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小堀政峯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
小堀政峯
小堀政峯
時代 江戸時代中期
生誕 元禄2年(1689年
死没 宝暦10年12月16日1761年1月21日
改名 重次郎(幼名)、政峯
別名 宗香(号)
戒名 泰清院
墓所 滋賀県長浜市の孤蓬庵
官位 従五位下備中守和泉守
幕府 江戸幕府 伏見奉行奏者番若年寄
主君 徳川家継吉宗家重家治
近江小室藩
氏族 小堀氏
父母 小堀政恒、青山氏娘・真光院
小堀政房
兄弟 政房、政峯、岡田善諧正室、小堀克敬室ら
戸田忠囿娘・真珠院
政養政報政寧政展政方
小堀惟貞室、内藤正雄正室ら
正寿
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小堀 政峯(こぼり まさみね)は、江戸時代中期の大名近江国小室藩5代藩主。官位従五位下備中守和泉守。小室藩小堀家6代。遠州流茶道5世家元。号は宗香

経歴

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元禄2年(1689年)、3代藩主・小堀政恒の六男として江戸にて誕生。母は側室の真光院(青山氏)幼名は重次郎。

5代将軍綱吉小姓を務める。正徳3年(1713年)、兄で先代藩主・小堀政房が嗣子無く若死にしたため、その養嗣子となって跡を継いだ。伏見奉行奏者番、そして2度にわたって若年寄を務めるなど要職を歴任したことから、譜代大名並の格式を許された。

宝暦10年(1760年)12月16日、72歳で死去したが、長男と三男、四男は早世、次男政報、五男政展は分家で小堀遠州流家元である旗本小堀家へ養子に出ていたため、末子・政方が跡を継いだ。法号は泰清院。墓所は滋賀県長浜市の孤蓬庵。

茶法は兄・正房や小堀政孝小堀土佐守政武に学ぶ。

系譜

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