「横光利一」を編集中
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=== 西洋近代の超克 === |
=== 西洋近代の超克 === |
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[[1936年]](昭和11年)の横光の渡欧体験について[[ |
[[1936年]](昭和11年)の横光の渡欧体験について[[吉田健一]]は[[永井荷風]]や[[島崎藤村]]が描いたパリは現実のパリそのものではなく、横光は「ヨーロッパに現れた日本の最初の近代人だった」「その現実を知るのには、眼は外にではなく、絶えず我々自身に向けられていなければならない。それ故にそれは自意識の問題であり、近代の特徴をなしているものが、自意識であるのと同じく現実の想念は近代に属している」と評している<ref>吉田健一「先駆者横光利一」『文芸』臨時増刊『横光利一読本』1955年</ref>。 |
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[[吉本隆明]]は『悲劇の解読』で「この外遊ほど決定的な悲劇は明治以後の文学史のうえで想定することができない」として「横光の悲劇は<西欧>という原理に、<日本>という原理を対立させたことにある」とし、『旅愁』で矢代が[[言霊]]ではイは過去の大神で、ウは現神で、エは未来の神であり、この三つをつづめて「エッ」と祈ると説明する場面について「涙が出るほど悲惨で滑稽である」と評している<ref name=hirano/>。この「神叫び」については横光も体験したことのある[[川面凡児]]の禊思想を象徴的に表現したものとされている<ref name=kokugaku/>。 |
[[吉本隆明]]は『悲劇の解読』で「この外遊ほど決定的な悲劇は明治以後の文学史のうえで想定することができない」として「横光の悲劇は<西欧>という原理に、<日本>という原理を対立させたことにある」とし、『旅愁』で矢代が[[言霊]]ではイは過去の大神で、ウは現神で、エは未来の神であり、この三つをつづめて「エッ」と祈ると説明する場面について「涙が出るほど悲惨で滑稽である」と評している<ref name=hirano/>。この「神叫び」については横光も体験したことのある[[川面凡児]]の禊思想を象徴的に表現したものとされている<ref name=kokugaku/>。 |
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* 『横光利一事典』2002年(平成14年)、[[おうふう]] |
* 『横光利一事典』2002年(平成14年)、[[おうふう]] |
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* 横光佑典「父とわたし」「国文学 解釈と鑑賞」2000年6月号、[[至文堂]]、p49-52. |
* 横光佑典「父とわたし」「国文学 解釈と鑑賞」2000年6月号、[[至文堂]]、p49-52. |
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* [[吉田健一]]「先駆者横光利一」文芸臨時増刊『横光利一読本』1955年(昭和30年)5月、河出書房。 |
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* [[吉本隆明]]『悲劇の解読』筑摩書房, 1979年、ちくま学芸文庫 1997年 |
* [[吉本隆明]]『悲劇の解読』筑摩書房, 1979年、ちくま学芸文庫 1997年 |
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