根小屋城
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根小屋城 (群馬県) | |
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城郭構造 | 山城 |
天守構造 | 不明 |
築城主 | 武田信玄 |
築城年 | 永禄年間 |
主な城主 | 望月甚八郎、伴野助十郎 |
廃城年 | 不明 |
遺構 | 土塁、空堀、井戸跡 |
指定文化財 | 史跡等未指定[1] |
位置 | 北緯36度17分2秒 東経139度1分21.5秒 / 北緯36.28389度 東経139.022639度座標: 北緯36度17分2秒 東経139度1分21.5秒 / 北緯36.28389度 東経139.022639度 |
地図 |
根小屋城(ねごやじょう)は、群馬県高崎市山名町城山にあった戦国時代の日本の城(山城)。
概要
烏川と鏑川に挟まれた丘陵帯のうち、北方向に張り出した丘陵の先端に位置する山城である。標高は180mほどで南北に280m、東西250mに広がる。また南の尾根続きの南東丘陵部には山名城が存在する。
築城は永禄11年(1568年)または同13年(1570年)とされる。永禄11年(1568年)に甲斐国の武田信玄が駿河国・今川氏の領国への侵攻すると(駿河侵攻)、武田氏と相模国の北条氏康との間で甲相同盟が崩壊する。これにより武田氏と後北条氏の領国が接する上野は係争地となり、武田氏は後北条氏への備えとして、山名城・鷹ノ巣(茶臼山城)の間に根小屋城を築城した。築城された当初は狼煙台としての機能が主であったという。
根小屋城には武田家臣・信濃国佐久郡望月城主の望月甚八郎、および伴野助十郎、仁科加賀守信盛が守将となっている(『上野誌』、『関東古戦録』)。
武田氏の勢力が上野国から退いたのちの消息は不明となった。廃城時期も不詳である。
なお、根小屋城の名称は東麓の根小屋村に由来するが、この名は江戸時代に呼称されたもので、築城時の名は不詳。『日本城郭大系』では新城という名と推測している。
脚注
参考文献
- 平井聖〔ほか〕編集『日本城郭大系』第4巻、新人物往来社、1979年