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奴隷

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奴隷(どれい)とは、ヒトでありながら所有の客体となる者、またはその階層や階級をいう。

有史以来、人がヒトを所有するという奴隷制度は一般的であった。しかし仏教キリスト教イスラム教が人間愛を説いてその存在に疑問を投げかけた。近代になると天賦人権説が広まり各国で奴隷制度が廃止されるようになった。現在では原則としてヒトの所有及びその取引が禁止されているが、今も奴隷制度は至る所に差別や迫害に姿を変えて残存している。

奴隷制度は時代や地域によって様々な形態が見られる。古代ギリシャ古代ローマでは階級として固定されたものではなく、生活困窮者や捕虜が奴隷の身分に落とされ、後に解放されて自由人の仲間入りを果たすこともあった。インドではカースト制度の元で奴隷制度が存続し現在も大きな影響を与えている。中国では律令制度などに組み入れられた奴隷のほか、職業で差別される賤民がいて中華人民共和国の成立によって解放された。またアメリカ合衆国においては奴隷制度が経済活動や人種的な差別と密接に関連し身分が固定された。日本においては律令制度の五色の賤荘園制度の中の奴卑下人が奴隷に当たる。また江戸時代に固定化された穢多非人のように支配政策の上で奴隷身分と同じように処遇された者もいた。

このように時代・地域によって奴隷制度には多様性があるが、共通してその待遇は過酷で存在根拠に正当性や合理性をもたせるものは一切ない。

諸国の奴隷制度

ユダヤ人

ユダヤ人エジプトに移住した後に奴隷化された。モーゼの指導でエジプトを逃れ、一時、繁栄したがその後再び国を失い奴隷や捕虜または流民と化した。ヨーロッパに移住した者は、ローマ教皇によって職業選択の自由を奪われ下層階級に置かれた。キリスト教が金融業を禁止していたため、ユダヤ人は銀行制度を創設し経済に重きをなしたが、隔離されたゲットーに住まわされるなど差別的な待遇を受けた。ナチスの迫害を受け世界の同情を受けたが、今もユダヤ人に対する差別が根絶されたわけではない。

古代ギリシア

市民は生産活動には従事しておらず、専ら奴隷の犠牲の元にこれらの華やかな文化が成立したとの見方もできる。当時の奴隷は市民や国家の私有財産として扱われ、哲人アリストテレスは、「奴隷は肉体によって所有者に奉仕する。」と定義した。

アメリカ合衆国

奴隷はアフリカから拉致されて売買された後、強制的につれて来られ人々である。この場合肌の色が黒いのでひと目で奴隷階級と分かることとなった。奴隷制度はリンカーン大統領の時代に廃止されたが、その後も肌の色で識別されるため奴隷階級としての生活が長く続いた。

一般市民以下に固定された奴隷階級を持つ奴隷制度では、両者間に民族的な違いがある場合が多い。征服民族が被征服民を奴隷身分に落として、階級の固定化、通婚の禁止をとおして支配の安定化を図った結果である。(アパルトヘイト参照。)

インド

ヒンドゥー教カースト制度にスードラという階級名で奴隷制度が定められた。現在は法的に規定されるものではないが、現実には今も差別が存在し職業選択の自由・居住の自由の制限を受けている。低所得層が多いスードラでは高等教育受ける機会も少なく、その階級から抜け出すことの障害になっている。改宗することによってスードラから逃れることも可能ではあるが、結婚において所属カーストが厳しくチェックされるなど社会の隅々までカースト制度が浸透しているインドではそれも困難である。また、カースト制度には奴隷階級以下の不可蝕賎民と呼ばれる人々が1億人以上も存在していて社会問題になっている。

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