松永英機
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名前 | ||||||
カタカナ | マツナガ ヒデキ | |||||
ラテン文字 | MATSUNAGA Hideki | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1963年2月8日(61歳) | |||||
出身地 | 静岡県藤枝市 | |||||
身長 | 169cm | |||||
体重 | 66kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
ユース | ||||||
静岡学園高校 | ||||||
大阪商業大学 | ||||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1984-1991 | 松下電器 | |||||
監督歴 | ||||||
1999 | ヴェルディ川崎 | |||||
2003-2004 | ヴァンフォーレ甲府 | |||||
2005 | ヴィッセル神戸 | |||||
2006 | 佐川印刷SC | |||||
2007-2009 | FC岐阜 | |||||
2021 | 横浜F・マリノス | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2016年12月25日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
松永 英機(まつなが ひでき、1963年2月8日 - )は、静岡県藤枝市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
来歴
[編集]大阪商業大学サッカー部時代は全日本大学選手権2連覇を果たした。卒業後は[要出典]松下電器産業サッカー部(現:ガンバ大阪)でプレー。
引退後は松下電器およびプロ化したG大阪や、ヴェルディ川崎(現:東京ヴェルディ1969)で指導者経験を積む。またこの間、日本サッカー協会の強化委員スタッフに加わり、アトランタ五輪ではスカウティングスタッフとして対戦相手チームを分析。マイアミの奇跡と呼ばれるブラジル戦での勝利に貢献した。
1999年にはV川崎で初めてJリーグチームの監督を務める(ただし実質的な指揮は総監督の李国秀が執っていた。これは翌年の張外龍監督のときも同じである)。辞任後は清水エスパルスのコーチを務めた。
2003年に大木武の後を受けてヴァンフォーレ甲府の監督に就任。資金も戦力も決して豊富とは言えない甲府で2003年と2004年前半には松永自ら招いた元日本代表FW小倉隆史の獲得も功を奏し、昇格争いを繰り広げ観客動員も増加した。ファウルを犯さない組織的な守備をベースとしながらも、小倉や藤田健といった創造性の高い選手の能力を生かしたボールポゼッションからサイドチェンジ、サイドアタックを基調とした戦術は高い評価を受け、当時のサッカー誌上でも取り上げられた[要出典]。2004年後半は得点源であったブラジル人FWバロンの途中退団や主力選手の故障により失速、同年限りで退団するものの、観客動員増からクラブの財政が好転し新外国人バレーの獲得が可能となり、松永の後を引き継ぎ再就任となった大木監督により甲府は翌2005年にJ1昇格を果たしている。
2005年よりヴィッセル神戸の監督に就任したが、第6節まで1勝3敗2分けの17位と出遅れたことを理由に4月19日付で解任された。
2006年には佐川印刷SCの監督に就任したが、前期は成績が低迷。後期は成績が上向きになってきたが、8月31日に辞任した。
2007年、FC岐阜でヘッドコーチ、2007年6月21日から2009年12月13日まで岐阜の監督を務めた。
2010年、名古屋グランパスエイトの育成普及部テクニカルディレクターに就任した。
2013年、岐阜の統括副本部長兼チーム統括部長に就任した[1]。
2016年2月よりJリーグ育成ダイレクターに就任した[2]。
2019年2月から横浜F・マリノスのアカデミーダイレクターに就任した。
2021年2月4日、横浜F・マリノスと業務提携を行っている関東学院大学サッカー部の総監督に就任[3]。6月10日、横浜F・マリノスのアンジェ・ポステコグルーの監督退任を受け、暫定監督に就任。
所属クラブ
[編集]個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | JSL杯/ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1984 | 松下 | JSL2部 | 0 | 0 | |||||||
1985 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||||||
1986-87 | 12 | JSL1部 | 9 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 11 | 0 | |
1987-88 | JSL2部 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||||||
1988-89 | 12 | JSL1部 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
1989-90 | 29 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
1990-91 | 28 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||||||
通算 | 日本 | JSL1部 | 9 | 0 | |||||||
日本 | JSL2部 | ||||||||||
総通算 |
指導歴
[編集]- 1989年 - 1992年 松下電器 コーチ
- 1992年 - 1994年 ガンバ大阪 ユースコーチ、コーチ(サテライトコーチ兼任)
- 1994年12月 - 1996年 日本サッカー協会強化委員
- 1996年 アトランタオリンピックプロジェクトチーム(スカウティングスタッフ)
- 1997年 - 1999年 ヴェルディ川崎
- 1997年6月 サテライトコーチ(ユースコーチ兼任)
- 1998年 テクニカルグループ
- 1999年 監督
- 2000年 - 2002年 清水エスパルス
- 2000年 - 2001年 強化担当
- 2002年 サテライト監督
- 2003年 - 2004年 ヴァンフォーレ甲府 監督
- 2005年 - 2005年4月 ヴィッセル神戸 監督
- 2006年 - 2006年8月 佐川印刷SC 監督
- 2007年 - 2009年 FC岐阜
- 2007年 - 2007年6月 コーチ
- 2007年6月 - 2009年 監督
- 2010年 - 2012年 名古屋グランパス テクニカルディレクター
- 2013年 - 2014年 FC岐阜 統括副本部長兼チーム統括部長
- 2015年 名古屋グランパス チーム統括部テクニカルダイレクター
- 2016年 - 2018年 Jリーグ育成ダイレクター
- 2019年 - 2021年 横浜F・マリノス
- 2019年 - 2021年6月 アカデミーダイレクター
- 2021年 関東学院大学サッカー部 総監督
- 2021年6月 - 7月 暫定監督
- 2021年7月 - 12月 アシスタントコーチ
- 2022年 - 岐阜県サッカー協会FAコーチ
監督成績
[編集]年度 | クラブ | 所属 | リーグ戦 | カップ戦 | ||||||
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順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | |||
1999 | V川崎 | J1 | 7位 | 49 | 30 | 17 | 2 | 11 | 2回戦 | ベスト4 |
2003 | 甲府 | J2 | 5位 | 69 | 44 | 19 | 12 | 13 | - | 3回戦 |
2004 | 7位 | 58 | 44 | 15 | 13 | 16 | - | 4回戦 | ||
2005 | 神戸 | J1 | - | 5 | 6 | 1 | 2 | 3 | 予選リーグ敗退 | - |
2006 | 佐川印刷 | JFL | - | - | - | |||||
2007 | 岐阜 | 3位 | 27 | 18 | 7 | 6 | 5 | - | 3回戦 | |
2008 | J2 | 13位 | 42 | 42 | 10 | 12 | 20 | - | 4回戦 | |
2009 | 12位 | 62 | 51 | 16 | 14 | 21 | - | ベスト8 | ||
J1通算 | - | - | 36 | 18 | 4 | 14 | ||||
J2通算 | - | - | 181 | 60 | 51 | 70 |
- 2005年は第6節で解任
脚注
[編集]- ^ “松永英機氏、統括副本部長兼チーム統括部長就任のお知らせ”. FC岐阜 (2013年1月10日). 2013年1月10日閲覧。
- ^ 『育成ダイレクター就任のお知らせ』(プレスリリース)日本プロサッカーリーグ、2016年1月29日 。2016年12月26日閲覧。
- ^ 『2021年 お知らせ』(プレスリリース)関東学院大学体育部連合会サッカー部、2021年2月4日 。2021年9月9日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 松永英機 - Soccerway.com
- 松永英機 - FootballDatabase.eu
- 松永英機 - WorldFootball.net
- 松永英機 - Transfermarkt.comによる指導者データ
- 松永英機 - J.League Data Siteによる監督データ