熱の壁
熱の壁(ねつのかべ)とは、航空機にとって、マッハ3付近の速度で飛行が困難となる状況を表す。
概要
類似した言葉として、音の壁が良く知られているが、これは飛行速度が音速に近づくにつれて、空気の圧縮性の影響から生ずる造波抗力の急増、翼表面に生じる衝撃波の後流における流れの剥離、その他空力変化や空力弾性的な問題により、飛行に困難が生じる事を言う。しかしながら実験機によって1940年代には、そして実用機でも1950年代には音速を突破する事ができた。そして一旦音速を突破してしまえば、そこから先は急激な抗力の増加や空力的な変化は生じないため、マッハ1級に到達した後、ほどなくしてマッハ2級の超音速機が登場している。そしてこのまま航空機が発達していけば、ほどなくしてマッハ3級の機体も開発できるものと思われた。そのためマッハ1をようやく突破した時期において、マッハ3級機の開発が進められる状況であった。
しかしながら、マッハ3付近において、新たな「壁」が立ちふさがる事になった。これが熱の壁である。飛行速度がマッハ3付近に近づくと、飛行機は空気の断熱圧縮により部分的に1,000度を超える熱を持つ。この温度は、多くの航空機の素材であるアルミニウムの融点を超える温度である。そのため、マッハ3を突破するためには、機体をアルミニウム以外の素材で製作する必要がある。その候補になったのはスチールやチタニウムを主体とする各種合金であったが、前者は重量が大きいため航空機の素材には向かず、後者は極めて加工が困難であり製造に莫大なコストを必要とした。そして、ただ単に熱に耐えるのみならず、乗員や電子機器、燃料など機体内部を熱から保護するために遮温する事も必要である。また熱膨張による機体の変形についても対処が必要となった。
そのため、1950年代から1960年代にかけてマッハ3に達する機体が試作されたものの、極めて高価、かつマッハ3の高速を達成するためにそれ以外の性能を犠牲にせざるを得なくなり、実用化は断念された。唯一の例外はアメリカ中央情報局の偵察機A-12と、同機を空軍向けに手直ししたSR-71のみであるが、生産数は非常に限られている。またMiG-25はマッハ3以上の速度で飛行した事例があるが、機体の運用限界を超えたものであると言われている。
主な機体
- XF-103:マッハ3.7を目指した戦闘機。チタン合金を使用。モックアップのみ。
- XF-108:マッハ3級護衛戦闘機・要撃機。モックアップのみ。
- XB-70:マッハ3級爆撃機。ステンレス合金を使用しハニカム構造を採用。熱の壁による高温への対処と引き換えに機体強度は極めて脆弱、かつ運動性が低く、あらかじめプログラムしたコースしか飛行できない。試作のみ。
- A-12:マッハ3級偵察機。CIA所属。チタン合金を使用。世界初のマッハ3級実用機だが、生産数は少ない。
- YF-12:マッハ3級要撃機。A-12の派生型。試作のみ。
- SR-71:マッハ3級偵察機。A-12をアメリカ空軍向けに手直しした機体。A-12同様に生産数は少ない。熱の壁付近の熱膨張を考慮した設計のため、常温時には機体に隙間が生じ、燃料が漏れ出すほどである。
- XF8U-3:アメリカ海軍の戦闘機。F-4戦闘機との競争試作に敗れ不採用になったが、NASAの高速試験機として運用された。その機体設計と強力なエンジン推力からマッハ2.9級の速力を出すポテンシャルを有していたとされるが、熱の壁に対応する設計は行っておらず、実際にはそこまでの高速には機体が耐えられない。
- MIG-25:旧ソ連の開発した迎撃戦闘機・偵察機。スチールを使用。マッハ3.4での飛行事例が確認されている[1]が、機体の限界を超えたものであり、実際の運用上の最高速度はマッハ2.83。発展型のMiG-31については今のところ確認されていない。
- T-4:マッハ3級爆撃機。チタン合金を使用。試験飛行ではマッハ1.36止まりであった。試作のみ。
- アブロ 730:マッハ3級爆撃機。計画中止。
- ブリストル 188:アブロ 730に使用するステンレス合金構造の超音速研究機。
脚注
- ^ 『ミグ戦闘機―ソ連戦闘機の最新テクノロジー メカニックブックス』原書房