鬼怒橋
鬼怒橋 | |
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基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 栃木県宇都宮市石井町[1] |
交差物件 | 鬼怒川 |
用途 | 道路橋 |
路線名 |
国道123号[2] ⇒宇都宮市道3146号[4] |
管理者 | 宇都宮市 |
設計者 | 松田文衛[2][3] |
施工者 | 五月女倉蔵、横河橋梁[2] |
着工 | 1930年6月[2] |
竣工 | 1931年9月[2] |
座標 | 北緯36度32分35.3秒 東経139度57分0.9秒 / 北緯36.543139度 東経139.950250度座標: 北緯36度32分35.3秒 東経139度57分0.9秒 / 北緯36.543139度 東経139.950250度 |
構造諸元 | |
形式 | 下路曲弦鋼プラットトラス橋[2] |
材料 | 鋼 |
全長 | 559.4 m[3] |
幅 | 6.4 m[3] |
最大支間長 | 36.6 m[2] |
地図 | |
関連項目 | |
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鬼怒橋(きぬばし)は、栃木県宇都宮市石井町にある、鬼怒川を渡る道路橋。宇都宮市が管理する橋梁であり、以前は国道123号の一部であった[2]。秋田杉を使用した木橋として1915年(大正4年)に初めて架橋され、1931年(昭和6年)に鋼橋として架け替えられた[2]。架橋から90年を経た2021年(令和3年)現在も現役の橋梁として利用されており、土木学会選奨土木遺産に認定されている[5]。
歴史
[編集]江戸時代、後に鬼怒橋が架けられる地点には石井河岸があり、渡し船が就航していた[2]。この渡し船は、宇都宮城下から常陸国笠間を経て水戸城下へ至る石井道(石井街道)ないしは水戸北街道と呼ばれた街道の一部を成すものであった[2]。
明治時代になると、鬼怒川中流部では鬼怒川橋(後の国道4号)に次いで2番目となる架橋が計画され、1908年(明治41年)4月に着工した[2]。その目的は、鬼怒川で分断されて陸の孤島状態になっていた芳賀郡の産業を発展させることであった[6]。橋は秋田県産のスギとイチイを用い、7年という時間と230,800円という工費をかけて1915年(大正4年)3月に竣工した[2]。架橋に7年もかかったのは、当時の鬼怒川が水量が多く、難工事であったためである[2]。当時の架橋には水橋村(現・芳賀町)出身の栃木県会議員・岡田泉二郎が尽力したことから、芳賀郡の人々は「岡田橋」と呼んで功績を讃えた[6]。また鬼怒橋は宇都宮の名所となり、市内の小学生が遠足で訪れたという[7]。
永久橋として架橋されたものの[6]、木橋のため腐食・老朽化が進み[2][3]、1930年(昭和5年)6月に鋼橋へ架け替える工事が始まった[2]。およそ244,000円をかけたこの工事は、1931年(昭和6年)9月に完了した[2]。木橋の工事が7年かかったのに対し、鋼橋が1年3か月で竣工したのは、木橋時代の橋脚・橋台を流用したからである[2]。鋼橋は「石井の橋」と呼ばれるようになった[2]。1969年(昭和44年)度に、下流側に幅員2.25 mの側道橋が付加された[2]。
鬼怒橋は国道123号の一部となり、交通量が増大してきたため、鬼怒橋から下流側へ新鬼怒橋が架けられた[2][7]。新鬼怒橋は上下線で分かれており、上り線は1973年(昭和48年)度、下り線は1990年(平成2年)度に開通した[2]。新鬼怒橋開通に伴い、国道指定は新鬼怒橋に変更され、鬼怒橋は宇都宮市道[2]3146号[4]となった[2]。
2010年(平成22年)度に土木学会選奨土木遺産に選ばれ、2017年(平成29年)度に宇都宮市まちなみ景観賞歴史文化部門を受賞した[5]。この間、2016年(平成28年)にジャパンカップサイクルロードレースが25回目の開催を迎えるのに合わせて、道場宿緑地から鬼怒川沿いを周回する「鬼怒川サイクリングルート周回コース」が日本国と宇都宮市により分担整備され、鬼怒橋がコースの南端部に組み込まれた[8]。定期点検で要修繕と判定されたことから、鋼材の補修・塗装、支承の交換などを伴う大規模修繕工事が2020年(令和2年)に着手され[5]、2022年(令和4年)度まで継続して行われた[9]。
