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1926年3月、衣笠は葉山で妻を看病していた横光の自宅に赴き、映画製作の相談をした<ref name=toeda/>。了承した横光は、4月2日に川端を呼び出し、「営利を度外視してよき芸術映画を製作せんとする企て」を衣笠から横光邸で聞かされた<ref name=toeda/>。横光はこの他、[[片岡鉄兵]]、[[岸田国士]]、[[池谷信三郎]]にも声をかけ、新感覚派映画聯盟が成立した<ref name=toeda/>。同年、横光が題をつけた『[[狂つた一頁]]』が製作された{{Sfn|福田|1967|p=131}}。横光は字幕が入ることで損なわれる映画の純粋性を考慮して、無字幕を提案した<ref name=toeda/>。川端は脚本を書いたが、横光は妻の看病で葉山にいたため京都で撮影されていた映画に直接は関われなかった<ref name=toeda/>。
1926年3月、衣笠は葉山で妻を看病していた横光の自宅に赴き、映画製作の相談をした<ref name=toeda/>。了承した横光は、4月2日に川端を呼び出し、「営利を度外視してよき芸術映画を製作せんとする企て」を衣笠から横光邸で聞かされた<ref name=toeda/>。横光はこの他、[[片岡鉄兵]]、[[岸田国士]]、[[池谷信三郎]]にも声をかけ、新感覚派映画聯盟が成立した<ref name=toeda/>。同年、横光が題をつけた『[[狂つた一頁]]』が製作された{{Sfn|福田|1967|p=131}}。横光は字幕が入ることで損なわれる映画の純粋性を考慮して、無字幕を提案した<ref name=toeda/>。川端は脚本を書いたが、横光は妻の看病で葉山にいたため京都で撮影されていた映画に直接は関われなかった<ref name=toeda/>。


1926年6月24日、妻・キミが三浦郡[[逗子町]]で20歳で死去{{Sfn|福田|1967|p=194}}。このころの二人のことは「[[春は馬車に乗って]]」「妻」「慄える薔薇」「花園の思想」「蛾はどこにでもいる」などに書かれている{{Sfn|福田|1967|p=54}}。姉が「あんたも苦労のしつづけね」と言って慰めると、横光は「おれも随分つくしたが本当のことをいえばしまいにはつくづく厭になって疲れてしまった」と愚痴をこぼした<ref name=":5" />。妻の葬儀は[[麹町]]の有島邸内[[文藝春秋]]社で執り行った{{Sfn|福田|1967|p=54}}。「春は馬車に乗って」で妻に「あたしの骨の行き場がないんだわ」と言わせた通り、横光の籍に入っていないキミを横光家の墓に入れることが難しかったため7月に婚姻届出。キミの死後、横光は一時キミの実家である小島家で暮らしていたが、キミの2歳年下の妹の肉体に惹かれるものを感じ、恐怖して小島家を出た<ref name=":0" />。横光はこのことを「蛾はどこにでもいる」で、「彼はだんだん義妹の身体が恐くなつた。或る日、彼は黙つて妻の家から逃げ出した」と表現している。8月に発表された「春は馬車に乗って」は文藝春秋社の一室を借りて書かれた{{Sfn|福田|1967|p=54}}。題は、ノルウェーの作家アレキサンダー・キーランドの「希望は四月緑の衣を着て」の影響を受けた{{Sfn|福田|1967|p=140}}。典拠とした翻訳は前田晃訳で博文館から1914年に刊行された『キイランド集』であった<ref name=toeda/>。この頃、菊池寛の周囲に出入りしていた文学女性の一人であった小里文子と恋愛関係になり同棲を開始するが、文子は結核に罹っており、横光は再び結核患者の看病に明け暮れることとなった。文子との生活は「計算した女」に描かれたが、やがて2ヶ月ほど経ったある朝、「あなたに頂いた私の健康はお返しします。お受け取り下さい」という置手紙を残して文子は横光から去ってしまった<ref name=":0" />。
1926年6月24日、妻・キミが三浦郡[[逗子町]]で20歳で死去{{Sfn|福田|1967|p=194}}。妻の葬儀は[[麹町]]の有島邸内[[文藝春秋]]社で執り行った{{Sfn|福田|1967|p=54}}。7月に婚姻届出。このころの二人のことは「[[春は馬車に乗って]]」「妻」「慄える薔薇」「花園の思想」「蛾はどこにでもいる」などに書かれている{{Sfn|福田|1967|p=54}}。姉が「あんたも苦労のしつづけね」と言って慰めると、横光は「おれも随分つくしたが本当のことをいえばしまいにはつくづく厭になって疲れてしまった」と愚痴をこぼした<ref name=":5" />。キミの死後、横光は一時キミの実家である小島家で暮らしていたが、キミの2歳年下の妹の肉体に惹かれるものを感じ、恐怖して小島家を出た<ref name=":0" />。横光はこのことを「蛾はどこにでもいる」で、「彼はだんだん義妹の身体が恐くなつた。或る日、彼は黙つて妻の家から逃げ出した」と表現している。8月に発表された「春は馬車に乗って」は文藝春秋社の一室を借りて書かれた{{Sfn|福田|1967|p=54}}。題は、ノルウェーの作家アレキサンダー・キーランドの「希望は四月緑の衣を着て」の影響を受けた{{Sfn|福田|1967|p=140}}。典拠とした翻訳は前田晃訳で博文館から1914年に刊行された『キイランド集』であった<ref name=toeda/>。この頃、菊池寛の周囲に出入りしていた文学女性の一人であった小里文子と恋愛関係になり同棲を開始するが、文子は結核に罹っており、横光は再び結核患者の看病に明け暮れることとなった。文子との生活は「計算した女」に描かれたが、やがて2ヶ月ほど経ったある朝、「あなたに頂いた私の健康はお返しします。お受け取り下さい」という置手紙を残して文子は横光から去ってしまった<ref name=":0" />。


