[go: nahoru, domu]

コンテンツにスキップ

マグサイサイ賞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Nopira(会話 | 投稿記録) による 2005年12月1日 (木) 14:54個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (en:Ramon Magsaysay Award、ほかマグサイサイ財団公式サイトなどより)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)

マグサイサイ賞は正式名称をラモン・マグサイサイ賞Ramon Magsaysay Award)といい、フィリピン大統領ラモン・マグサイサイを記念して創設された賞である。毎年アジア地域で社会貢献などに傑出した功績を果たした個人や団体に対し、マニラ市のラモン・マグサイサイ賞財団により贈られ、「アジアのノーベル賞」とも呼ばれる。現在この賞には以下の6部門がある。


  • 政府(Government Service)
  • 社会奉仕(Public Service)
  • 社会指導(Community Leadership)
  • 報道・文学・創造的情報伝達(Journalism, Literature and Creative Communication arts)
  • 平和・国際理解(Peace and International Understanding)
  • 新興指導者(Emergent Leadership)


歴史

この賞は、1957年3月17日にフィリピンのラモン・マグサイサイ大統領が航空機事故で死去したのを受け、1957年4月、ニューヨークのロックフェラー兄弟基金(RBF)の出資で発足した。これに協力していたフィリピン政府は、ラモン・マグサイサイ大統領の政治における清廉潔白さ、国民への勇気ある奉仕、民主主義社会でのプラグマティックな理想主義といった不朽の功績を称え、賞の創設にあたり彼の名を記念することとした。1957年5月、戦前のフィリピン・コモンウェルス(独立準備政府)大統領経験者や、マグサイサイ氏の父ら7人の高名なフィリピン人が、賞の授与を実施するための非営利組織「ラモン・マグサイサイ賞財団(RMAF)」の創設理事会に名を連ね、翌1958年RMAFが発足し最初の授賞式が行われた。

RMAFは、1959年にはフィリピン議会より、ロックフェラー財団からの出資額に相当する土地の寄付や免税の特権を受け、1968年からはロックフェラー財団からの更なる援助により、財団が入居するラモン・マグサイサイ・センターが建設された。またフィリピン国内外の個人や企業の寄付により、図書館の運営、アジアの問題に関するシンポジウム開催などさまざまな活動を行っている。現在の理事会は各界から選ばれた9人のフィリピン市民が4年交代で勤め、そこで任命された理事長が常勤で財団の運営を行っている。

RMAFは人種・信条・性別・国籍を問わず、それぞれの分野で傑出した業績を達成したり、世間の賞賛を期待せずに寛大に人々を助けたりした個人や組織を表彰し賞を授与している。授与式は毎年8月31日(マグサイサイ大統領の誕生日)に開催され、受賞者にはメダルと賞金が授与される。当初、賞は政府部門、社会奉仕部門、社会指導部門、報道・文学・創造的情報伝達部門、平和・国際理解部門の5部門からなっていたが、2000年のマグサイサイ賞授与式典で、財団は6番目の部門となる新興指導者部門をフォード財団の支援で創設した。この賞は「それぞれの地域社会で、社会の変化による問題に取り組んで多大な業績をあげたが、その指導力が地域社会の外ではまだあまり知られていない40歳以下の個人」に対して贈られ、2001年に最初の授与が行われた。

受賞者

1958年の第1回以来現在まで、アジア全域から200以上の個人や10を越す団体が賞を受けている。(w:List of Magsaysay awardeesを参照)中には多くの日本人もいる。

日本人受賞者の一部

外部リンク