[go: nahoru, domu]

北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

航空総隊司令部、府中から横田へ本日移設 航空自衛隊横田基地誕生

2012-03-26 23:18:14 | 防衛・安全保障

◆日米共同基地としての機能強化が望ましい

 本日、航空自衛隊の本土防空中枢、対領空侵犯措置任務及び弾道弾本土防衛に関する総司令にあたる航空総隊司令部が航空自衛隊府中基地から米空軍横田基地へ移駐しました。

Yimg_8901 航空総隊司令部の移転は21日までに実質完了。我が国の防空中枢である航空総隊司令部を米空軍基地に移設することは、我が国の主権にかかわる問題であり、特に弾道弾関係の情報連携、弾道弾に関する地球規模の早期警戒網を有する米空軍との連携の重要性は認識できたのですが、それならば日米情報調整所のみを横田に創設し、データリンクで結べばよいのでは、と考えており、過去の記事でも記載しています。

Yimg_9061 ただし、この航空総隊司令部に関しては、横田基地への移設が既に2005年の米軍再編計画画定に際しての日米合意に盛り込まれていた決定事項で、日米間の綿密な調整と共に決定されている事項と考えるならば、双方の合意を背景としている決定は、なるほど履行することが妥当なのか、とも。

Yimg_2905 当方が考え方を変えることとしたのは、航空自衛隊が府中基地から米空軍横田基地へ司令部機能を移設するという考え方ではなく、横田基地はもともと帝国陸軍多摩飛行場、立川飛行場の補助飛行場としての位置づけにあり、最新鋭機の実験と更には試験機の本土防空への実戦投入をも行った陸軍航空審査部が置かれていた由緒ある飛行場が米軍に接収されたのを、一部が自衛隊へ返還された、と考えたところ。

Yimg_2911 航空自衛隊横田基地、新しく航空自衛隊の基地として創設されたのだ、とつまりはそういういうこと。歴史を紐解けば、厚木基地と海上自衛隊航空集団司令部との関係が似ていますね、航空集団司令部は厚木に置かれていますが60年代に返還が決定されるまでは千葉県の下総航空基地に航空集団司令部が置かれていました。厚木基地から米海軍が撤収するのに際して海上自衛隊が移駐、再度米海軍が移駐し今に至ります。

Yimg_9275 横田基地ですが、特に警備面については航空自衛隊の基地全般と比較し、非常に高いレベルに位置していますので、ゲリラコマンドーの急襲はもちろん、弾道弾対処についても基地機能維持の面で高い水準にあります。航空総隊司令部の建物は建築に少なくとも三年以上を要していたともされますので、地下施設部分が相当堅牢に設計しているとも取れ、現時点では我が国の防空を考え、妥当な選択と言えるやもしれません。

Yimg_0995 今後ですが、可能であれば入間基地に展開している航空総隊司令部飛行隊を横田基地へ移駐できないか、U-4多用途機、T-4指揮連絡機を運用している同飛行隊は府中基地に滑走路が無いため入間基地に展開しているのですが、横田であれば滑走路があります。また可能であれば千歳基地の特別輸送飛行隊を横田へ移駐し、政府専用機を東京都に常駐させることはできないだろうか、とも。

Yimg_0835 航空総隊司令部飛行隊を横田へ移駐できたならば、航空基地としての機能の一部を米軍から航空自衛隊へ移管したという構図を立ち上げることが出来、本当の意味での日米共同基地としての機能をはたすことが出来ます。また、政府専用機、特にB-747は長大な航続距離を有していながら常駐は千歳基地と東京から遠く離れており、緊急に日米会談等が必要となった場合の即応性に問題があり、横田配備が望ましいといえましょう。

Yimg_8188_1 持論を押し付けることになってしまい恐縮ですが、例えばF-22,過去の話ですけれども要撃飛行隊に配備するのではなく総隊司令部飛行隊所属の戦略予備とし、横田基地等米軍の機密保持が行き届くところで共同管理という体裁を保てば自衛隊が導入できる余地があったと思いますし。B-747についても日本国内で整備支援が出来なくなるという理由から廃止が検討されているのですが、横田常駐とすればアメリカの民間軍事会社、普通の民間整備会社でもいいのですが、整備支援を受けることが出来、また何より政府専用機としての即応性が生まれます。そういう意味で航空自衛隊横田基地の誕生は好意的に受け止めたいと考えるところです。

北大路機関:はるな

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする