枦山智博
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 鹿児島県垂水市 |
生年月日 | 1944年5月28日(80歳) |
選手情報 | |
ポジション | 投手 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
指導者歴 | |
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この表について
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枦山 智博(はぜやま ともひろ、1944年5月28日 - )は、鹿児島県垂水市出身の元高校野球指導者[1]。
概要
[編集]鹿児島商工高等学校(現・樟南高等学校)時代は投手で主将[1][2]。社会人時代は軟式野球、準硬式野球をプレーし、投手で軟式と準硬式で1度ずつ国体に優勝している[1][2]。
1972年に母校・鹿児島商工高等学校の事務職員として野球部監督に就任し、甲子園に23回(春7回、夏16回)出場に導いた[2]。最高成績は、樟南高等学校に校名が変更された1994年、福岡真一郎と田村恵のバッテリーを擁して臨んだ第76回全国高等学校野球選手権大会での準優勝[1]。鹿児島実業高等学校監督の久保克之(現・名誉監督)と共に鹿児島県の高校野球を長年にわたりリードした[3]。
2003年7月1日に、自動車を運転中に事故に遭い、頭部を45針縫う重傷を負うが同年の第85回全国高等学校野球選手権大会ではユニフォーム姿で指揮をとった[4]。
2010年7月27日に監督を勇退した。勇退後も後輩の指導者に請われ、鹿児島県内の高校を巡って助言を送っている[1]。
主な教え子
[編集]甲子園での成績
[編集]- 春:出場7回・4勝7敗
- 夏:出場16回・22勝16敗・準優勝1回(1994年)
- 通算:出場23回・26勝23敗・準優勝1回
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h 前田剛 (2021年10月6日). “離島からも球児 強豪に 枦山智博さん(野球・樟南) : 高校スポーツ名将列伝”. 読売新聞オンライン
- ^ a b c “高め合う両雄 鹿児島実・久保克之名誉監督 樟南・枦山智博元監督”. 中日スポーツ (2018年6月5日). 2021年4月23日閲覧。
- ^ 大窪正一 (2018年6月5日). “高め合う両雄 鹿児島実・久保克之名誉監督 樟南・枦山智博元監督”. 中日スポーツ 2021年10月18日閲覧。
- ^ “「次は枦山さん」全国託した鹿実・久保氏/鹿児島2”. 日刊スポーツ (2018年7月8日). 2021年4月23日閲覧。