フェデックス・セントジュード招待
WGCブリヂストン・インビテーショナル | |
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トーナメント情報 | |
創設 | 1976年 |
開催地 | オハイオ州アクロン |
ファイアストンCC・サウスコース | |
基準打数 | 70 |
ヤーデージ | 7,400ヤード (6,800 m) |
ツアー |
PGAツアー ヨーロピアンツアー |
競技方法 | ストローク |
賞金総額 | 950万米ドル |
開催月 | 8月 |
最高記録 | |
最少打数 | 259 タイガー・ウッズ (2006) |
通算スコア | -21 タイガー・ウッズ (2002) |
最新優勝者 | |
松山英樹 |
世界ゴルフ選手権 | |
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メキシコ選手権 | |
デル・マッチプレー | |
ブリヂストン招待 | |
HSBCチャンピオンズ | |
(ワールドカップ) |
WGCブリヂストン・インビテーショナル(WGC-Bridgestone Invitational)は、世界ゴルフ選手権の一戦として、毎年8月に開かれるゴルフの大会である[1]。会場はアメリカ・オハイオ州アクロンにある「ファイアストーン・カントリークラブ」で行われる。以後2005年まではNECインビテーショナル(WGC-NEC Invitational)という大会名であった。
歴史
この大会は元々1962年にメジャー大会優勝者による非公式大会としてスタートした。9月にジャック・ニクラス、アーノルド・パーマー、ゲーリー・プレーヤーのBIG3により36ホールで争った。1人の選手がその年に複数のメジャー優勝がいた場合、補欠としてカナディアン・オープンやウェスタン・オープンの優勝者が参加されていたこともあった[2][3][4][5][6]。1975年を最後に4人による大会が終了し、1976年からPGAツアーの公式戦となり、現行の方式となった。1984年からは日本電気(NEC)のアメリカ現地法人がスポンサーとなりNECワールドシリーズ・オブ・ゴルフとなる。1999年からはWGCのひとつに指定される。メジャーリーグベースボールと同じように、4大メジャーに次ぐ「真の世界一決定戦」という位置づけの大会のひとつである。2006年からスポンサーがブリヂストンに変わり、現在の名称に変更された。なおメジャー大会優勝者同士による大会は現在PGAグランドスラム・オブ・ゴルフに受け継がれている。
大会に出場できるのは当年度の世界ランキング50位以内に入った選手、また世界各地のツアー競技で指定された大会の優勝者、ならびに団体戦のライダーカップとプレジデンツカップの代表選手が対象となる(ライダーカップは米国代表12名とヨーロッパ代表12名、プレジデンツカップは米国代表12名と国際選抜チーム代表12名)、および前年ブリヂストンオープン優勝者、当年日本ゴルフツアー選手権優勝者。試合は4日間のストロークプレー方式で行われる。
本大会が世界ゴルフ選手権に編入された後、最初の2回はメジャー大会最終戦の全米プロゴルフ選手権から1週間の間隔を置いて行われていた。しかし2001年度の大会から、全米プロゴルフ選手権のすぐ翌週に開催されるようになった。そのため、出場資格のある選手たちにとっては大規模な大会の連戦となり、コンディションの調整が大きなカギを握る。2002年度の大会だけは、ファイアストーン・カントリークラブが「全米プロシニア選手権」の会場に使用されたため、別のコースで行われたが、2003年からは再び元のファイアストーンに戻った。このコースは16番ホール(667ヤード、パー5)に“Monster”(モンスター、距離が非常に長いことからついた)という愛称がある。ここでトリプルボギーを叩いたアーノルド・パーマーが「Monster」と呼んだのがきっかけでその愛称が付いた。
1999年に世界ゴルフ選手権第2戦となってからは、1999年~2001年にかけてタイガー・ウッズが大会3連覇を飾っている。その2年前、まだ本大会がNECワールドシリーズ・オブ・ゴルフだった1997年に、グレグ・ノーマン(オーストラリア)がここで最後のPGAツアー優勝をした。なおNECもブリヂストンも日本企業であり、日本での開催が熱望されているが、日程の都合上、開催は難しいと思われる。
タイガー・ウッズは2009年までに7度優勝し、最低順位も4位とこの大会を得意としていたが、2010年は苦戦し自己ワーストの4日間通算18オーバーを記録し、プロ転向後最低の78位タイで終えた。
歴代優勝者
*Note: 2002年大会のみワシントン州サマミッシュのサハリー・カントリークラブで開催。
ワールドシリーズ・オブ・ゴルフ歴代優勝者
開催年 | 優勝者 | 出身国 | 優勝賞金 ($) |
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NEC World Series of Golf | |||
1998 | デビッド・デュバル | アメリカ合衆国 | 405,000 |
1997 | グレグ・ノーマン (2) | オーストラリア | 396,000 |
1996 | フィル・ミケルソン | アメリカ合衆国 | 378,000 |
1995 | グレグ・ノーマン | オーストラリア | 360,000 |
1994 | ホセ・マリア・オラサバル (2) | スペイン | 360,000 |
1993 | フルトン・アレム | 南アフリカ共和国 | 360,000 |
1992 | クレイグ・スタドラー (2) | アメリカ合衆国 | 252,000 |
1991 | トム・プルツァー | アメリカ合衆国 | 216,000 |
1990 | ホセ・マリア・オラサバル | スペイン | 198,000 |
1989 | デビッド・フロスト | 南アフリカ共和国 | 180,000 |
1988 | マイク・リード | アメリカ合衆国 | 162,000 |
1987 | カーティス・ストレンジ | アメリカ合衆国 | 144,000 |
1986 | ダン・ポール | アメリカ合衆国 | 126,000 |
1985 | ロジャー・モルトビー | アメリカ合衆国 | 126,000 |
1984 | デニス・ワトソン | ジンバブエ | 126,000 |
World Series of Golf | |||
1983 | ニック・プライス | ジンバブエ | 100,000 |
