崔泰福
崔泰福 최태복 | |
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生年月日 | 1930年12月1日 |
出生地 | 日本統治下朝鮮、平安南道南浦市 |
没年月日 | 2024年1月20日(93歳没) |
死没地 | 朝鮮民主主義人民共和国、平壌直轄市 |
出身校 | 万景台革命学院 |
所属政党 | 朝鮮労働党 |
最高人民会議代議員 | |
当選回数 | 7回 |
在任期間 | 1982年2月 - 2019年3月 |
最高指導者 |
金日成 金正日 金正恩 |
最高人民会議議長 | |
在任期間 | 1998年9月5日 - 2019年4月11日 |
最高指導者 |
金正日 金正恩 |
崔泰福 | |
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各種表記 | |
チョソングル: | 최태복 |
漢字: | 崔泰福 |
発音: | チェ・テボク |
英語表記: | Choe Thae-bok |
崔 泰福(チェ・テボク、1930年12月1日 - 2024年1月20日)は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の政治家。朝鮮労働党中央委員会政治局員、党中央委員会副委員長。前最高人民会議議長。
経歴
[編集]平安南道南浦市生まれ。万景台革命学院卒業。旧東ドイツのライプツィヒ工業大学に留学。1978年9月に金策工業大学の学長に就任。1981年5月に教育委員長に就任。1982年2月より最高人民会議代議員を務める。1986年12月に朝鮮労働党の党中央委員に就任。1990年5月に党中央委員会政治局員候補になる。1992年1月から12月まで党教育部長と党科学部長を兼任し、1992年12月から1993年12月まで党中央委員会書記局書記(国際担当)を務める。同93年4月から12月までには最高人民会議外交委員長も務めた。同93年10月に党中央委員会書記局書記(教育・科学担当)に就任し、同93年12月には再び党教育部長と党科学部長を兼任している。1998年9月に最高人民会議議長になる。2001年9月に党中央委員会書記局書記(国際担当)に就任[1](現在退任)。
崔泰福は、金正日の国葬時に霊柩車を囲んで歩いた8名の権力中枢人物のうちの一人だった[2]。
2015年12月30日に発表された金養建の葬儀委員名簿で確認された党内序列は、金正恩、金永南、黄炳瑞、朴奉珠、金己男、崔竜海に続く第7位であった[3][4]。
2016年5月に開催された朝鮮労働党第7次大会で党中央委員会書記に代わって新設された党中央委員会副委員長に就任した[5]。2016年5月の朝鮮労働党第7次大会終了時点での党内序列は7位[6]。
2019年3月に行われた最高人民会議第14期代議員選挙のリストに名前はなく[7]、同年4月に最高人民会議議長を退任[8]。
2024年1月20日、急性心筋梗塞により93歳で死去。死去に伴い翌21日明け方に金正恩総書記が慰問の花輪を贈ったと報じられた[9][10]。
出典
[編集]- ^ 北朝鮮内閣、若返り 東亜日報 2001年12月31日
- ^ <張成沢氏失脚説>金正日の霊柩車7人のうち軍人は全員姿消す…党員2人だけ残る 中央日報 2013年12月4日
- ^ 北ナンバー2の崔竜海が復権?…金養建葬儀委員会の名簿に名前 中央日報 2015年12月30日
- ^ 北朝鮮の崔竜海氏が再び権力の中心に 東亜日報 2015年12月31日
- ^ “朝鮮労働党大会「設計図なき戴冠式」(4) 金与正「中央委員」人事の意味”. THE HUFFINGTON POST (2016年5月21日). 2016年6月1日閲覧。
- ^ “【北朝鮮党大会】伝統の書記局が「政務局」に改称 書記は「副委員長」に”. 産経新聞 (2016年5月31日). 2016年6月1日閲覧。
- ^ “北朝鮮代議員選挙結果を徹底分析!相次ぐ実力者らの意外な「落選」が判明! - Yahoo!ニュース” (日本語). Yahoo!ニュース 2019年6月2日閲覧。
- ^ “北朝鮮ナンバー2崔竜海氏が国家首班に…北、正恩氏以外すべて変更”. 中央日報 (201904-12). 2019年4月13日閲覧。
- ^ 최태복동지의 서거에 대한 부고 労働新聞 2024年1月21日
- ^ 경애하는 김정은동지께서 고 최태복동지의 령구를 찾으시여 깊은 애도의 뜻을 표시하시였다 朝鮮中央通信 2024年1月21日
朝鮮民主主義人民共和国
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