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橋下徹

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橋下徹
はしもと とおる
生年月日 (1969-06-29) 1969年6月29日(55歳)
出生地 東京都渋谷区幡ヶ谷
出身校 早稲田大学
所属政党 (無所属→)
大阪維新の会 (2010 - )
公式サイト 橋下徹オフィシャルウェブサイト

民選第17代 大阪府知事
当選回数 1回
在任期間 2008年2月6日 -
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橋下 徹(はしもと とおる、1969年6月29日 - )は、日本政治家。現在、大阪府知事(民選第17代)、地域政党大阪維新の会代表。弁護士大阪弁護士会所属、橋下綜合法律事務所代表)。タレント

経歴

生い立ち

東京都渋谷区幡ヶ谷出身。大阪府八尾市の安中地区の出身とする説もある[1]母子家庭で、母親が苦労して家計を支え、小学5年で妹とともに大阪府吹田市に引っ越し、1年後に大阪市東淀川区の飛鳥地区[2]に移り住んだ。いずれも、手狭な府営住宅から地元の公立学校に通った。[3]

学生時代

中学3年生の時に母親が再婚[4]大阪市立中島中学校を経て大阪府立北野高等学校卒業。高校時代の同級生には自民党衆議院議員川条志嘉NHKアナウンサー藤井彩子がいる[5]

中学・高校時代はラグビー部に所属[6]。3年時には、第67回全国高等学校ラグビーフットボール大会大阪予選を勝ち抜き全国大会に出場。3回戦で伏見工と激闘を演じたものの終了間際にトライを許し、トータルスコア12-16で敗れベスト16で敗退した。[7]。後に高校日本代表候補に選ばれ東西対抗にも出場する。

高校での成績は進級が危ぶまれるほどだった。現役時代は早稲田大学の2学部を受験するも失敗。1年間の浪人生活を経て、再び早稲田大学5学部を受験。5学部全てに合格した中で、政治経済学部経済学科に入学。大学時代には家庭教師派遣業を行っていた他、革ジャン卸売業[8]に携わっていた。その仕事上の契約で200万円の不渡り手形をつかまされ、それまでの貯金を失う。この時、手形法などを勉強し、訴訟を起こしたことがきっかけとなり、弁護士を志す[4]静岡県知事川勝平太早稲田大学時代の教え子。

弁護士・タレントとして

大学を卒業した1994年司法試験に合格。2年間の司法修習法曹資格を得、1997年大阪弁護士会に弁護士登録。大阪市内にある樺島法律事務所に1年間勤務。1998年、弁護士2年目という異例の早さで[9]大阪市内に「橋下綜合法律事務所」を設立する。示談交渉による解決を看板にする。弁護士としては珍しい飛び込み営業なども行い顧客を集め[10][9]、年間400~500もの案件を手がける。開業から1年足らずで大手保険会社[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。と顧問弁護士契約を結ぶ。弁護士としての主な担当業務は企業コンプライアンスM&Aエンターテイメント法、スポーツビジネスなど。尚、2008年2月6日大阪府知事に就任と同時に弁護士業を休業した為、法律事務所の運営は事務所を法人化した上で所属の別の弁護士が行っている。

芸能事務所タイタンと業務提携し、自身のタレントとしてのマネージメントを委託していた。また、同社の顧問弁護士も務めていた。

政治家として

2007年12月12日大阪府知事選挙に出馬することを表明。2008年1月27日投開票の大阪府知事選挙で183万2857票を獲得し当選。同年2月6日に大阪府知事に就任。

2009年に、世界経済フォーラム(ダボス会議)のYoung Global Leadersの1人に選出された。

人物像

思想

  • 2008年10月23日の私立助成減額をめぐった高校生との懇談の場では、「今の世の中は、自己責任がまず原則ですよ。誰も救ってくれない」と強調している[11]。この対談では、私立高校に通い補助を依頼する高校生に「どうして公立に行かないの?公立で一生懸命勉強すればいい」等と述べている。また、行列の出来る法律相談所では、母子家庭で貧しく進学できそうにないという学生の相談に「厳しいだろうけど、頑張って欲しい」とエールを送っている。このような対応は、前述の橋下自身が恵まれない環境の中で苦労して進学した経験からくる。
  • 合法の範囲内であれば道徳にしばられず競争すべきだとしている。例えば、著書の中では「ルールをかいくぐるアイディアを絞り出すことこそ、いまの日本にとって一番必要なんじゃないか!」[12]「明確なルールのみが行動の基準であって、明確なルールによる規制がない限りは何をやっても構わない」[13]「ルールのすきを突いた者が賞賛されるような日本にならないと、これからの国際社会は乗り切れない」[14]などと述べている。そのため、ニートに対しても厳しい姿勢をみせており、「たかじんのそこまで言って委員会」において、ニート対策については「拘留の上、労役を課す」との発言した[15]
  • 「競争の土俵に上がれる者」に対しては徹底的に競争を促す一方で、競争の土俵に上がれない者に対しては特に手厚い支援を推進するという一面も持つ。「障害者雇用日本一を目指したい」と述べて、障害者の法定雇用率1.8%に満たない企業に対して雇い入れ計画の提出を義務づける障害者雇用促進条例を全国で初めて制定[16]したり、障害者支援学校の増設やスクールバスの拡充をするなど、障害者支援政策に積極的に取り組んでいる[17]

交渉術、処世術

  • 「合法的な脅し」と「仮装の利益」を交渉術の基本の一つとしている。これは、まず合法的に脅し、その脅した内容を回避する事から得られる偽りの利益(「仮装の利益」)を与える事で相手を納得させる手法である[18]
  • ウソをつく事も交渉術の一つとしている。たとえば、「交渉において非常に重要なのが、こちらが一度はオーケーした内容を、ノーへとひっくり返していく過程ではないだろうか」[19]とのべ具体的手法として、「自分が言ったことに前提条件を無理やりつける」[20]『「AをオーケーしたのはBという条件が必要だったのですよ」と後から付け足す』[21]とその手法を紹介している。
  • 中高生向けの著書で、「力関係をにらみながら、まずは強い者につくというのは、人間関係の鉄則です[22]。」と述べ、生きていく(いじめられない・孤立しない)ための一つの方法として、周囲を見回しジャイアンのような強い人を見付け、彼の下につく(共生する)ことで我が身を守る(成長させていく)スネ夫的生き方を勧めている[23]。これは、大阪府知事に就任後、麻生内閣の期間は麻生太郎内閣総理大臣を支持をする発言を繰り返す一方、民主党が政権をとると、民主党の小沢一郎幹事長を持ち上げる発言をするなど、時の政権との距離の取り方に表れている。ただし、権力に無批判に追従するわけではなく、しばしば民主党政権に対しても厳しい批判を続けている。

子だくさん

3男4女の父親であり、子だくさんとしても有名である。本人と夫人曰く「ライバルは笑点山田隆夫堀ちえみ」(子沢山で知られる山田隆夫は4人、堀ちえみは5人)[24]。しかし、子煩悩なタイプというわけではないことを示唆するような発言もたびたびある。

  • 私も、子どもは7人いますが、全く子育てをしなかったので、妻から「子育てについて何を語るのですか。」と言われました。 [25]
  • 『僕は子供が6人いるけど、妻がいなければ子供と一緒にいるのは30分が限界かな』[26]
  • 『まあ僕も、避妊の方法をしっかり学ばなきゃいけない立場なんだけどね。6人だもんなあ。さすがに7人目は、ちとキツイからね....』[27]

趣味・嗜好

その他

  • 身長174cm、血液型B
  • かつては視力が悪く眼鏡をかけていたが、その格好が知的なイメージを抱かせてしまった。レーシック手術を受けた後も伊達眼鏡をかけ続けていたが、知事になった後はかけていない。

