ハインリヒ (東フランケン)
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ハインリヒ Heinrich | |
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東フランケン公 | |
死去 |
886年8月28日 パリ |
子女 |
アーダルベルト アーダルハルト ハインリヒ ハトヴィヒ |
家名 | バーベンベルク家 |
父親 | グラープフェルト伯ポッポ? |
東フランケン公ハインリヒ(ドイツ語:Heinrich, ? - 886年8月28日)は、バーベンベルク家出身の東フランケンの公(dux)[1]または辺境伯[2]。「princeps militiae」(軍事指揮官)とも記述されている。チューリンゲン公ポッポ2世の兄弟であり[3]、グラープフェルト伯ポッポの子または孫と考えられている。
884年、皇帝カール3世の命により、ザクセンに侵攻したノルマン人を撃退した[4]。886年3月には、パリを包囲していたノルマン人と戦うパリ司教ゴズランおよびパリ伯ウードの救援のため出陣したが、3月末もしくは4月初めには軍を引き揚げた[4]。同年8月、ハインリヒは皇帝カール3世の出陣に先立ちパリに到着するが、ノルマン人の奇襲にあい戦死した[2][5]。
子女
[編集]フリウーリ辺境伯(後のイタリア王)ベレンガーリオ1世の姉妹インゲルトルードと結婚したとみられる。インゲルトルードは皇帝ルートヴィヒ1世の外孫にあたる。以下の息子3人は、コンラディン家との抗争の中で殺害された[6]。
また、コルヴァイのヴィドゥキントの記述から、以下の娘もハインリヒの娘と推定されている[7]。
- ハトヴィヒ(Hadwig, Hathui, ? - 903年) - 869年頃にリウドルフィング家のザクセン公オットー1世と結婚し[3]、ザクセン公ハインリヒ1世をもうけた。ハインリヒは後に東フランク王(在位:919年 - 936年)となった。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- Reuter, Timothy, Germany in the Early Middle Ages 800 - 1056, Longman, 1991.
- Reuter, Timothy (trans.), The Annals of Fulda, Manchester Unversity Press, 1992.
- コルヴァイのヴィドゥキント、三佐川亮宏 訳 『ザクセン人の事績』 知泉書館、2017年
- 堀越孝一 他 『世界の歴史 5 中世ヨーロッパ』 社会思想社、1974年