[go: nahoru, domu]

コンテンツにスキップ

緒方研二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2024年2月28日 (水) 03:41; 22583587273134a (会話 | 投稿記録) による版 (受賞・栄典)(日時は個人設定で未設定ならUTC

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)

緒方 研二(おがた けんじ、1917年11月21日 - 2009年10月31日) は、日本の技術者日本電気 (NEC)副社長や、NECエンジニアリング社長、テレビジョン学会会長、電子通信学会会長などを歴任した。勲二等瑞宝章受章。父は緒方竹虎元副総理。

経歴

[編集]

福岡県福岡市出身。東京府立第四中学校第一高等学校を経て、伊藤庸二の勧めで、1941年東北帝国大学工学部電気工学科を卒業した。在学中大日本帝国海軍委託生となり、1942年海軍技術士官に任官して、横須賀海軍工廠に配属され、横須賀砲術学校に入校した[1]

タラワ島や、マキン島レーダーサイトの整備にあたったのち、海軍技術研究所に転属する。日本の降伏後、1945年に逓信院電気試験所に入所し、喜安善市の下で研究に従事した。逓信院→逓信省が1949年に廃止された後は日本電信電話公社に所属した。

1970年に日本電信電話公社電気通信研究所長、日本電信電話公社研究開発本部長となる。1974年に日本電信電話公社総務理事に就任する。

日本電信電話公社を退職後は、1977年に日本電気 (NEC)の専務取締役に就任し、1979年からは副社長を務めた[1]。1981年にはNECの関係会社である日本電気エンジニアリングで社長に就任した。1979年には安藤電気会長も兼ねる。

学会等の諸団体では、1970年に情報処理学会副会長、1976年テレビジョン学会、1978年に電子通信学会の各会長、1980年に日本工学教育協会副会長にそれぞれ就任した[1][2]。1983年にはテレビジョン学会名誉会員、電子通信学会名誉員に選ばれている[1]。1985年東北大学電気系同窓会会長[3]

東北大学講師、東京工業大学講師、名古屋大学講師、日本学術会議会員なども務めた[4]

2009年脳出血により目黒区内の病院で死去。円泉寺太子会館で葬儀・告別式が執り行われた[5]

受賞・栄典

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e 羽鳥光俊, 永田宇征, 和田正裕, 奥田治雄「悲惨な戦争体験をばねに戦後の通信事業に貢献」『映像情報メディア学会誌』第62巻第12号、映像情報メディア学会、2008年12月、1905-1908頁、doi:10.3169/itej.62.1905NAID 110006991080 
  2. ^ 歴代会長情報日本工学教育協会
  3. ^ 電気系同窓会 歴代会長・副会長電気系同窓会
  4. ^ 同窓会便り 第18号 東北大学 電気・情報系, 昭和63年2月22日
  5. ^ 緒方研二氏死去/元日本電電公社総務理事 四国新聞2009/10/31 20:11
先代
澤村吉克
テレビジョン学会会長
1976年 - 1977年
次代
瀧保夫
先代
大島信太郎
電子通信学会会長
1978年 - 1979年
次代
斎藤成文
先代
高野知彦
東北大学電気系同窓会会長
1985年 - 1993年
次代
佐藤利三郎