弁護士として

商工ローンの弁護士

法律事務所を設立した2年目の1999年から2004年まで、消費者金融大手「アイフル」の子会社である商工ローン企業「シティズ」の顧問弁護士であった[29]シティズは「利息制限法による引き直し計算とそれを前提にした特定調停・個人民事再生に応じない」「みなし弁済の主張に固執し、多重債務救済手続の支障になる」「連帯保証人を要求し、連帯保証人から債権回収を図る」など、多重債務問題に取り組む弁護士・司法書士・被害者の会からは、対応に極めて問題のある企業として知られていた[30]。橋下はこの時代を含め、「(担当した裁判は)8年間負け知らずだった」と語っている[31]

マスメディアへの進出

大阪で弁護士活動をしている中、高校時代の先輩からMBSラジオラジオ番組に代理出演を依頼され、出演。偶然その時の放送を聞いていた朝日放送プロデューサーから出演依頼を受け、朝日放送『ワイドABCDE~す』にジャーナリスト大谷昭宏と共に出演するようになる。大谷とはその後も『スーパーモーニング』や『ムーブ!』でも共演している。同番組の火曜日に出演していたデーブ・スペクターが橋下の存在を知り、橋下が出演した放送のテープを東京に送ったことから在京キー局各社に名前が知られるようになった。

2003年4月日本テレビ系全国ネットの『行列のできる法律相談所』に久保田紀昭に代わりレギュラーとなる。同年7月には関西ローカルの『たかじんのそこまで言って委員会』(読売テレビ)でもレギュラーとなり、これらの番組におけるユニークな言動で全国的に知名度が上がっていった。大阪に事務所があり、出演前後に公判を入れることがあるため、出演は関西ローカルの番組が多かった。

しばしばタレント文化人批判や下ネタ発言をする一方、ワイドショーなどでは事故・事件・時事問題について自分の意見を強く述べていた。また、司法問題や法曹界全般、弁護士・裁判官の資質に至るまで幅広く批判していた。このため自身の発言で物議を醸すことも多かった。

大阪府知事選出馬

出馬表明

2007年12月に2008年大阪府知事選挙への立候補が報道されたが[32][33]、当初は「2万%でも。何パーセントでもあり得ない」として不出馬を表明したが、実際は自民党の古賀誠・選挙対策委員長と堺屋太一と東京で会い、立候補を了承していたこと、報道された場合は会談がなかったことにすることで合意していたことを後の出馬会見で明らかにした。2007年12月11日に再び、大阪府知事選挙への立候補の意思があると報じられ、マスメディアの報道が出馬と否定に割れたが、本人は12月11日午後に再度否定した 12月12日の大阪府庁で行われた記者会見において、正式に出馬表明[34]

普段のラフなスタイルと打って変わって、髪は黒く、サングラス(色付き眼鏡)も掛けず、スーツネクタイ姿で現れた。 二転三転した理由については、仕事の調整の手続き上であるとしたが、番組で共演する評論家で友人の宮崎哲弥は、「橋下がウソを付いた理由」もウソであるとし、「自公推薦だけでなく、財界の支援取り付けの確認ができるまで待っていたため」であると述べている[35]

また、以前から自民党大阪府議会議員から打診があり、12月3日に立候補の正式要請を受けたこと、島田紳助やしきたかじん辛坊治郎からの後押しが出馬を決意するきっかけとなったとしたが、たかじんはその後「(知事選出馬への)GOサインを出したかどうかは、微妙だと思う」と語った [36]。ただし、『たかじんのそこまで言って委員会』収録後に楽屋で出馬を説得した事実を選挙戦終了後に認めている。

なお、知事選への出馬したことにより、出演しているテレビ・ラジオなどのレギュラー番組を全て降板することとなり、収録済みの『ムハハnoたかじん』は別番組に差し替えられることとなった[37]

支持勢力

2008年1月7日、自民党公明党共に党本部としての推薦・支持を見送ることを表明し、自民党は「府連推薦」、公明党は「府本部支持」とし、共に府連レベルでの支援を決定した。公明党大阪府議団は、「核武装論など、今までの発言に支持者から反発があった」と過去の言動から「推薦」を見送り「支持」に留め、公明党本部もこれを尊重することを表明した。公明党は同年1月16日新春年賀会に橋下を招き、支持母体である創価学会を初めとする支持者らに橋下への支援を訴えた。

維新政党・新風が「同和対策予算はゼロにします」という橋下の姿勢を評価し、勝手連として支援することを表明した[38]他、2008年1月7日には人材派遣会社株式会社「パソナ」グループ代表南部靖之や元経済企画庁長官堺屋太一井手正敬JR西日本元相談役らが橋下徹の政策に賛意を示し、勝手連を立ち上げた。

政策

記者会見では、認証保育施設の増設、公立中学での米食給食の実施、大阪市中心部を石畳ガス灯で整備する、歩行者天国を設置するなどを主張。しかしながら、それらの政策は大阪市など大阪府以外の自治体が実施権限を持つ政策であるため、自民党府議団と会談した際に、公約となる政策を再度ちゃんと考えてくるよう資料を渡され出直しを命じられた。

府庁改革については告示前に「府庁解体」を行うとして「ちゃぶ台をひっくり返す」「汗をかかない方は去って下さってかまいません」と発言するなど府庁職員に対して敵対姿勢を見せていたが、その後一転して府庁職員の前で話す際には「皆さん(府庁職員)の盾、サンドバッグになります。一緒にスクラムを組んでください。 」と対応を180度変えた[39]

選挙戦

推薦・支持している自民党と公明党は表立った支援をせず、選挙対策本部は所属事務所タイタンと高校時代のラグビー部OBを中心とし、政党色を薄めた選挙戦を展開。自民、公明の大阪選出国会議員、地方議員がいっさい応援演説をせず、著名人の応援は選挙戦終盤に参議院議員丸山和也と宮崎県知事東国原英夫程度であった。7人の子持ちであることを前面に押し出し、「子供が笑う」をキャッチフレーズに「4つのトライ」と17点の重点事業をマニフェストとして掲げた。

選挙戦中盤の1月20日には、橋下のテレビなどでの言動を問題視した300万枚もの選挙法定ビラ(対立候補の熊谷貞俊‎事務所と同所在地にある団体が作成)[要出典]が新聞折込広告として府内に配布された[40]

最終的には対立候補に80万票以上の大差を付けて当選。当選当時の都道府県知事の中で最も若い知事となった。いわゆる「タレント知事」の誕生は大阪府では横山ノック(2期を務め、途中で辞職)以来13年ぶり。弁護士出身の現職知事は愛知県知事神田真秋に次いで2人目である。公選の大阪府知事としては初の東京都出身である。38歳の公選知事は歴代3番目の若さである[41]

当選直後から各種メディアに出演。1月29日には内閣総理大臣福田康夫を表敬訪問。また、知事就任前に大阪府庁に登庁し事実上大阪府知事としての職務を始める。自民党大阪府議団の一室を借り、事実上の仮知事室として府職員と就任後の2008年当初予算の作成、政策協議を行う。

大阪府知事として

財政非常事態宣言

2008年2月6日に大阪府知事として大阪府庁に初登庁。就任の記者会見で財政非常事態宣言を出し、選挙戦で公約に掲げていた府債の発行を原則認めない方針を示した。同時に2008年度当初予算では前年度比で1000億円削減することを明言した。更に「あらゆる情報を公開する」と情報公開室の新設を表明。現行4176万円の知事退職金を半減させるとした。 現在判明している緊縮財政案としては

方針撤回

選挙戦で公約していた原則として府債を発行しない方針を当選後の2008年2月に撤回し、2008年度の暫定予算案において、発行しないと府民生活に影響がでるとの説明のもと、建設事業費として160億円の府債を発行する方針へと転換した。さらに、「ギリギリまで発行を抑えたが、後半にどんとついてくる」と発言しており、府債発行を増額させる可能性を示唆している。[42]

2008年2月10日、人件費の削減は予算案に計上しないことを明らかにした。[43]

