根来塗の手堤重箱です。
よほど堤重好きの家系ですね(^^;
幅 17.9㎝、奥行 17.1㎝、高 24.8㎝。江戸時代後期。
箱には何も書いていないので、タイトルは私が適当につけました(^.^)
四段に特に意味はありませんが、先日の琉球漆器の三段重に較べると、全体に少し大きいです。
底には、前所有者の箱書きがありました。弘化3年、幕末期の品ですね。
本体部:幅 16.3㎝、奥行 15.5㎝、高 20.5㎝。
やっぱり、底だけは黒色。
どうということはない、普通の四段重箱です。
内朱、底は黒。
ここで大発見(相変わらず大げさ(^^;)
4個の箱を並べてみると、高さが微妙に違うのです。
左から、5.9㎝、5.1㎝、5.1㎝、3.9㎝。
幅、奥行きは一緒なのですが、下から上へと縁の高さが低くなってます。安定感を増すためでしょうか。芸が細かいですね。
こんな事は、いままで、考えてもみませんでした。他の重箱では、どうなっているのか興味深いです。まだ、どっさりある(^^;)ので、いずれ比較検討してみます。
最後になりましたが、問題の根来塗りです。
根来塗りとは、古く鎌倉時代に、紀州根来寺で使用する什物として作られた物で、黒漆で下地を塗り、その上に朱の漆を塗った堅牢な漆器です。朱には辰砂(焼物の辰砂(銅)ではなく、水銀の化合物)が使われたとも言われています。長年の使用により、朱漆層が摩耗して、下地の黒色が所々に浮き出た物が珍重されました。しかし、そのような品は、室町から江戸初期にかけて作られた盆や椀、瓶子などに限られ、江戸中期以降は、長年の酷使に耐えられるような漆器の生産はなされなくなりました。現在、黒模様が浮き出た本根来の器は、ガラス越しにしか見ることができません。
しかし、このような根来塗りの人気は高く、(本)根来塗り様式の根来塗りが数多く作られてきました。
今回の品もその一つと思われます。
あらためて、蓋を眺めてみました。
朱の地に黒がぼやっと散って、なかなか味があります。
例によって、表面を拡大してみました。
朱漆と黒漆に、横線が多数入っています。黒漆より朱漆が上側にあります。どうやら、朱漆面を金剛砂のような物で削ってあります。こうやって、朱に黒模様を散らしたのですね。さらによく見ると、これとは別に、長さや方向などがランダムな、白い線が多数見られます。これは、表面の透明漆についた使用痕です。
江戸末期に作られたこの根来塗りは、まず、黒漆、その上に朱漆を塗って、硬化した後、朱漆の一部を削って下地の黒を模様として出し、さらに透明漆を塗って仕上げた物であることがわかります。
人為的につけた黒模様です。それがわかるのは・・・・
模様の散らばり方。
なぜか、片よりやリズムが出来てしまうのですね(^.^)
そうですか。本根来はめったにないんですね。
なるほど、このように拡大して説明されますと納得です(^_^)
骨董市などでよく見かけますが、そのようにして作られたものが殆どで、本根来ではないのですね。
ヤスリで削って中の白糸を見せたり穴を開けたり・・どんなに上手くできていても、
>なぜか、片よりやリズムが出来てしまうのですね(^.^)
これ納得まくりです
試着したジーンズの膝ダメージが、自分の膝よりずっと上だった時に、外国暮らしを実感しました。
ダメージ加工も、場所が問題なのですね。使用からかけ離れた場所だと、不自然さが目についてしまいますから(^^;
教訓;自然体で年をとれ、ですね(^.^)