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松山英樹

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 松山英樹 
Hideki Matsuyama
基本情報
名前 松山英樹
生年月日 (1992-02-25) 1992年2月25日(32歳)
身長 180 cm (5 ft 11 in)
体重 75 kg (165 lb)
出身地 愛媛県
経歴
成績
優勝回数 日本ツアー:4勝
初優勝 三井住友VISA太平洋マスターズ2011年
2013年9月8日現在
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松山英樹(まつやま ひでき、1992年2月25日 - )は、日本プロゴルファー愛媛県松山市出身。明徳義塾中学校・高等学校卒業。現在東北福祉大学在学中。日本人最年少マスターズ予選通過者(当時19歳)。

アマチュア時代には、日本のアマチュアゴルファーとして初めてマスターズの出場権を獲得した。

略歴

4歳のときに、日本アマ出場経験もある父親の影響でゴルフを始める。中学2年のときに「ゴルフをやる環境を整える」目的で、ゴルフ部のある明徳義塾に転校した。2008年には全国高等学校ゴルフ選手権大会で優勝し、日本ゴルフ協会(JGA)のナショナルチームにも選ばれるなど頭角を現す。

2010年に東北福祉大学に進学。同年のアジアアマチュアゴルフ選手権で日本人として初の優勝を遂げ、翌年のマスターズ出場権を獲得。翌週の日本オープンでも並み居るプロゴルファーを従え3位に入りローアマチュアを獲得した。

2011年にはマスターズに出場、予選を通過し、日本人としては初めてローアマチュアを獲得した。同年11月には、三井住友VISA太平洋マスターズ倉本昌弘石川遼に次ぐ3人目のアマチュアでの日本ツアー優勝を果たした[1]

2013年4月にプロ転向を表明。ただし大学のゴルフ部の主将は引き続き務めるほか、プロとしても当面「東北福祉大学所属」としてプレーする[2]

同年のつるやオープントーナメントでは、最終日首位と2打差の2位からスタート。後半15番で首位に並ぶと、上がり4ホール連続バーディーを含む逆転優勝を飾る。プロ転向2戦目での優勝は、1999年JGTO「日本ゴルフツアー機構」発足後では、従来の5試合を抜きツアー最短記録[3]。JGTO設立以前では、1979年中四国オープンにプロデビュー戦の重信秀人が、1981年の日本国土計画サマーズでは、松山と同じプロ転向2戦目の倉本昌弘がそれぞれ優勝している[3][4]。6月の全米オープンでは10位に入り、次年の全米オープン出場権を獲得した。また、9月の全英オープン においても6位タイの成績を収めた。海外メジャーにおいて、二戦連続で10位以内は日本人初である。

主な戦績

優勝歴

日本ツアー

勝数
ツアー (4)
No. 日時 大会 優勝スコア 打差 2位
1 2011年11月13日 三井住友VISA太平洋マスターズ -13 (71-64-68=203) 2打差 日本の旗 谷口徹
2 2013年4月28日 つるやオープンゴルフトーナメント -18 (69-63-68-66=266) 1打差 アメリカ合衆国の旗 デービッド・オー
3 2013年6月2日 ダイヤモンドカップゴルフ -9 (71-69-68-71=279) 2打差 大韓民国の旗 キム・ヒョンソン
4 2013年9月8日 フジサンケイクラシック -9 (66-70-66-73=275) プレーオフ 日本の旗 谷原秀人
大韓民国の旗 S・J・パク

プレーオフ記録 (1-0)

No. 大会 対戦相手 内容
1 2013年 フジサンケイクラシック 日本の旗 谷原秀人大韓民国の旗 S・J・パク プレーオフ2ホール目、谷原、パク2オン2パットのパー、松山2オン1パットのバーディー。松山の優勝。

人物

周囲の人物によれば「性格は天然ボケ」。知人と一緒に食事に行った際に、食事を注文した5分後には何を注文したか忘れてしまったこともあるという[5]

大舞台でも物怖じしない度胸の良さが武器で、本人曰く「ギャラリーの多い試合が好き」。所属する東北福祉大の監督からも「動じないタイプ」と評されている[5]

好きな芸能人は広末涼子上戸彩。スポーツ選手ではタイガー・ウッズイチローに憧れている[5]

2013年に入り、ゴルフでのスロープレーの傾向を度々指摘され、ゴルフ関連メディアで話題となっている。同年の全英オープンでは3日目の17番ホールでスロープレーにより1打罰を課せられた[6]。また同年のフジサンケイクラシック最終日でも、同組で回った横尾要が松山のスロープレーぶりに対し苦言を呈している[7]

脚注

外部リンク