学力別クラス編成導入について、選挙中に「塾でもやっていることが、なぜ公立の学校でもできないのか」として熱心に導入を呼びかけていたが、文部科学省銭谷真美事務次官などの反発もあり、2008年2月13日にこれを撤回。「基本となるクラスまで学力によって分けるのは反対」と正反対の見解を述べた。また、約600億円(生徒児童一人あたり約37万円)に上る私立学校助成金の削減を検討していたが、これも撤回。来年度以降も当面、続けることを明らかにした。[44]

府議会、組合との対決

4月11日、総額1100億円の予算削減を行う財政再建プロジェクトチーム案を発表。この案を元に議論を進めるとし、「賽は投げられた」述べた。この案は、職員人件費の大幅削減、警察官の定数削減、私学助成金のカットや助成団体への補助金見直しを含む大胆な案で、賛否入り乱れた大きな反響があった。4月17日には、市町村への補助金カット反対を訴える市町村長との交流会で、感極まって涙を見せる一幕を見せた。

6月5日には、試案を若干見直した「大阪維新プログラム」と称した案を発表。人件費や私学助成金など固定費を375億円削減し、全体で1100億円の歳出削減を図る骨子は変わらなかった。6月20日には、職員労働組合との徹夜の団体交渉に挑んだが、組合員から時節罵声が飛ぶなど荒れた雰囲気の中、両者の主張は平行線をたどり結局決裂したまま予算提出となった。

7月1日からの臨時大阪府議会では、府側が提出した2008年度本予算が審議され、知事与党からも厳しい批判がなされたことから、予算の見直しを表明した。しかし、府議会各会派の足並みの乱れもあって結局私学助成金や人件費のカットについて18億円の小幅修正を行った案が、土壇場で賛成に回った野党民主を含む共産を除いた主要3会派で可決された。[45]

教育非常事態宣言と教育改革

  • 知事就任後、2008年9月5日の記者会見で、全国学力テストの成績が2年連続で低迷したことを受け、「府の現状について『教育非常事態宣言』を発する」と述べ、教育力向上への取り組みを徹底する考えを示した。橋下知事は「府教育委員会が前回の(学力)テスト後に『方策を取る』と言ったのに、全く改善されなかった」と理由を説明。「教員が逃げているだけ」として、正答率も含めた学力テストの市町村別結果を公表する必要性を強調した。また、9月末で2人が任期切れを迎える教育委員に絡んで「僕の考えに共鳴する人に多数を取ってもらいたい」と述べ、その後「百ます計算」で知られる陰山英男と「小河式プリント」の小河勝を任命した。
  • 翌6日には枚方市で開かれた日本青年会議所大阪ブロック協議会主催のフォーラムで、PTAが機能していない故の現状であり形式主義に陥っているとして「PTAを解体する」、全国学力テストの市町村別結果を公表するよう府教育委員会が市町村委員会に要請する事について「指導助言が無視されるようなら府教育委員会も解散する、小中学校課の予算は付けない」と発言。
  • 同年12月には、「子供の安全」と「学力向上」のため、小中学校への携帯電話持ち込み禁止を行うよう府教委に要請した。
  • 前知事が府内の全公立小学校に導入した「35人学級」について、「負担に見合う効果があるか疑問」として見直しを検討する意向を示した。また、「画一的に少人数にすればいいというものでもない。基礎ができている子の場合は、200人くらいでも授業は成立する」との見解を示した。
  • 2011年度から大阪府内の公立高校10校を「進学指導特色校」に指定し、これまで府立高校から約1000人だった難関国立大と難関私立大への合格者の6割増を目指すことを発表。また体育科を設置する高校と教育センター付属研究学校も同時に設置予定で、「学力に加え多様な進路希望に対応する」という主張に沿った内容となる予定[46]
  • 大阪府立大学について、「存在意義が十分理解されていない」として、廃止や大阪市立大学との統合を含めて検討する方針を示した。
  • 府立高校の入試制度について、学業成績以外にスポーツなどでの評価を重視する、多様な入試制度プランを提唱している。
  • 教育バウチャー制度への意欲を示している。

府庁移転問題

大阪府庁を大阪ワールドトレードセンタービルディングへ移転する提案を出したが、条例は2009年3月議会で否決(26日。入居を見込んでいたビル側はこれにより会社更生法適用が確実となる)。直後の記者会見で「やっぱり日本は北朝鮮じゃないってことですよ。何でも思い通りに物事を進めたら独裁者になってしまう」と発言。無関係な事を喩えに挙げた行為への抗議及び生徒保護を求める要望書を朝鮮学校保護者会「大阪府オモニ会」から手交された[47]。 これを受けて、北朝鮮によるミサイル発射の際、「大阪にも多くの北朝鮮籍の人が住んでいる。言論の自由が保障されている日本に住む北朝鮮籍の人は、北朝鮮の今の体制について厳しく批判しないといけない。国民に変える気概がなければ、国は変わらない」と述べた[48]

同和問題

2008年3月の府議会で、橋下は「私はいわゆる同和地区で育ったが、同和問題は全く解決されていない。ただ、差別意識があるからといって、特別な優遇措置を与えていいのかは別問題。一から総点検していただく」、「この問題に真っ正面から取り組まないと人権問題、同和問題は解決しない。逃げてはいけない」と述べた。[49]

2008年8月7日、府連との政策懇談会を大阪府庁内の会議室でひらき、 部落問題解決に向けた施策のあり方などについて意見交換した。橋下は、「いわゆる同和地区で育ってきた。都道府県の知事のなかで同和問題について一番知り尽くしていると自負している。みなさんの協力をいただきながら、できる限り解決していきたい」と述べ、戸籍謄抄本などの不正取得防止へ本人通知の制度を考えたいとの意向も示した。また、差別意識をなくすために何が必要なのかのやりとりのなかで、「部落差別の根本は「」への差別だが、それはなくなってきている」と述べ、「経済的困窮者があつまってきているところという外形的な差別にきりかわってきていると思う」と持論を展開した。[50]

なお、部落問題については、かつて関西系の情報番組飛鳥会事件が取り上げられた際、「私はこの飛鳥地区で育ち、ど真ん中で差別利権の構造も見てきた。親の世代はまだまだ差別に苦しんでいた」と体験談を語っていた。

関西三空港問題

関西国際空港活性化の要望をするために出向いた際、記者団に関西三空港についてのあり方について「伊丹空港の廃止も含めて検討し、きちんと方向を出さないといけない」と述べた。一時は撤回し、関空利用促進のため伊丹 - 成田便の廃止を主張していた。しかし2009年に再び伊丹空港の廃港を主張し、兵庫県の井戸敏三知事と対立する[51]

肖像権問題

府知事選出馬前に、雑誌「フライデー」に無断撮影されたことで光文社肖像権侵害で訴えたが敗訴、控訴しない旨を明らかにし、判決が確定した。また、7月25日、橋下の肖像画を無断使用したお菓子を池田市の第3セクターが販売しようとしたのに対し、「法的措置も辞さない」とした。しかし翌日になって「盛り上がるなら使ってもらってもよいが、品質保証はできない」と述べ、肖像画使用を黙認。この騒動について、本人は池田市長との出来レースだったと述べている。

幻の11年ぶりの財政黒字

2009年7月30日、2008年度の普通会計の実質収支が11年ぶりに119億円の黒字になった事が明らかとなった[52]。主な要因としては、人件費抑制などが挙げられる[53]。 なお、減収補てん債および行政改革推進債の発行して得たお金は、「収入」として計上されている[54]

橋下は同年10月28日の記者会見で、実際には基金からの借入金が1500億円あったとして黒字化を事実上撤回した[55]。橋下は借入金について「いつ返すのか決まっていない。これは借り入れじゃなくて使い込み」「基金から借り入れて、何とか数字を合わせている。真実の数字に基づいた会計制度にしないといけない」と批判した[55]。また、大阪府以外にも基金から借り入れている自治体が存在すると述べている[55]

2010年2月8日、財政赤字を隠すために、5つの出資法人への貸付金を年度末の3月31日にいったん全額返済させて歳入とし、新年度の4月1日に改めて貸し付けていたことが府の包括外部監査で判明し「不当な操作」と指摘された。この一時返済がなければ853億円の赤字であった。

