[go: nahoru, domu]

コンテンツにスキップ

石井岳龍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。SAS (会話 | 投稿記録) による 2010年2月5日 (金) 16:07個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

石井聰亙(いしい そうご、1957年 - )/石井岳龍(いしい がくりゅう)は、日本映画監督

福岡県生まれ。福岡県立福岡高等学校日本大学藝術学部卒。 1976年、日本大学芸術学部入学直後、8mm映画デビュー作『高校大パニック』を撮り、熱狂的な支持を得る。

続く1980年『狂い咲きサンダーロード』でジャパニーズ・ニューウェイブの急先鋒となる。1982年『爆裂都市 BURST CITY』を発表。斬新で前衛的なアクション映画を撮り続け、1984年の『逆噴射家族』はイタリアの第8回サルソ映画祭グランプリ等、国内のみならず海外でも高い評価を受ける。

また、自らがボーカルをつとめるバンド「石井聰亙&バチラス・アーミー・プロジェクト」で音楽活動も行い、自作映画『アジアの逆襲』の音楽を担当して、同題名のレコード・アルバムも発売した。

その前後からジャパニーズパンク/ニューウェーブシーンと共闘した数々の音楽ビデオと実験的短編映画製作に打ち込み、1994年の『エンジェル・ダスト』(バーミンガム映画祭グランプリ)、『水の中の八月』(1995年)、『ユメノ銀河』(1997年・オスロ映画祭グランプリ)と作品を発表。 続いて、時代劇とSFXを融合させた超大作『五条霊戦記』(2000年)が公開されるが、期待されたほどの興行収入を得ることはできなかった。

21世紀に入ってからは、映画のジャンルを超越したハイパーエキサイトムービー『ELECTRIC DRAGON 80000V』(2001年)、『DEAD END RUN』(2002年)を発表。2005年には、フルデジタル機材を使用して制作した『鏡心・3Dサウンド完全版』を発表、全国上映ツアーを行った。2006年、監督生活30周年を迎え、記念の初期作品集が発売された。

彼のデビュー以来の鋭い表現手腕は、映画に留まらず、ミュージッククリップ、ビデオアート、写真、ライブ活動等、様々なメディアで発揮され続けている。尖端的な音楽と、風景や光の情景をミックスさせた映像表現手法は、「実験的」と評されながらも、特に同じ業界の人間や、アーティストからの評価が高いことでも有名。ちなみにクエンティン・タランティーノも石井聰亙を敬愛しており、映画『キル・ビル Vol.1』の中でルーシー・リュー演じる女性を「オーレン・イシイ」と名づけたのは、「石井輝男、石井聰亙、石井隆石井克人…と好きな日本人監督がイシイばっかり」だったからだという。

2010年1月17日、公式ブログで、今後は石井岳龍の名前ですべての活動、仕事を行うと発表。


作品

映画(監督)

テレビドラマ(監督)

PV(監督)

CM出演

外部リンク