馬継曽
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馬継曽 | |
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プロフィール | |
出生: | 不詳 |
死去: |
1916年(民国5年)2月 中華民国湖南省麻陽県 |
出身地: | 不明 |
職業: | 軍人 |
各種表記 | |
繁体字: | 馬繼曾 |
簡体字: | 马继曾 |
拼音: | Mǎ Jìcéng |
ラテン字: | Ma Chi-tseng |
和名表記: | ば けいそ |
発音転記: | マー ジーツォン |
馬 継曽(ば けいそ)は、清末民初の軍人。祖籍・出生地、生年、字等の別号は、いずれも不詳である。
事跡
[編集]清末に、北洋第6鎮第11協21標標統となり、1911年(宣統3年)、第11協協統に昇進した。中華民国成立後は、陸軍の改組に伴い、そのまま陸軍第6師第11旅旅長に横滑りしている。1912年(民国元年)4月、河南省で署理南陽鎮総兵となった。翌年9月、第6師師長に昇進している。1914年(民国3年)6月には、江西省で贛北鎮守使を兼任した。
護国戦争が勃発すると、馬継曽は護国軍討伐のため部隊を率いて湘西(湖南省西部)に向かい、袁世凱から第1路総司令に任じられた。しかし、寡兵の護国軍を相手に苦戦、敗北を喫してしまう。1916年(民国5年)2月、馬は湖南省麻陽県で自殺して果てた[1]。馬の敗死により、護国軍はさらに勢いづくことになった。
注
[編集]- ^ 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』、1181頁。一方、来新夏ほか『北洋軍閥史 下冊』、1097頁は、護国軍に味方する民衆により、馬継曽は湘西で包囲、殺害された、としている。
参考文献
[編集]- 来新夏ほか『北洋軍閥史 下冊』南開大学出版社、2000年。ISBN 7-310-01517-7。
- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。