首長連合

横浜市中田宏元市長や松山市中村時広市長らとともに「首長連合」を結成する。「首長連合」は2009年の衆院選で、民主党への支持を表明したため、大阪府知事選で橋下を支援した自民公明両党から「裏切りだ」との声が上がった[56]。選挙後、落選した中山太郎自民党大阪府連会長は「考えもしなかった態度」「信用できない」と橋下を非難した[57]

普天間基地移設問題

普天間飛行場の移設問題に関し、「あくまで個人的な見解」としながらも、関西国際空港への移設について「国から正式な話があれば受け入れる方向で考えたい」と述べた[58]。また、同時に神戸空港の活用についても言及したところ、神戸市の空港事業室長から知事あてに抗議電話があったとし、「公務員が政治家に厳重抗議するのはおかしい」と批判した[59]。なお、この件では、神戸市室長は「抗議するとは言っていない」と困惑した[60]

大阪府再編構想

2010年1月12日、公明党の年賀会で「競争力のある大阪にするためには、一度大阪府を壊す必要があるし、大阪市も壊す必要 がある。来たるべき統一地方選挙において、大阪の形を1回全部解体して、あるべき大阪をつくりあげる」と述べ、府と市の枠組みを取り除き、広域行政によって「ひとつの大阪」を目指す考えを示した。その上で、きめ細かな住民サービスを行うため東京23区のような特別区の導入も検討しているという。橋下は2011年春に行われる大阪府議会および23の市町の選挙(統一地方選挙)に向けて大阪の形を変えていきたいと主張し、政治グループを立ち上げる決意を示し[61]2010年4月19日大阪都構想の実現を掲げる地域政党大阪維新の会を結成、自らが代表に就任した。

時事問題についての見解・発言

政治について

  • 安全保障について、「日本の一番情けないところは、単独で戦争が出来ないことだ」と述べるなど、徴兵制度の復活や核兵器保有を肯定する発言を度々行っていた[28]。ただし、2007年12月12日の大阪府知事選出馬時の記者会見では、現実に日本が核武装することはありえないと述べ、同年12月25日には「バラエティー番組での発言で世間ウケしないといけなかった」と弁明した[62]。米海軍艦艇への給油活動を行うテロ対策特別措置法にも肯定的である。
  • 政治家を志す動機について、自著で「別に政治家を志す動機付けが、権利欲や名誉欲でもいいじゃないか」「なんで『国民のために、お国のために』なんてケツの穴が痒くなるようなことばかりいうんだ?政治家を志すっちゅうのは、権力欲、名誉欲の最高峰だよ。その後に、国民のため、お国のためがついてくる。自分の権力欲、名誉欲を達成する手段として、嫌々国民のために奉仕しなければいけないわけよ」と述べている[63]
  • 外国人参政権につき、「そんな簡単に結論がでることじゃない」としつつも、「大阪府内には歴史的経緯のある特別な永住外国人が多く、歴史的にみても特別永住外国人ついて、当然これは参政権を与えるべき」とし、かつて日本の領土下にあった朝鮮及び台湾が独立する以前から日本本土に居住していた在日韓国・朝鮮人・台湾人及びその子孫に限って(つまり特別永住者に限って)、外国人参政権を容認している[64]。ただし、それ以外の外国人(一般永住外国人)の参政権に関しては「絶対反対」とし、民主党が提出使用している法案は一般永住外国人も含めているため「大反対」としている。その際、「民主党は拙速しすぎている。日本国民(の存在)を忘れ去っている」と述べている[65]
  • 地方での講演依頼の中には「憲法9条改正反対」や「核廃絶」などについての依頼もあって(これは弁護士は人権擁護や護憲・平和維持に熱心であるはずという、社会の先入観に基づく)、「私は改憲派だし、核保有を肯定します」と断りを入れると先方がビックリしていると、常々関西ローカル番組内で語っている。そのためか、政治的な内容の講演はなるべく関西を中心に『そこまで言って委員会』のネットエリア内[66]に限られ、それ以外の地域では政治的な内容以外の講演[67]であれば引き受けている。
  • 政治信条や政策は小泉純一郎元首相を手本としており、小泉の引退表明時には、「小泉元首相らしいというか、感動です。小泉元首相がやったことと比べれば、僕のやったことなんて鼻くそみたい」と発言した[68]

事件・司法について

  • ライブドア社長の堀江貴文有価証券報告書の虚偽記載で実刑判決を受けたことについて、堀江は社長を辞任しており再犯の可能性もないのに、罪を認めないと執行猶予がつかないというのは、政治資金収支報告書の虚偽記載など他の犯罪に対する刑とのバランスがおかしく、(堀江に厳しい)世論になびいているとしか思えないとして「司法に失望した」と述べた[69]
  • 日本弁護士連合会が憲法・法律・死刑執行に関し度々意見表明をする事について、「問題は、この弁護士会が政治的な意見表明を行っていることである。(中略)こういう組織は政治的な意見表明をしてはいけないという当たり前の事を、理解していない弁護士が多いのだ」と批判した[70]
  • 附属池田小事件」発生時、「被告人を速やかに死刑にすべき」という寄稿を週刊誌で発表した。その後、死刑判決を望んでいた被告人から弁護人を通じ、早期の死刑実現に対する援助を依頼する手紙が届く。橋下は、被告人が遺族に謝罪するという条件付で了承する旨、返答した。しかし、被告人からの返事の手紙には、人生に対する恨みや苦悩は書かれていたが、遺族への謝罪や反省のコメントは書かれていなかった。2004年、橋下は「たかじんのそこまで言って委員会」において、この手紙の内容を公開・朗読した。また、被告人に対して同情的発言をしていた真宗大谷派僧侶について、「こんな手紙を送る奴を援護する京都のクソ坊主に腹立つ」と発言した。
  • 2007年4月12日朝日放送の情報番組『ムーブ!』で、尼崎小学生女児暴行事件について「女の子が服を脱がされたのか、自分から脱いだのかによって話が変わってくる」と、レイプは被害者にも責任があるととれるような発言を行った(セカンドレイプ)。被害女児の母が、加害者引越しを求め、それが出来ない場合は女児側が引越す、その際の費用は出して欲しいと言ったことについて、「引越し費用の請求をするのは、明らかに行き過ぎた行為」と批判をした。
  • 2007年船場吉兆の食品表示偽装が問題になった際に、テレビで「船場吉兆のパート従業員が嘘を言っているかも知れない」という趣旨の発言をし、「もしも従業員の言っていることが正しいのならばなぜ訴えないのか?」という疑問も呈した。
  • 耐震偽装問題に関し、マンション住人に自己破産を勧める発言をしたことで批判を受けた。その後、関西テレビ制作のワイドショー番組である『ベリーベリーサタデー!』内において、「(自身の提案は)自己破産によって住人の負担を無くし、特例として再度ローンを組ませるという案があってのものである」と弁明した。

