできる。予選もある程度再現されており、筆記試験、面接が行われる。面接の受け答えによっては、ミニゲームに挑戦することもある。本戦では、1問目はおてつきなし、アタックチャンスや旅行クイズの前にCMをはさむ(設定で省くことも可能)、パネルが規定の数だけ埋まると、「画面を見て答える問題」「音楽を聞いて答える問題」が出題されるなど、本戦の雰囲気を最大限に踏襲している。他にも専用マルチタップで最大4人まで対戦できるパーティモードがある。優勝するとプロデューサーからデジタルカメラが貰え、コントローラーの操作でスタジオ内をそのカメラで撮ることができ、それを保存しプリンターに繋げてプリントアウトすることもできる。そして児玉、沢木、プロデューサーがゲーム内で言った台詞を聞けるモードがある(言っていない台詞は聞くことができず、全部集めるのには時間がかかる)。さらに、ある条件を満たすと、チャンピオン大会モードが追加される。また、タイトル画面でコントローラー2のR1を押すことでパネルシミュレーター機能が利用できる。なお、海外旅行挑戦権クイズに使われる音楽はオリジナルである。

冠スポンサー

この番組の冠スポンサーは以下のように移り変わっている。2000年7月以降は冠がつかず、単に「パネルクイズ アタック25」として放送されている。

  • 1975年4月 - 1986年3月: 東洋リノリユーム(現・東リ)(一社提供)「東リ・パネルクイズアタック25
  • 1986年4月 - 1986年9月: 冠スポンサーはないが、東洋リノリユーム・小林製薬の二社提供だった。同時に「パネルクイズ」の字体が変わり、1986年10月から再び冠スポンサーが付いたときは「パネルクイズ」の上に冠スポンサーが付いた。
  • 1986年10月 - 1987年3月: アルインコ(一社提供)「アルインコ・パネルクイズアタック25」但し、途中から日興証券・日興投信(日興証券・日興投信と交互に60秒)、とほか1社(30秒)が加わり、アルインコは90秒に縮小された。
  • 1987年4月 - 1992年9月: 日興証券(現・日興コーディアル証券 提供表示も3つ前のロゴでは使わなかった。2つ前の物はそのまま使った。)・日興投信(現・日興アセットマネジメント)(各60秒)「日興パネルクイズ アタック25」(児玉は「日興証券パネルクイズ アタック25」と言っていたが、レッドバックでは「日興パネルクイズ アタック25」と表示されていた)
    • ここから複数社提供(日興証券・日興投信他各社)になり、1991年6月 - 11月は冠が外れた[12]
  • 1992年10月 - 2000年6月: 東リ「東リ・パネルクイズアタック25

なお、東リは上記以外にも1991年10月~1992年9月、2000年7月~2002年3月、2007年4月~2008年3月にも30秒枠で提供しており、一時撤退した時期もあるものの長らく当番組のスポンサーをしており、スタジオのセットには現在も同社の製品が使われている。また、「東リ・パネルカーペット・アタック」シリーズの商品名はこの番組の名称にちなんでいる。

提供クレジットは、番組開始当初の東洋リノリユーム一社提供時代は、白地に同社のシンボルマークの大写しを使用(開始当初は上に提供を表示したが、暫くすると表示されなくなった)、その後日興證券時代から複数スポンサーになってからは1996年9月29日までブルーバックが使用されていたが、現在はスタジオを挟んでの提供クレジットを使用している。

現在番組スポンサー(冠スポンサーではない)のひとつであるジャパネットたかたのTVショッピング(CM)は、高田明社長らジャパネット社員が「この時間は(商品名・機器名)にアタックします!」と言っている。