構造
[編集]鋼橋
[編集]鬼怒橋は下路曲弦鋼プラットトラス橋であり、スパン36.6メートルの15連のトラスで鬼怒川の両岸を結んでいる[2][3]。15連と言う多径間トラス橋は、日本国内でも屈指の規模であり、本格的に近代的な材料・構造を取り入れた橋である[3]。橋長は559.4メートル[3]、幅員は6.4メートルである[2][3]。橋脚は煉瓦円形ウェル2基の上に、迫石で補強したアーチ状の切石積を採用した[3]ラーメン構造で、木橋時代のものを嵩上げ・継ぎ足して利用している[2]。この橋脚は堅牢で、2020年(令和2年)から行われている工事で補修されるのは14基のうち1基だけである[5]。
設計者は栃木県技師の松田文衛、工事請負者は五月女倉蔵、上部桁の製作は横河橋梁が担当した[2]。建設当時の技術力の高さと美観を兼ね備えた橋として、土木学会選奨土木遺産に選定された[3]。宇都宮市まちなみ景観賞歴史文化部門の受賞理由は「橋梁の構造としての美しさと鬼怒川の自然との調和を併せもつ、歴史の感じられる景観」であることである[10]。
木橋(旧橋)
[編集]初代の鬼怒橋は、橋長307間5分(≒554メートル)、幅員18尺(≒10.2メートル)の[2]木造トラス橋であった[2][7]。トラスは15連で、スパンも鋼橋とほぼ同じであった[2]。
橋の構造形式は鋼橋と酷似していたが、西欧の形式を模倣したに過ぎなかった[3]。
新鬼怒橋
[編集]新鬼怒橋(しんきぬばし)は、交通量の増大に対応するために鬼怒橋の下流50メートルの地点に架けられた橋長584.2メートルの連続鋼板桁橋である[2]。上下線で別個の橋となっており、上り線の橋は1973年(昭和48年)度、下り線の橋は1990年(平成2年)度に開通した[2]。栃木県有数の交通渋滞発生地点となっている[11]。
脚注
[編集]- ^ 昭文社 2019, p. 39.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag 飯村 2003, p. 164.
- ^ a b c d e f g h i j k “鬼怒橋”. 関東の土木遺産. 土木学会関東支部. 2021年1月2日閲覧。
- ^ a b “宇都宮市認定市道/図面30”. 宇都宮市総合政策部情報政策課 (2019年1月11日). 2021年1月2日閲覧。 “この作品はクリエイティブ・コモンズ 表示 2.1 国際 ライセンスの下に提供されています。”
- ^ a b c d “宇都宮の鬼怒橋 大規模修繕へ 完成から約90年、なお現役の「土木遺産」”. 下野新聞 (2020年1月4日). 2021年1月2日閲覧。
- ^ a b c 塙 2015, p. 166.
- ^ a b c 岡田 2004, p. 256.
- ^ 松田陽介「川沿いぐるっと8キロ 鬼怒川サイクリングルート周回コース(宇都宮市)」読売新聞2016年7月10日付朝刊、栃木5、27ページ
- ^ “令和2年度宇都宮市当初予算案の大綱”. 宇都宮市. 2021年1月2日閲覧。
- ^ “第18回宇都宮市まちなみ景観賞”. 宇都宮市都市整備部景観みどり課都市景観グループ (2020年3月4日). 2021年1月2日閲覧。
- ^ 香取直武・大塚健次・森田将孝「地べたはう気迫の対決 1区」読売新聞2005年9月2日付朝刊、栃木北33ページ
参考文献
[編集]- 飯村廣壽 著「鬼怒橋(旧橋)」、栃木県教育委員会事務局文化財課 編『栃木県の近代化遺産 栃木県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書』栃木県教育委員会事務局文化財課、2003年3月、164頁。全国書誌番号:20412997
- 岡田義治 著「栃木の河川と橋」、とちぎの小さな文化シリーズ企画編集会議 編『とちぎ歴史ロマンぶらり旅―道と水路を訪ねて』下野新聞社〈とちぎの小さな文化シリーズ⑤〉、2004年3月27日、250-259頁。ISBN 4-88286-235-2。
- 塙静夫『うつのみやの地名と歴史散歩』下野新聞]、2015年9月11日、263頁。ISBN 978-4-88286-594-0。
- 『県別マップル9 栃木県道路地図』昭文社〈4版4刷〉、2019年、83頁。ISBN 978-4-398-62678-3。