1982 | クレイグ・スタドラー | アメリカ合衆国 | 100,000 |
1981 | ビル・ロジャース | アメリカ合衆国 | 100,000 |
1980 | トム・ワトソン | アメリカ合衆国 | 100,000 |
1979 | ロン・ヒンキー | アメリカ合衆国 | 100,000 |
1978 | ギル・モーガン | アメリカ合衆国 | 100,000 |
1977 | ラニー・ワドキンス | アメリカ合衆国 | 100,000 |
1976 | ジャック・ニクラス | アメリカ合衆国 | 100,000 |
ワールドシリーズ・オブ・ゴルフ(非公式大会)歴代優勝者
開催年 | 優勝者 | 2位 | 3位 | 4位 |
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1975 | トム・ワトソン (O) | ジャック・ニクラス (MP) | トム・ワイスコフ (C[6]) | ルー・グラハム (U) |
1974 | リー・トレビノ (P) | ゲーリー・プレーヤー (MO) | ボビー・ニコルズ (C[5]) | ヘール・アーウィン (U) |
1973 | トム・ワイスコフ (O) | (タイ) ジョニー・ミラー (U) & ジャック・ニクラス (P) | トミー・アーロン (M) | |
1972 | ゲーリー・プレーヤー (P) | (タイ) ジャック・ニクラス (MU) & リー・トレビノ (O) | ゲイ・ブルーアー (C[4]) | |
1971 | チャールズ・クーディー (M) | ジャック・ニクラス (P) | リー・トレビノ (UO) | ブルース・クランプトン (W[3]) |
1970 | ジャック・ニクラス (O) | (タイ) ビリー・キャスパー (M) & デーブ・ストックトン (P) | トニー・ジャックリン (U) | |
1969 | オービル・ムーディー (U) | ジョージ・アーチャー (M) | (タイ) トニー・ジャックリン (O) & レイモンド・フロイド (P) | |
1968 | ゲーリー・プレーヤー (O) | ボブ・ゴールビー (M) | ジュリアス・ボロス (P) | リー・トレビノ (U) |
1967 | ジャック・ニクラス (U) | ゲイ・ブルーアー (M) | ロベルト・デ・ビセンゾ (O) | ドン・ジャニュアリー (P) |
1966 | ジーン・リトラー (C[2]) | (タイ) ジャック・ニクラス (MO) & アル・ガイバーガー (P) | ビリー・キャスパー (U) | |
1965 | ゲーリー・プレーヤー (U) | ジャック・ニクラス (M) | ピーター・トムソン (O) | デーブ・マー (P) |
1964 | トニー・レマ (O) | ケン・ベンチュリー (U) | ボビー・ニコルズ (P) | アーノルド・パーマー (M)[7] |
1963 | ジャック・ニクラス (MP) | ジュリアス・ボロス (U) | アーノルド・パーマー (プレーオフ)[8] | ボブ・チャールズ (O)[9] |
1962 | ジャック・ニクラス (U) | (タイ) アーノルド・パーマー (MO) & ゲーリー・プレーヤー (P) |
メジャー優勝者: M = マスターズ, U = 全米オープン, O = 全英オープン, P = 全米プロ
その他優勝者: C = カナディアン・オープン, W = BMW選手権(当時はウェスタン・オープン)
- Palmer won an 18-hole playoff between the three runners-up of the two majors' playoffs in 1963.
順位 | 賞金 ($) |
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1 | 50,000 |
2 | 15,000 |
3 | 7,500 |
4 | 5,000 |
- 最初の3回は3位賞金$5,000であった。
脚注
- ^ 2016年大会はリオ五輪開催の影響により6月30日から7月3日までの変則開催。またヨーロピアンツアーの大会も外され、裏開催としてオープン・ド・フランスが開催予定
- ^ a b “Littler Has Many Thanks”. The Dispatch. UPI (Lexington, North Carolina). (September 12, 1966) August 26, 2013閲覧。
- ^ a b “Coody in Front By Three Strokes”. Reading Eagle. AP: p. 60. (September 12, 1971) August 26, 2013閲覧。
- ^ a b “Player, Trevino, Brewer Face Nicklaus In Series”. Lewiston Morning Tribune. AP: p. 14. (September 8, 1972) August 26, 2013閲覧。
- ^ a b “Player Favored, Nicklaus Favorite In Prestigious Golf World Series”. The Ledger. AP (Lakeland, Florida): p. 3B. (September 7, 1974) August 26, 2013閲覧。
- ^ a b “Nicklaus Has Ax To Grind”. Evening Independent. AP (St. Petersburg, Florida): p. 5-C. (September 5, 1975) August 26, 2013閲覧。
- ^ “Tony Lema victor in World Series”. Eugene-Register Guard. Associated Press: p. 3B. (September 14, 1964)
- ^ “Palmer, Cupit, Rodgers In Series Playoff”. Lodi News-Sentinel. UPI: p. 8. (August 17, 1963) August 26, 2013閲覧。
- ^ “$50,000 win for Nicklaus over Boros”. Spokesman-Review. Associated Press: p. 11. (September 9, 1963)