洪蘭友
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洪 蘭友 | |
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国民大会秘書長として(1948年、左は孫科) | |
プロフィール | |
出生: | 1900年(光緒16年) |
死去: |
1958年(民国47年)9月28日 中華民国 台湾省 |
出身地: |
清 江蘇省揚州府江都県 (現:揚州市) |
職業: | 政治家 |
各種表記 | |
繁体字: | 洪 蘭友 |
簡体字: | 洪 兰友 |
拼音: | Hóng Lányŏu |
ラテン字: | Hung Lan-you |
和名表記: | こう らんゆう |
発音転記: | ホン ランヨウ |
洪 蘭友(こう らんゆう)は中華民国の政治家。中国国民党、国民政府の要人である。
事跡
[編集]私立震旦大学法科研究院を卒業。当初は私立中国公学で教授となるが、中国国民党中央政治学校教授に転じる。後に国民政府労工局科長となり、以後は国民政府や国民党で職歴を重ねていった。国民政府では首都建設委員会秘書長などを、国民党では司法院法官訓練所所長、中央党部組織部主任秘書などを、それぞれつとめている。
1935年(民国24年)11月、国民党第5期中央執行委員に選出された。中華民国法学会書記長となったほか、国民党重慶市党部主任委員、党中央執行委員会副秘書長、党中央政治委員会副秘書長(一時は代理秘書長もつとめる)、党中央評議委員などを歴任している。1940年(民国29年)11月、国民政府社会部政務次長に就任した。
1945年(民国34年)5月、党第6期中央執行委員に再選した。翌1946年(民国35年)3月、制憲国民大会籌備委員会秘書長となり、1947年(民国36年)11月にも行憲国民大会籌備委員会秘書長となる。1948年(民国37年)5月、戡乱建国動員委員会秘書長に任ぜられ、同年12月、国民政府内政部長を兼ねた。翌1949年(民国38年)1月に戡乱建国動員委員会秘書長から、3月に内政部長から、それぞれ免ぜられている。7月、党中央非常委員会秘書長に任ぜられた。国共内戦で国民党が敗北すると、洪蘭友もこれに伴い台湾に逃れ、国民大会代表となっている。
1958年(民国47年)9月28日、病没。享年59。
参考文献
[編集]- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
中華民国
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