教育について

  • 厳しいしつけ体罰に肯定的である。かつて、テレビ番組で『いじめ行為に加担していた自分の子供を50分近くも投げ続けた』ことを告白し、「口で言って解らない年齢の子供には、痛み(体罰)をもって反省させることが重要」とし、体罰に否定的な教育評論家尾木直樹と論争になった。しかし、戸塚ヨットスクールのような不明瞭な部分が多く、体罰と称し大怪我を負わすような行為にはきわめて批判的。なお、いくつかのテレビ番組で戸塚宏と議論をしたことがある。
  • 「日本は他国に比べると、学力テストの結果が低いと言われているが、社会に出ると何の役にも立たない学校の勉強(英・数・国・理・社)は重要なものではなく、学校で詰め込むべきではない。また、これらの勉強は大人になってからでも、本人のやる気次第で十分習得出来る。現在の学校の勉強とは、受験のための手段に過ぎない。真に必要なのは『人の上に立つ学問』ではなく『人の役に立つ学問』である。学校で最低限教えるべきなのは読み書き、そろばんと、目上の人間に対する礼儀だけでいい。あとは、それぞれが進みたい分野の学問を習得するようなシステムにするべきだ。子供に無駄な知識を強制的に詰め込み、それで優劣をつけるような教育をすると、人格が歪んでしまう。それよりも子供のうちは、太陽の下で思いっきり遊ばせて、ご飯をいっぱい食べさせて、ぐっすり眠る習慣をとらせるべきであり、また、机の上での勉強だけでなく、ボランティア活動等に積極的に参加させ、社会体験を身につけさせるべきである。」と、現在の日本の詰め込み教育を批判している[28]
  • 2006年11月放送の『たけしの日本教育白書』において「いじめなんてどこの世界にもある。それ位乗り越えられなくてどうするのか」という趣旨の発言をした。放送当時、児童・生徒らによるいじめを苦にした自殺が相次いでいた事もあり、共演者から猛反発を買った[71]。ただし、府知事就任後に出演した番組では「いじめられっ子に対して、『いじめられている現状から逃げるな!』と言う人がいるが、つらい思いをして学校に通い、いじめに耐えられず自殺をするくらいなら、僕は、転校するなり退学するなりして逃げてもいいと思う。逃げることは恥ずかしいことではない。何も学校だけが人生の全てではない。学校以外にも道はあるはずだ。」と発言している[72]

その他

話題になった言動

  • 2002年5月、TBS系列の情報番組サンデージャポン』で『狂言が好きな人は変質者』と述べ、関連する団体や人物から批判を受けた[76][77]
  • 『サンデージャポン』で悪質リフォーム会社「幸輝」の社内旅行における広東省珠海市での集団買春問題に関して、「日本人による買春は中国へのODAみたいなもの」と発言し批判を受けた[誰?]。『行列のできる法律相談所』で共演している北村晴男弁護士はこの発言を聞いた時、「こいつ、頭がおかしいのかと思った」という。翌週の生放送で発言の全面撤回と謝罪を行ったビデオを放送する予定だったが、橋下は突然マイクの前に立ち、涙を浮かべながら「(問題発言は2回目だったため)さらにこれ以上スタッフに迷惑をかけたくないから、番組から去らさせていただきます」と宣言し、スタジオを出て行ってしまうというスタッフも想定外の行動に出た。番組スタッフは『降板をこちらから強いたことはない』と困惑していたとされるが、番組における問題発言の責任を取る形で自らレギュラー出演を降板した[76][77]。その後、2006年中期から時々ゲスト出演しており、その時には司会太田光が名付けた八代英輝とのコンビ名、「青空有罪・無罪」の有罪という扱いで出演する(無罪は八代)。先に『たかじんのそこまで言って委員会』で全く同様の発言をしたがこの時は問題に問われなかった。
  • 2006年3月12日放送のフジテレビの情報番組『スタ☆メン』において北斗の拳の話題の中で、足をひきずる人について『びっこ引いている』という放送禁止用語を連発した。司会者に指摘されすぐさま謝罪したが、番組のエンディングで再度司会者がお詫びを行う事態となった。同年5月7日放送の『スタ☆メン』の特集に絡め、司会の阿川佐和子に対して「いまの僕なら阿川さんを即妊娠させられますよ」と発言。橋下の発言に対して大阪弁護士会に弁護士としての品格を問う苦情が寄せられた。
  • 1991年4〜11月、1992年2〜3月、1993年4月〜1995年3月と弁護士登録した1997年4月以降の数か月など、合計34か月間以上に渡って国民年金の保険料が未納であったことが発覚している[78]
  • 2007年に逮捕者を出しているパチンコ関連企業梁山泊の関係者と交友があると報じられたが、橋下も報道陣の取材に対しこの事実を認めている。2007年3月に逮捕された梁山泊関係に連れられて「許永中愛人である女性がママをしている」とされる大阪北新地の高級クラブを訪れたという[79]
  • 2008年9月7日、ラジオの公開収録で、学力テストの市町村別正答率の公開を拒否する教育委員会に対し、「クソ教育委員会」と発言した。橋下は後に、大阪市長や自らの母親に発言をたしなめられたことを明かし、謝罪したが発言は撤回しなかった。その後、大阪府下の市町村長から橋下の主張する正答率公開に賛同する声が出たため、府教委も方針を転換し、市町村別正答率を公表した。
  • 2008年10月19日、兵庫県伊丹市陸上自衛隊伊丹駐屯地で開かれた「中部方面隊創隊48周年記念行事」の祝辞の中で、「人の悪口ばっかり言っているような朝日新聞のような大人が増えると日本はダメになります」と発言した。橋下は後に、10月3日の朝日新聞における山口県光市の母子殺害事件を巡る橋下のタレント弁護士時代のテレビ発言を批判した社説に対する反論だと主張した[80]。その翌日の同年10月20日には「朝日新聞がなくなった方が世のためになる。全く愚かな言論機関。すぐさま廃業した方がいい。権力の悪口を言っていればいいと思っているのではないか」と非難した[81]。これらの言動について産経新聞は「えーと、悪口ばかり言っている大人は…なんでしたっけ。」[82]と論評した。

TVで懲戒請求呼びかけ

2007年5月27日放送の『たかじんのそこまで言って委員会』において、「あの弁護団に対してもし許せないと思うんだったら、一斉に弁護士会に対して懲戒請求をかけてもらいたいんですよ」、「何万何十万という形で、あの21人の弁護士の懲戒請求をたててもらいたいんですよ」と山口県光市母子殺害事件の弁護団に懲戒請求を行うよう視聴者に呼びかけた[83]。これによりテレビやインターネットなどで、「懲戒請求書の記載の仕方」を見た人たちの懲戒請求書約7,558通(2006年度における全弁護士会に来た懲戒請求総数の6倍以上)が弁護士会に殺到することになった[84]

これに反発した弁護団のうち4人が業務を妨害されたとして、2007年9月に橋下に1人当たり300万円の損害賠償を求めて広島地裁に提訴した。橋下は「発言に違法性はない」、「懲戒請求は市民の自発的意思」、「自身のテレビでの発言と一般市民の懲戒請求の間には因果関係はない」などと反論した。

後に橋下自身は懲戒請求していなかったことが明らかになり、そのことを批判されたが、橋下はその理由について「時間と労力を費やすのを避けた」[85]、「自分がべったり張り付いて懲戒請求はできなくはないが、私も家族がいるし、食わしていかねばならないので…」などと釈明した[86]

この懲戒請求呼びかけについて、ジャーナリスト江川紹子は「請求の内容によっては、懲戒請求をされた弁護士の側から訴えられる可能性もあるという負担やリスクを説明せず、ただ”誰でも簡単に”できると、気楽なノリでしゃべっている」、「「世間」を煽っている感じさえする」などと批判[87]

同年8月6日、橋下は弁護団が開いた緊急報告集会に出席していたが、その場では「安田弁護士が最高裁の弁論を欠席したこと、これは究極の弁護方針として、弁護戦術として、これはもうもっともだと思う」などと発言していたが、翌8月7日の自身のブログにおいては、自分たちだけが正義の実現者だと思い上っているとして、「この集会はカルト集団の自慰(オナニー)集会だね。」と酷評した。また、「チンカス弁護士」、「オタク法律家」、「法律オタクのお坊ちゃん弁護士」などと述べた[88]

また、横浜弁護士会が懲戒請求者に対して住民票の提出を要求したことに対して、自身のブログで、「横浜弁護士会のインチキ野郎」「偽善に満ちた行為」と激しく非難[89]

