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泰葉

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泰葉
出生名 海老名泰葉
生誕 (1961-01-17) 1961年1月17日(63歳)
出身地 日本の旗 日本東京都
ジャンル J-POP
職業 シンガーソングライタータレントプロデューサー
担当楽器
活動期間 1981年 - 1988年
2007年 - 現在
レーベル アイアン・キャンドル
つばさレコーズ
事務所 小澤音楽事務所→レッドバス・エンタープライズ→アイアン・キャンドル→ねぎし事務所→株式会社FISEMAN
公式サイト 泰葉オフィシャルサイト&ブログ

泰葉(やすは、1961年1月17日 - )は、東京都出身のシンガーソングライタータレントプロデューサー血液型A型初代林家三平春風亭小朝の元。本名:海老名 泰葉(えびな やすは)。

所属事務所は、小澤音楽事務所→レッドバス・エンタープライズ(結婚による芸能界引退まで)→アイアン・キャンドル→ねぎし事務所(亡父の事務所で実母が代表者)→株式会社FISEMAN→2013年7月ねぎし事務所。結婚引退中は、夫小朝の事務所「春々堂」の社長だった。

来歴・人物

父は落語家初代林家三平。母は海老名香葉子。伯父は釣竿職人の中根喜三郎(母・香葉子の兄)、祖父に7代目林家正蔵、実姉に海老名美どり、実弟に9代目林家正蔵2代目林家三平、義兄に峰竜太、義妹に国分佐智子、甥に下嶋兄がいる。

幼少のころからクラシックを学ぶ。東京都立芸術高等学校卒業。東京芸術大学音楽学部への進学を志望していたが、他の音大も含め不合格となり、浪人を選ばず進学を断念。音大進学の失敗を機にクラシックから転向し、ジャズやポピュラー歌手を志す。1981年に『フライディ・チャイナタウン』でシンガーソングライターとしてデビュー。また、アーティストへの楽曲提供も行い、『夏のRELIFE』(松本伊代)、『YES、IT'S MY HEART』(少女隊)『目黒の実家に帰ります』(五十嵐祐子)などを残した。タレントとしては『午後は○○おもいッきりテレビ』(日本テレビ系)初代アシスタント司会を務めるなどした。

その後、春風亭小朝婚約し、1988年4月に小朝の援助を受けて桐朋学園大学音楽学部に入学、同年6月に結婚した。しかし、寝坊癖が直らず音大の出席が困難となり僅か3ヶ月ほどで中退することになる。自身は芸能界を引退し、小朝の事務所「春々堂」の社長として小朝のマネージメントを務め始めた。

引退で当然のように表舞台から姿を消したが、2004年の林家正蔵襲名記念披露パーティーの企画に携わるなど落語界で裏方的な活動をこなしており、時々テレビに映ることはあった。

2007年11月に帝国ホテルの宴会場で小朝と離婚という形で記者会見を開き、久々に公の前に姿を見せることになった。この会見では結婚など目出度い時に使う金屏風を会見場に立てており、仕来りに反すると同時に芸能界でも前例のないパフォーマンス演出により、一躍ワイドショーで格好の話題を提供することになった。当初は「社長業と主婦業の両立が出来ない」という理由で「円満離婚」を強調していた。慰謝料は1億5千万円で、泰葉は「安い」と不平を漏らしている。これを機にアイアン・キャンドルを立ち上げるなど芸能界へ本格復帰(エピソードで後述)し、アメブロ上に公式ブログを開設した。2008年に夫婦生活や離婚の経緯などを綴った著書『開運離婚』を出版。

2008年大晦日有明コロシアムで行われるハッスル・マニア2008の電撃会見を行い、プロレスのリングに於いてフランク・シナトラが360度観客に囲まれて歌を歌ったように、プロレスのリングで歌を歌う「ファイティング・オペラハッスル」として参戦することを公言した。しかしそこに、ハッスルの支配者高田総統が現れ、歌を歌いたければリング上で戦い勝つことを条件として課せられ、強制的にプロレスラーとなってしまった。試合は12月30日に行われ、大晦日のゴールデンタイムに放映され紅白歌合戦とも戦うこととなった。
本番試合では対戦相手アン・ジョー司令長官に対し7分10秒で勝利した(決め技は『回転“海老名”固め』)。