ネット局と放送時間

2010年10月現在

ネット局について

  • ANN系列とNNN系列のクロスネット局として開局した静岡県民放送(現:静岡朝日テレビ)は、開局した1978年7月[13]から1979年6月まで『TVジョッキー』をネットするために30分繰り上げ12:45 - 13:15に放送していた。静岡放送が1979年3月まで『新婚さんいらっしゃい!』のネットを手放さなかったための代替策でもある。1979年7月にNNN系列フルネット局の静岡第一テレビが開局し、静岡県民放送がANNフルネット化してからは同時ネットに移行している。
  • 1991年3月までANN系列とNNN系列のクロスネット局だったテレビ信州では、開局当初から13:15から『TVジョッキー』をネットしていた。しかし1982年4月に『TVジョッキー』の放送時間が13:00からの放送に繰り上がったが、テレビ信州では前枠で『新婚さんいらっしゃい!』の同時ネットをしていた関係で『TVジョッキー』を打ち切って当番組の放送を同時ネットで開始したものの、1991年4月にANNフルネット局として開局した長野朝日放送に放映権が移行している。また、1993年3月まで同じくNNN系列とANN系列のクロスネット局だった山形放送でも放送されていたが、1993年4月に山形テレビFNN系列からANN系列にネットチェンジしたため、同局に放映権が移行している。
  • ANN系列フルネット局が今より少なかった時期は、いくつかの他系列の局などで数週遅れで放送していたが、35年目に入る2009年4月からはなくなった。なお、愛媛県では愛媛朝日テレビ開局前はテレビ愛媛(FNN系列)で放送されていた他、石川県では北陸朝日放送開局前は北陸放送JNN系列)で、福井県では福井テレビ(FNN系列)で、鳥取県・島根県では山陰中央テレビ(FNN系列)で、高知県ではテレビ高知(JNN系列)で、それぞれ放送されていたが、短期間で打ち切られている。宮崎県ではテレビ宮崎が当初日曜13:00から放送していたほか、現在FNN系列時差ネット枠の金曜19:00枠で放送していた時期もあったが、編成上の都合で1996年10月に宮崎放送(JNN系列)へ移行したものの、2002年12月をもって打ち切りとなった。また、長年唯一系列外で放送されていた、富山県の富山テレビ(FNN系列)も編成上の都合から2009年3月26日放送分(ABCほかテレビ朝日系列では3月8日放送分)をもって放送を終了した。

スタッフ(2010年11月現在)

  • 協力:JTBグループ PTSカガミ(旧・各務プロダクション) ほか
  • 構成:高見孔二
  • 問題アドバイザー:山口牧生
  • 問題チェック:吉氏眞理 他(週替わり)
  • 音楽:山下毅雄
  • ディレクター:植田貴之、朝日源
  • プロデューサー:尾島憲
  • 制作著作:ABC(1989年3月31日までは「朝日放送」と表記、2008年1月放送からは、横長四角で「ABC」(新CIロゴ)と表記になった。)

過去のスタッフ

  • 構成、監修:堤章三
  • チーフプロデューサー:小森成樹(現・ABCリブラ代表取締役社長)
  • プロデューサー:河野雅人、月村潔、吉田多満子、北條信之、野条清(元・アナウンス部長)、秋山利謙、岩城正良
  • ディレクター:岡本悦治、野条清、清水雄一郎、及川瑞葉、岩城正良、鳥海久慎、小城修哉、佐々木聡子、佐藤真澄、矢野政臣