懲戒請求自体は弁護団を懲戒するだけの事由及び信憑性が無かったとして各弁護士会で次々と却下されており、懲戒処分された弁護士は1人もいなかった。これに対し橋下は、『たかじんのそこまで言って委員会』2007年12月9日放送分において、「7,000通も(懲戒)請求が出ているのに何にも意味が無いんだ」と懲戒請求制度及び弁護士会の態度に不満を洩らしている。 同年12月17日、今度は反対に、市民約350人が「刑事弁護の正当性をおとしめたことは、弁護士の品位を失うべき非行だ」として、大阪弁護士会に橋下に対する懲戒処分を請求した[90]。橋下弁護士が懲戒請求をよびかけた弁護団の中に兄弁護士にあたる先輩がいた事から、橋下弁護士の最初の勤め先の親弁護士であった樺島弁護士も、この橋下弁護士に対する懲戒請求に名前を連ねている[91]。その後2009年4月14日、弁護士会綱紀委員会は懲戒相当である旨議決[92]。2010年9月17日、弁護士会は業務停止2ヶ月の処分とした。もっとも橋下自身は、実質的な弁護士活動は2010年現在行なっていない。また21日、処分内容が一部マスコミに漏れた点を問題視し、大阪弁護士会会長に対しても懲戒処分申し立てをした[93]。「弁護士会の品位の基準と僕の基準は違う」とまで発言している[94]

なお、2008年3月18日、広島弁護士会に請求申し立てされた7弁護士への懲戒請求は、「弁護士らの活動は職責を果たすもので、適正な刑事弁護」であるとして認められない事が正式に議決された。また、2008年10月2日、広島地裁は弁護士たちの損害賠償請求を認め、橋下に対し原告1人当たり200万円(合計800万円)の賠償を命じる判決をした[95]。これを受け、発言について反省している旨を述べたが、「高裁の意見も聞いてみたい」として控訴した。のちに控訴は棄却され、判決確定で賠償金を支払っている。

所得申告漏れ事件

2006年5月23日大阪国税局から本業である弁護士業務の経費計上等にかかわる約2500万円の申告漏れを指摘され、修正申告に応じたと産経新聞[96]に報道された[97]。これについて、橋下は自身のブログで、税務調査によって、過去3年間の実際に支出した経費の一部を税務上の経費からはずした結果、(名目上は)過去3年分の所得が(2500万円)増えたことになるが、実際には支出しているから、手元に残っていない。しかも、飲食ではなく、法律業務に使ったのであって、それを意図的な所得隠しや架空経費の計上で税金をごまかす「申告漏れ」と同一視したと反論した。また、「申告漏れ」という報道が、一般には脱税と受け取られやすいのに、情報の受け手のことを考えない(自己満足的な)情報を発信したという意味で産経新聞を「情報の受け手のことを考えて、情報を発信しやがれ、このオナニー新聞が!」と罵倒し、産経の記者の実名を挙げ批判した。また、記者が情報を得たと思われる税務当局の人物を特定したと書き、その税務署員と産経の記者が国家公務員法に違反すると断じた[98][99]。しかし、その記事の中では自身は産経新聞を熟読しており、雑誌の『正論も定期購読しており、「だいたい産経新聞に賛成だから、購読を続ける」としている。ブログでは、産経新聞に対して「法的手続きも検討している」と述べていたが、現在まで法的手続は取っていない。橋下の抗議により産経新聞は同年7月8日付け朝刊で、経費請求した名目や内容をそれぞれ「タレント活動に必要などとして」、「飲食代などの」としていた箇所を省くとした訂正記事を掲載した。

さらに、この件を報じた『週刊文春』(2006年6月15日号)がマスメディアでは公開していなかった橋下の家族のプライバシーを明かしたことについて、取材した記者の実名を挙げ、この問題は脱税事件などの違法性を帯びた社会的な事件ではないのに家族のプライバシーを侵害したとして、『週刊文春』を「三流以下の死に体週刊誌」、「魂の欠けたジャーナリズム」と厳しく非難した[100]

NHKのスタジオでの収録には出ない発言

府知事就任3日目にNHK生放送(関西ローカル)されたテレビ番組『かんさい特集 「新知事・市長に問う 大阪の、これから」』に出演した際の状況から、同局に対する今後のスタジオ出演には出ない旨の発言をした。

2008年2月9日、同番組に出演した橋下は、元鳥取県知事片山善博、大阪市長平松邦夫、上山信一(慶應義塾大学教授)らが出演していた討論の途中でスタジオ入りした。事前に遅れることをNHK側も承知していたことであったが、登場した橋下に司会のNHKアナウンサー藤井彩子は「ちょっと遅刻ですけども、およそ30分で遅刻して到着されました」と紹介した。橋下はこれらの言動に対して激昂し、同日行われた記者会見で、東京での公務がある為に出演が遅れる事は依頼があった日から再三NHK側に伝えてあった事、NHK社員が公務中や移動中でも執拗に公務を切り上げて早く出演してくれと迫ってきた事、女性司会者の言動、現場のプロデューサーやディレクター及びスタッフの挨拶が無い事などを挙げ、今後、NHKのスタジオ出演はしないと発言した(それ以外の取材は受けるという)。

これに対してNHK大阪放送局広報部は、「発言は場を和ませようとしたもの、挨拶はしている」とコメント。藤井アナウンサーは高校時代の橋下の同級生である。

同日の関西テレビでは、やしきたかじんがホストを務めるバラエティー番組『ムハハnoたかじん』が、NHKの生番組(19時30分番組開始)とほぼ同時刻の19時29分番組開始で放映されていた。そちらは約30分の録画放送で19時57分まで放映されており、橋下は大阪市長平松邦夫とともに出演していた。また、橋下は同番組に大阪府知事に立候補する直前までレギュラー出演していた。

府職員への一斉送信メール問題

2009年10月1日、府の全職員に、府内のダム建設費用に関して、以下のメールを一斉送信した。(抜粋)「水需要予測の失敗によって380億円の損失が生まれたことに関しても、恐ろしいくらい、(職員の)皆さんは冷静です。何とも感じていないような。民間の会社なら、組織あげて真っ青ですよ!!(略)何があっても給料が保障される組織は恐ろしいです……」。これに対して、翌日、女性職員から知事あてに、反論のメールが送信された。すると同日知事は、「まず、上司に対する物言いを考えること。私は、あなたの上司です。組織のトップです。その非常識さを改めること。これはトップとして厳重に注意します。あなたの言い分があるのであれば、知事室に来るように。聞きましょう。」と返し、批判合戦となり、8日には、「トップに対する物言いとして常識を逸脱している」として、女性職員を厳重注意処分にした。この一連のやり取りに関して、府に寄せられたメール、電話の反響が、約700件に上った。

市民からの意見は、賛同派と批判派がほぼ相半ばした。知事に賛同する人たちからは「職員全員に社会常識を再教育すべきだ」「民間企業では上司と考え方が違う場合、失礼のないように意見し、通らなければ身を引くしかない」などの意見があった一方、「処分までは大人げない」「意見を求めながら、内容が気に入らないからと処分すれば、誰も意見を言わなくなる」といった知事批判もあった。府の担当者は、「これだけ賛否が分かれる反響は初めて」と話した[101]

「公私混同」との批判

2010年7月14日、サッカー・ワールドカップ(W杯)で日本代表選手として活躍した遠藤保仁選手(当時ガンバ大阪所属)に「感動大阪大賞」を贈った際、贈呈式直前、遠藤選手を知事室に招き入れ、当時小学生と幼稚園児だった自分の子供3人に合わせた。3人ともサッカーファンで、知事自ら誘ったという。8月25日の定例記者会見で明らかにした。

この日の記者会見で、「公私混同ではないか」と問われた知事は、「知事職が(プライベートと仕事を区別しにくい)公私混同で、僕の子供は一般家庭とは違う制限を受けている。個人ではなく、政治家のファミリーとして見てほしい」と述べた。

「サインが欲しいほかの子供と比べて不公平では」との指摘には、「その子供のお父さんに知事になってもらい、(制限を受ける)苦しい親子関係に耐えてもらうしかない」と反論した。

橋下知事には7人の子供がおり、これまでも公務でプロ野球の始球式を行った際などに子供を連れて行き、一緒に試合観戦をしたり、サインボールをもらったりすることがあったという。識者[102]からは「公私混同だ」との批判も出ている[103]