1926年10月、[[小林秀雄 (批評家)|小林秀雄]]が「人生斫断家アルチュル・ランボオ」(現「ランボオⅠ」)を発表<ref>『仏蘭西文学研究』創刊号、1926年</ref>し、横光はこの論文を読み込み、「幸福を感じた」と感想を書いている<ref name=jigoku>{{Cite journal|和書|author=日置俊次 |title=横光利一と「地獄」 : 昭和初年代における韻文と散文の混沌 |journal=青山語文 |ISSN=03898393 |publisher=青山学院大学 |year=2007 |month=mar |issue=37 |pages=32-44 |naid=110006238204 |doi=10.34321/10800 |url=https://doi.org/10.34321/10800}}</ref>。1926年末には[[改造社]]が一冊一円の『現代日本文学全集』を刊行し、[[円本|円本ブーム]]が起きた<ref name=toeda/>。横光も改造社とともに躍進し、『現代日本文学全集』刊行記念講演なども[[1927年]](昭和2年)5月に行い、宣伝にも協力した<ref name=toeda/>。12月、横光を崇拝していた[[女子美術大学|女子美術学校]]生の日向千代子の訪問を受け{{Sfn|福田|1967|p=57}}、すぐさま同棲を開始した。
1926年10月、[[小林秀雄 (批評家)|小林秀雄]]が「人生斫断家アルチュル・ランボオ」(現「ランボオⅠ」)を発表<ref>『仏蘭西文学研究』創刊号、1926年</ref>し、横光はこの論文を読み込み、「幸福を感じた」と感想を書いている<ref name=jigoku>{{Cite journal|和書|author=日置俊次 |title=横光利一と「地獄」 : 昭和初年代における韻文と散文の混沌 |journal=青山語文 |ISSN=03898393 |publisher=青山学院大学 |year=2007 |month=mar |issue=37 |pages=32-44 |naid=110006238204 |doi=10.34321/10800 |url=https://doi.org/10.34321/10800}}</ref>。1926年末には[[改造社]]が一冊一円の『現代日本文学全集』を刊行し、[[円本|円本ブーム]]が起きた<ref name=toeda/>。横光も改造社とともに躍進し、『現代日本文学全集』刊行記念講演なども[[1927年]](昭和2年)5月に行い、宣伝にも協力した<ref name=toeda/>。12月、横光を崇拝していた[[女子美術大学|女子美術学校]]生の日向千代子の訪問を受け{{Sfn|福田|1967|p=57}}、すぐさま同棲を開始した。
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『旅愁』の訂正に横光はひどく神経を使ったらしく、敗戦の衝撃と相まって横光は健康を崩した。当時『[[中央公論]]』の編集長だった[[木佐木勝]]は日記に「横光氏もなかなか立ち直れないようである。梅雨期から真夏へかけて、気候の悪条件の中で、くずれゆく肉体を支える横光氏の精神力が問題である。戦後の心の深手は当分いえそうもない。問題の「旅愁」もいよいよ最終巻を迎えて、作者の健康のさらに衰えたことを聞く。なにかいたいたしい気がしてならない」と書いた<ref>{{Cite journal|author=木佐木勝|year=1967|title=図書新聞|journal=|volume=|page=}}</ref>。
『旅愁』の訂正に横光はひどく神経を使ったらしく、敗戦の衝撃と相まって横光は健康を崩した。当時『[[中央公論]]』の編集長だった[[木佐木勝]]は日記に「横光氏もなかなか立ち直れないようである。梅雨期から真夏へかけて、気候の悪条件の中で、くずれゆく肉体を支える横光氏の精神力が問題である。戦後の心の深手は当分いえそうもない。問題の「旅愁」もいよいよ最終巻を迎えて、作者の健康のさらに衰えたことを聞く。なにかいたいたしい気がしてならない」と書いた<ref>{{Cite journal|author=木佐木勝|year=1967|title=図書新聞|journal=|volume=|page=}}</ref>。


『旅愁』は合計30万部売れたが、その印税は封鎖預金で支払われた。封鎖預金は月額300円しか引き出せない仕組みになっており、いくら『旅愁』が売れても生活は窮迫した<ref name=":3" />。[[川端康成]]が、刊行予定の『紋章』印税の内金の名目で、当時重役をしていた[[鎌倉文庫]]から出してくれた3千円で糊口をしのぐなどした<ref name=":0" />。
『旅愁』は合計30万部売れたが、その印税は封鎖預金で支払われた。封鎖預金は月額300円しか引き出せない仕組みになっており、いくら『旅愁』が売れても生活は窮迫した<ref name=":3" />。[[川端康成]]が、刊行予定の書籍前払いの名目で、当時重役をしていた[[鎌倉文庫]]から出してくれた3千円で糊口をしのぐなどした<ref name=":0" />。


=== 晩年 ===
=== 晩年 ===

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  • 横光利一: タイトル、サイトリンク、Some statements、その他、説明: ja

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