2009年には自作新曲で歌手再デビューを果たし、ライブハウスでのショーやCDのインストアライブに幾つか出演する傍ら、川嶋あいら『つばさアーティスト』の一員としてライブ「つばさ祭」にも出演した。しかし、2010年4月に予定していたミュージックラウンジでのライブ出演が中止となり、所属マネージメント会社をファイズマンへ移籍。同年8月の神宮外苑花火大会への登壇を以て歌手活動を休止し充電期間に入る。

2011年5月8日に実弟の林家三平 (2代目)、義妹に当たる国分佐智子、母(香葉子)と共に東日本大震災の被災地である岩手県大船渡市を慰問[1]。また、同年10月に催された三平と国分の結婚披露宴に出席し、マスコミ取材では「弟やったぜ!」「来年アーティスト活動を(再開)しますので」と発言している[2]

父・三平の半生を描いたドキュメンタリー映画を製作するとあったが既に2010年時点で進展が無くなっている。

小朝との結婚・離婚

仕事のことで悩みがあり引退したがっていたが、辞めたら辞めたでやることがなくなるから辞められないということを小朝に相談したところ、プロポーズされ2人は結婚。同時に泰葉は芸能界から引退した。

その後は小朝が所属する事務所の社長を務め、主に小朝のマネージメント活動を行っていたが、時折テレビに出演し、小朝や弟のいっ平と共演する機会もあった。

2007年11月12日、自らのプロデューサーとしての活動発展を理由に離婚。翌日にメディア発表を行い、小朝、実弟2人の同席や金屏風をバックにした異例づくめの離婚会見を行った。[3]離婚の経緯について、仕事を続ける中で主婦業に集中できず、中途半端がいやなため、夫婦という関係を解消しようと申し出たことを明らかにした。TBSの取材では、落語家である小朝を尊敬するあまり、夫の小朝との関係が家族愛ではなく師弟愛であったと涙ながらに語り、落語家のには二度とならないと語るなど、落語家の妻として振舞うことに相当の苦労があったことを覗かせていた。

離婚後、「落語家の元妻」ということで笑点大喜利でなぜかネタにされることがあり、「金髪糞豚野郎」をもじって、「何々野郎」と罵倒する言葉を考えるというお題が出されたり、特に6代目三遊亭圓楽からは、「うるせえ泰葉(アニメのキャラクターをもじる問題が出題された際にて、うる星やつらのもじり)」、根岸に近づいたところで「落語家の皆さん、そろそろ根岸ですからね、泰葉が来るぞー」、「春風亭小朝」と「海老名泰葉」で(ネットで組み合わせ)検索したらパソコンが燃えました(いわゆる、「ブログ炎上」をネタにしたものと思われる)、「泰葉です。海老名家の困りもの(エコを頭に付けた言葉を考える問題にて)」などとネタにされることが多々ある。桂歌丸からも、「あれが来るとロクなことがない」と合いの手を入れることがある(ちなみに「金髪糞豚野郎」のもじりで6代目圓楽は歌丸のことを「ハゲタカ骨野郎」と呼んだことがある)。

有吉弘行からは、泰葉の目の前ではないが、「おしゃべりブタ野郎」というあだ名を付けられた。

アイアン・キャンドル

2007年に脚本家田渕久美子と、芸能事務所「アイアン・キャンドル(【鋼の=溶けない=蝋燭】の意)」を共同設立し、本名で代表取締役に就任した。
2008年1月から放送されたNHK大河ドラマ篤姫」の脚本を担当した田渕のマネジメントと、同作品の総合プロデュースを名目に事業を行っていた。
なお、泰葉も同社マメジメント期間中にNHK思い出のメロディーに出演している。

しかしながら事務所設立前に、田渕が自身の衣装として事務所に向けて発注した着物の代金未払いが発覚し、2008年11月に事務所に対して2000万円の損害賠償請求訴訟が提起された。続いて泰葉が呉服店関係者に対して田渕の再婚した夫の最期が近い事などを連絡したにも関わらず連絡に応じなかったとして、留守番電話電子メールに罵倒を発した事から、同年12月には泰葉に対して名誉毀損訴訟も提起された。泰葉はハッスル・マニア2008の練習などで顔を出し、マスコミに対して【損害賠償については和解勧告を受けている】・【名誉毀損については罵倒を認め、謝罪文を送付した】事を明らかにしている。