エピソード

  • 行列のできる法律相談所』でレギュラー出演していた当時、司会の島田紳助韓国俳優ペ・ヨンジュンに似ていると指摘したことが広まり「法曹界のヨン様」「弁護士界のヨン様」と呼ばれることもあったが、本人は「似てない」と否定していた。しかし『謎を解け!まさかのミステリー』ではマフラーを巻いて物真似をしたこともある。オロナミンCCMでは、ペ・ヨンジュンのギャラが高い為、橋下になった経緯もある。また、『週刊文春』の調査で、女性30-50代が選ぶ「テレビ出演しているイケメン文化人ランキング」で堂々の1位に輝き、『行列のできる法律相談所』では「茶髪の風雲児」と称されていた。
  • 『行列のできる法律相談所』で沖縄ロケが組まれた際、橋下、北村晴男丸山和也の男性弁護士をそれぞれ室内プールに別の仕事と装って呼び出し、プールにいる水着ギャルを何回チラ見するかというドッキリが行われた。橋下はギャル達の会話を笑みを浮かべて聞きながら、チラ見を続け、記録は首位の丸山に次ぐ2位となった。
  • 同じタイタン所属であった山中秀樹(元フジテレビアナウンサー)とは「山ちゃん」「ハッシー」という仲である。
  • 時間に対してとても厳しく、『週刊女性』で小説家岩井志麻子との対談の企画があったが、岩井が15分程遅刻したため、対談を拒否した。このため橋下の代わりに徳光正行が岩井と対談を行った[104]
  • 成長が早く、大阪に引っ越した時には体が大きく髭も濃かったため、小学校5年生の時のクリスマスプレゼントが電気カミソリだった。
  • 全国高等学校クイズ選手権の近畿大会に参加(1回戦敗退)、更に事前番組・全国放送まで出ていた。地区大会の映像が残っていて福留が「こんなところに出ていたので私はビックリしました」と言っていた。
  • 北野高校ラグビー部ではレギュラーメンバー(かつ高校日本代表候補に選ばれた程の選手)だったが、練習熱心というよりはむしろ「要領が良かった」部員で、周りが認める程には練習に熱心に取り組んでいる様子ではなかった[105]。とはいうものの、花園(全国大会)に出場した程のバリバリの体育会系運動部におけるシゴキは健在で、橋下本人はテレビや書籍等で、「ラグビー部時代の厳しい練習で肉体と精神が鍛えられた」旨の発言をしている。大学時代も早稲田大学のラグビー部の練習を一応見に行ったが、「脳みそまで筋肉でできている奴らばかりだ」と思い、入部しなかったという。
  • タレント弁護士時代は全国から講演依頼を受けることもあるが、その依頼のほとんどは「反戦」「反核」などの類だったが、「私は核武装論者」と断りを入れると相手方はびっくりしていたという(大半の弁護士は反戦・平和主義であることから橋下もそうだろうとの思い込みがあったものとみられる)。そのため、政治的色彩のある講演については自身が出演していた『たかじんのそこまで言って委員会』の放送エリア(関東や一部東北地方、沖縄県を除く)で行ない、そうでない地域からの講演では子育てやテレビ出演の裏話など比較的柔らかい内容でなら引き受けることとしていた。
  • 2007年10月7日、電子掲示板サイト2ちゃんねる』に「橋下弁護士の一家惨殺してやる」というタイトルの殺害予告スレッドが投稿された。これに対し、橋下は法律の専門家として一般市民の言論に対してはできる限りアクションは起こしたくなかったが、内容や自分の立場や家族のことを考え、所属法律事務所、マネジメント会社、警察との協議により刑事告訴を行ったことを自身のブログで明らかにした[106]
  • マイケル・ジャクソンの死去の報ついて、「スリラーは何百回、何千回テープが擦り切れるまで聞いた。非常に残念」とコメントした[107]
  • 豊能町での公開討議において、「尊敬する昆虫はゴキブリ」と述べた。理由は「すぐに逃げて危機感がすごい」[108]
  • 政界出馬する前(2005~6年頃?)爆笑問題の番組内で外人女性の透視能力者に対し、当時、弁護士の身分でタレントとして活動している自分の行く末を相談した所、「政治に縁がある」「出馬し5年間活躍する」「その後は、本業(弁護士)に戻る」「それら政界活動も評価する人が出てくる」「色んな方面で敵を作ってしまう、誤解を受けやすい体質」といった返事に苦笑していた。太田に「いずれ出馬する気か?」と聞かれても「全く無いけどね」と述べていた。

家族 親族

「橋下の実父と、その弟の両方を知っているという地元住民は“弟は安中(地区)で水道工事会社をやっていたが、今は倒産して、ない。この水道工事会社は、実は兄、つまり橋下知事の実父が段取りして設立した会社や。暴れん坊で、ある組織の三羽鳥(さんばがらす)といわれたほどの男や。立場上、名前を出せなかったので弟に会社をやらせていたんや”と述べている。
また橋下の叔父(実父の弟)の水道工事会社は地元八尾市の指名業者でもあったが、部落解放同盟大阪府連が資金源獲得のために設立した直轄(ちょっかつ)の建設業者組織「大阪府同和建設協会」(同建協)の会員でもあった。倒産時多額の借金を抱えていたため、“貸した金を踏み倒された。なのに謝るどころか、平気な顔をして外国車を乗り回している。なにが『ハシモト』や100人が100人『ハシシタ』と読むわ!”と、今なお怒りが収まらない住民もいる」という。