スタッフ、制作クレジットは、1980年代前半頃までは、オープニングで紹介していた。

脚注

  1. ^ ごく稀に12:30 - 13:00に放送される場合もある。
  2. ^ 局によっては後日時差放送を行わず、放送休止になる場合もある(直前番組である『新婚さんいらっしゃい!』も同様)。
  3. ^ ABCのANN系列局への裏送りは『新婚さんいらっしゃい!』などのABC制作の全国ネット番組でも行われる他、またABCでは全国高等学校野球選手権大会が日曜日に4試合行われる日は、EX制作の『平成仮面ライダーシリーズ』も後日時差放送となる。
  4. ^ HTBクライマックスシリーズ中継の時は前倒しして放送を行った。
  5. ^ 通常は、「赤」という風に色の名前を呼ぶが、チャンピオン大会の予選では、「○○さん」と名前で、さらに同じ名字が複数いる場合には、「○○県の○○さん」などと言って指す。
  6. ^ 解答者のスコアはパネルの獲得枚数で決めるため、「○点」とは言わず、「○枚」と言う。
  7. ^ アトランダムに光るパネルを解答ボタンで押して止めていた時期もあった。その際流れるBGMが、その後のフラッシュオンクイズで流された。
  8. ^ 児玉は、長年の経験でパネルの取り方を熟知しており、角を取れるにも拘らず取らなかった場合は「何故角を取らない?!」と言ったり、適切ではない場所のパネルを取った場合は、少し唸って「○番を取った方が良かった」と言ったり、何故その場所を取ったのか解答者に理由を聞く事がある。
  9. ^ 実際、シミュレーションによる解析を行った研究(野口陽来、松井利樹、小森成貴、橋本隼一、橋本剛『アタック25の最適戦略』、第12回 ゲーム・プログラミング ワークショップ 2007、pp.144-147、2007)では、1問目に正解して中央を取った解答者は2枚目のパネルは他の解答者に取らせた方がよいという結果が出ており、また、このように、正解すると不利になる参加者のいる局面が全体の3.8%あるという結果が出ている。ただし、この研究ではルールを一部簡略化している。
  10. ^ ただし、児玉は、残りがおおむね7枚になってくると「まもなくアタックチャンスに入る可能性あり。お立ちにならないでいきましょう!」と言う。
  11. ^ 放送開始から半年後に採用。当初はスルー、誤答の場合はアタックチャンス消滅。
  12. ^ 2005年 - 2006年に同点決勝の場合はCMなし。この時は、同点決勝の前にCMが入っていた
  13. ^ 2006年9月3日に放送された芸能人大会において出産直前だったジャガー横田がその例外の1人になった。ペアでの大会だったため、不正解の際はペアを組んでいた夫の木下博勝のみ「お立ち」とした。
  14. ^ この状況は『仮面ライダーシリーズ』がABCと毎日放送のネットチェンジでJNN系に移ったことによりNETと東映スーパー戦隊シリーズを放送する事になったのと同時である。
  15. ^ 『ベルトクイズQ&Q』『夢の世界旅行・クイズジャンボ』等。
  16. ^ ただしHAB富山営業支局(テレビ朝日富山支局と同居)では予選は行われない。
  17. ^ FBC、UMK、ABC徳島支局ABC高知支局、鳥取県・島根県に所在するテレビ朝日の各支局でも予選は行われない。

出典

  1. ^ 埋められた5分枠は、新聞などではガイドと明記され、一般CMや番宣を放送する枠だった。なおこの枠は、毎日放送ネット時代の『グロリアホームクイズ 歌って当ててハイ何点』→『ダイビングクイズ』→『(5人抜き)クイズ・イエス・ノー』時代から存在していた。
  2. ^ 当時、朝日放送テレビ第二制作部長。
  3. ^ 代表作にテレビ朝日『クイズタイムショック』や朝日放送『霊感ヤマカン第六感』など。
  4. ^ 100万円クイズハンター』のゴールデンハンマー対象商品が出なかった時と同じ対応。
  5. ^ 児玉が「2問の間御辛抱」や「あと1問御辛抱」と言う。
  6. ^ 先行で放送される「新婚さんいらっしゃい!」司会を桂三枝が第1回の放送から現在まで司会を担当しており、2010年3月現在で実に39年に渡り司会を続けている。これは日本のテレビにおけるバラエティ番組史上の最長の司会記録である等、アタック25との共通点が多い。
  7. ^ 後に『5人抜きQ(クイズ)・イエス・ノー』と改題。
  8. ^ 夫婦、恋愛トーク番組のみ。
  9. ^ 旅行クイズの正解は、1989年の時は古関裕而で、1993年の時は尾崎行雄だった。
  10. ^ パネル獲得数が一番多いチームが優勝というルールはレギュラー版に準ずるものだったが、ゲーム終了時に生き残りが1人でもいるということが条件だった。しかし、パネル獲得数が一番多かったチームは、ゲーム終了前に25人の解答者を使い果たして失格となり、パネル獲得数が2位となったチームが代わりに優勝した。
  11. ^ 1990年代まで日本テレビ系、TBS系、テレビ東京系も同時間帯は全国ネット枠だった。
  12. ^ 損失補填問題に伴うもの。日興証券・日興投信が急遽降板し、複数スポンサーのみ。日興証券・日興投信の代わりに公共広告機構(現:ACジャパン)の啓発CMで穴埋め。
  13. ^ 静岡県民放送開局前は、FNN系列テレビ静岡が時差放送していた。

外部リンク

朝日放送(近畿ローカル、本番組開始以降はANN系列) 日曜13:15 - 13:45→13:25 - 13:55の枠
前番組 番組名 次番組
家族そろって歌合戦
TBSJNN系列共同制作)
※13:15 - 14:25
ここまでJNN系列
毎日放送に番組及び共同制作移行)
パネルクイズ アタック25/log20220525
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ANN系列 日曜13:15 - 13:45→13:25 - 13:55の枠
末廣演芸会
(関東ローカル。地域により別編成)
※13:15 - 14:00
(枠移動=16:30 - 17:15)
パネルクイズ アタック25
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