その後、一連の騒動で会社解散の危機に追い込まれたが、泰葉自身の歌手活動の復活と共に、つばさエンタテンメント(つばさレコーズ)とエージェント契約を結ぶ事で継続した。

エピソード

  • 泰葉の名前の由来は、父・三平の本名、泰一郎の「泰」の字と、母・香葉子の「葉」の字からとって付けられた。
  • 泰葉の勧めで、弟・9代目正蔵がこぶ平の時代に大阪へ来阪する時は、やしきたかじんのかばん持ちをしばらくさせていた[4]
  • 1984年4月23日、『笑っていいとも』のテレフォンショッキングに出演した際、泰葉が「お友達紹介」の際に誤って一般人に電話をかけてしまい、タモリが冗談で「明日来てくれるかな!?」と問いかけたところ相手が「いいとも!」と答えたため、その次の日から3日間、本コーナーの前に一般人がゲストのテレフォンショッキングが行われた。逆に1986年4月4日のテレフォンショッキングでは、松本伊代が泰葉を紹介する際に間違い電話をしてしまっている。
  • おはようスタジオ』の司会時代に、ゲスト出演した斉藤由貴とのトーク中、「オッパイ大きいね」と言いつついきなり斉藤の胸を揉み、斉藤に「何するんですか!!」と激怒された。
  • 2009年1月30日『クイズ$ミリオネア』に出場、番組初のノンサポーターで挑戦したものの、凡ミスにより10問目で敗退。なお、海老名家兄弟そろって10問正解者不在となった。

ディスコグラフィ

シングル

  1. フライディ・チャイナタウン/ モーニング・デート - 1981年9月
  2. ブルーナイト・ブルー / 突然ハプニング - 1982年3月
  3. 水色のワンピース / Thinking of you - 1982年8月
  4. ポール・ポーリー・ポーラ / 涙のブロークンハート - 1983年4月
  5. COOL TOWN / HOT TOWN - 1983年10月
  6. 夏の恋・ジェラシー / 夏のエピソード - 1984年6月25日
  7. 下町スウィング / ショート・ストーリー(短編小説) - 1984年9月25日
  8. Sincerely Yours / Don't You Know -1986年9月25日
  9. お陽様よほほえんで / 大聖堂 -2008年12月17日
  10. I Believe (C/W フライディ・チャイナタウン2009)- 2009年12月2日

アルバム

  1. TRANSIT(1981年11月1日)
    • 1994年にQ盤としてCD化されている。
  2. ViVid(1982年4月25日)
  3. わっ不っ思議ー。(1982年 ミニアルバム)
    • レコードの溝が2本切ってある特殊加工レコード(A面のみ)。同じ曲(「水色のワンピース」)のアレンジ違い版が入っており、レコード針の落とし方でどちらかが流れる。
  4. RESERVED(1983年3月25日)
  5. わっ不っ思議ー。Part.2(1983年11月1日 ミニアルバム)
    • レコードの溝が逆方向に切ってある特殊加工レコード(A面のみ)。通常のレコード盤と違い、針を内側に落として再生する。曲の進行とともに針が外側に移動する。
    • ジャケットはアルバム「RESERVED」のジャケットを反転(文字が裏返し)したもの。
  6. White Key(1984年9月5日)
  7. YAHHOO!!(ヤッホー、1986年9月25日)
  8. GOLDEN☆BEST 泰葉(2006年3月1日)
  1. 横浜幻想(2004年1月28日 GT Music) - 「フライディ・チャイナタウン」
  2. ISETAN Songs Collection 1972-1986(2011年4月13日 GT Music) - 「セクシー28℃」(『わっ、不っ思議ー』の収録曲。伊勢丹のキャンペーンソングとしてタイアップ)

著書

主な出演番組

泰葉役を演じた女優

脚注

  1. ^ 泰葉、国分と初対面「私たち美人姉妹!?」 MSN産経ニュース 2011年5月9日
  2. ^ 三平の結婚式に姉・泰葉「弟は親孝行」-OliconEltha
  3. ^ 小朝&泰葉“陽気離婚”強調もポロリ 2007年11月14日 スポーツニッポン閲覧
  4. ^ 毎日放送「たかじんONE MAN」より

外部リンク