出演

府知事就任後(報道・ワイドショー番組を除く)出演

テレビ番組

府知事選立候補表明前までの出演

テレビ番組

その他多数

ラジオ番組

その他多数

CM

著書

関連項目

外部リンク

脚注

  1. ^ 2008年1月知事選挙の時、八尾市内の街頭二カ所で演説した橋下は、「私は安中地区に住んでいました。」と声を張り上げ、自らが地元と近しい関係にあることを最大限アピールした。“複数の地元住民が、橋下知事と八尾市との関わりについて証言する。「橋下知事は小学校に上がるまで、つまり5、6歳頃まで、家族と一緒に市営の同和向け住宅に住んでいました。その頃は『ハシモト』ではなく『ハシシタ』と名乗っていました。今でも叔父さん、叔母さん……親戚が住んでいます。父親の事情で安中(地区)を出なければならなくなり、東京に引っ越したということです。そこで父親は病死したそうです。それで大阪に戻ってきたといいます」”(別冊宝島Real076『平成日本タブー大全2008』103頁より)
  2. ^ 別冊宝島Real076『平成日本タブー大全2008』103-104頁より
  3. ^ 【橋下徹研究】(1)「スネ夫」から「代弁者」へ 転校生が選んだ道 (2/4ページ) - MSN産経ニュース
  4. ^ a b 『徹子の部屋』2006年10月2日放送
  5. ^ 中学時代は仲間と共に川条をいじめて川条が転校したというエピソードを『たかじんのそこまで言って委員会』で紹介したが、川条にはいじめられた記憶がなく、2007年12月、川条から電話で問いただされた橋下は、「作ってました。申し訳ございません。」と謝罪している(38歳知事<上> メディア利用 計算ずく? 読売新聞 2008年1月28日)。高校では偶然、再び一緒になった。
  6. ^ ラグビー部に入部したのは当時放送されていた人気テレビドラマスクール☆ウォーズ』に影響されたからである。もう一つの理由は転校した中学校が札付きの不良が特に多い地域の学校であったため、どうしたら自分を守れるかと考えた末、校内で一番強いグループであったラグビー部の番長の下につけば安心と考えたからだという。
  7. ^ この試合は、近畿勢同士の対戦、かつ関西屈指の名門進学校VS関西屈指の名門ラグビー強豪校の対戦ということで大きな話題を呼んだ。しかもこの試合が1988年(昭和63年)の元旦だったため、会場の近鉄花園ラグビー場が満員札止めになってしまい、同会場の客席改装に至ったとのことである。
  8. ^ 傷物の革ジャンを安く仕入れ、その傷をを塗って隠し、高額で売っていたといい、橋下自身、「ちょっと詐欺みたいなものなんですけども」と『徹子の部屋』で語っている。
  9. ^ a b 週刊文春』(2006年6月15日号)
  10. ^ いつみても波瀾万丈』 2005年1月30日放送
  11. ^ http://blog.livedoor.jp/nihonkokukenpou/archives/51038077.html なお、当初は、youtube 動画も多くあったが削除されている
  12. ^ 「まっとう勝負」 P208
  13. ^ 「まっとう勝負」P210
  14. ^ 「まっとう勝負」P211
  15. ^ 「国家予算から単純計算すると、日本に生きるだけで一人あたま47万円の金がかかる。税金を払わない奴は生きる資格がない」というのが理由。なお、東ドイツでは一定期間無職であると職種ミスマッチお構いなしの強制就労が待っていた
  16. ^ 障害者雇用条例化…「未達成企業と取引しない」
  17. ^ 【橋下府政ウオッチ】ここまでしてくれるとは…競争主義者の意外な一面
  18. ^ 「最強の交渉術」 P14
  19. ^ 「最強の交渉術」P64
  20. ^ 「最強の交渉術」P65
  21. ^ 「最強の交渉術」P65
  22. ^ 「どうして君は友だちがいないのか」P70
  23. ^ 「どうして君は友だちがいないのか」P65
  24. ^ 子だくさんであることに関して、「妻の実家から子供ばかり産んで、君は避妊の方法をしらないのか」と叱られたと述べている。また、「どうして君は友だちがいないのか」という本を出版した際、『行列のできる法律相談所』において、島田紳助に「どうして君は子供を産み続けるのだろうか」と表紙を変えられネタにされた。
  25. ^ 平成21年4月29日 橋下知事と語ろう 子育てトーク http://www.pref.osaka.jp/fumin/taiwa/kosodate-1.html
  26. ^ 「まっとう勝負」P253
  27. ^ 「まっとう勝負」p191 なお、子供の数6人は、執筆当時の数と思われる。
  28. ^ a b c d 讀賣テレビ放送たかじんのそこまで言って委員会』より
  29. ^ 週刊新潮』2008年1月17日号より。また、「シティズ」はグレーゾーン金利(29% - 40%)問題で裁判を起こされている(庶民の弁護士 伊東良徳 みなし任意弁済の余地はほぼなくなりました
  30. ^ 被害110番(特別電話相談)の開催について 2006年1月13日の告知 日栄商工ファンド被害対策弁護団 アイフル被害対策全国会議 HP より引用
  31. ^ 『たかじんのそこまで言って委員会』2006年4月23日放送などでの発言。
  32. ^ 朝日新聞』2007年12月5日付朝刊
  33. ^ 毎日新聞』2007年12月5日付朝刊
  34. ^ “[
    • 大阪府知事選:弁護士の橋下氏が出馬表明「大阪を元気に」]”. 毎日新聞 (2007年12月12日). 12月12日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
  35. ^ 「ウソついた理由」もウソ 橋下出馬で宮崎哲弥指摘Jcast テレビウォッチ
  36. ^ 「二転三転は手続き上のこと」 橋下弁護士出馬会見詳報(4)”. 産経新聞 (2007年12月12日). 12月12日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
  37. ^ “[
    • 大阪府知事選:橋下弁護士出馬表明…出演場面カットへ]”. 毎日新聞 (2007年12月12日). 12月12日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
  38. ^ 橋下弁護士を応援しよう  2007年12月30日(せと弘幸Blog『日本よ何処へ』
  39. ^ スポーツ報知』 2008年1月11日
  40. ^ 当選後初出演した『そこまで言って委員会』で実際のビラが紹介されたが、発言はいずれも『そこまで言って委員会』を中心とした地元関西での番組で発言していたもので橋下本人も認めている。しかし、発言した番組はすべてが在京キー局の番組(テレビ朝日『スーパーモーニング』やTBS『サンデージャポン』など)とされている(実際各番組でも同じ発言を繰り返していた)。
  41. ^ 1番目に若い公選知事は北海道の田中敏文の35歳。2番目に若い公選知事は山口県の田中龍夫の36歳
  42. ^ 2008年02月11日 読売新聞
  43. ^ 2月10日22時39分配信 産経新聞
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  64. ^ 「2008年1月8日 マニフェスト公開討論会」(当該発言は後半のファイルの53分頃) 大阪市中央区の府立女性総合センター(ドーンセンター)(TV JAN
  65. ^ 2010年4月7日の「FNNスーパーニュースANCHOR」における発言
  66. ^ 宮城県以外の東北地方関東地方静岡県福井県沖縄県以外の道府県
  67. ^ 7人の子持ちということから子育て関連についてが特に多い。中にはかつて番組で競演した丸山和也弁護士(現・参院議員)とコンビで出演し、講演会のはずがトークショーと化したり、ビンゴ大会の司会を行う場合まであった。
  68. ^ 【橋下日記】(26日)「小泉元首相と比べれば僕なんて…」 MSN産経ニュース 2008年9月26日
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  83. ^ この番組は収録なので、橋下自身は「もしカットされたらもうしょうがないんですけど」と放送されない可能性もあることをわかった上で発言している。共演していた勝谷誠彦も橋下に同調し、「(懲戒請求を)出したったらええねん」と述べたが、読売テレビはそれらをカットせずに放送した。
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  87. ^ 刑事弁護を考える~光市母子殺害事件をめぐって 2007年9月9日(江川紹子ジャーナル
  88. ^ 光市母子殺害事件弁護団緊急報告集会出席報告(1)(橋下徹のLawyer’s EYE)
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  96. ^ 税法…詳しくなかった? 橋下弁護士申告漏れ(『産経新聞』2006年5月23日付朝刊)
  97. ^ この事件以降、出演番組(特に『たかじんのそこまで言って委員会』)で「脱税弁護士」「脱税の出来る法律相談所」「昔はトライ、今は税金ノックオン」等と揶揄されることがあった。また、事件についての報道がされなくなった後も、島田紳助に、しばしば「税金を理解していない弁護士」などとネタにされていた
  98. ^ 産経新聞・××××(← ブログでは実名であった)氏・お漏らし公務員チェックメイト! (橋下徹のつぶやきダイアリー 2006年5月26日閲覧)
  99. ^ オナニーメディアに物申す! (橋下徹のつぶやきダイアリー 2006年5月24日閲覧)
  100. ^ 三流以下の週刊文春へ(橋下徹のつぶやきダイアリー 2006年 7月 6日閲覧)
  101. ^ 読売新聞(夕刊)2009年10月17日
  102. ^ 元神奈川県逗子市長の富野暉一郎・龍谷大学教授。「外国の賓客に妻同伴で対応するのはもてなしとしいう側面があるが、公務中に子供を著名人と会わせるのは、公私混同の家族サービスと見られても仕方ない。目くじらを立てるほどの問題ではないかもしれないが、公職にある者としての配慮に欠けた面があったと言わざるを得ない」
  103. ^ 読売新聞2010年8月26日「橋下知事 公私混同」
  104. ^ 2007年12月13日放送分の『5時に夢中』での岩井の発言より。
  105. ^ 2008年1月3日MBSイブニングニュースの同窓生の発言
  106. ^ 2ちゃんねらーの方、大変残念ですが[リンク切れ](橋下徹のLawyer’s EYE)
  107. ^ http://sankei.jp.msn.com/politics/local/090626/lcl0906262300008-n1.htm
  108. ^ “【橋下日記】(4日)「尊敬する虫はゴキブリ」”. MSN産経ニュース(産経新聞). (2010年2月4日). http://sankei.jp.msn.com/politics/local/100204/lcl1002042204006-n1.htm 2010年3月26日閲覧。 
  109. ^ これがきっかけで公式の場でもトップ会談が組まれ、意見交換が行なわれていた。またやしきたかじんの自宅においてもお付の役人(橋下知事付のSPを除く)やテレビカメラがいない中で突っ込んだやり取りを行なっていた。
公職
先代
太田房江
大阪府知事
民選第17代:2008 -
次代
(現職)
党職
先代
(創設)
大阪維新の会代表
初代:2010 -
次代
(現職)