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きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

エンゼルでしめくくり

2012-12-31 | 今の会社
今日は魚にエサをやりに行った。

忘れもしない、前回の正月
寒さのせいか、ネオンテトラやミッキーがバタバタ死んでいったのである。
なので2~3日に1度は様子を見るために来る事にしたのだ。


仕事納めの日、ZENさんが水槽を洗っていた。
洗い終えたのを見ても、中の水が泥っぽくよどんでるので「?」と尋ねてみると、「この汚れは循環の中の水が出てきたから」だそうで、しばらくするとよどみは下に落ちて行き、きれいな水に変わった。

「どうして、今までの石や水草(造花ならぬ造草)を入れてないんですか?」と尋ねると「白サンゴを入れてイメージチェンジするらしいよ」と言う話である。

「それで、今度はネオンテトラをたくさん買って入れるらしいから、エンゼルは死刑ね。」と言うので、「え!殺してしまうんですか?」と尋ねると、「入れたままだとネオンテトラが食べられちゃうでしょ。」と言う。
「えぇ~、最近エンゼル達は年取っておとなしくなりましたよ。」と言うけど、「今居る魚とはそうでも新しく入れたらまた攻撃するだろう。」と言う。


うちの会社の水槽、当初はインテリアの一部だったはずが、コケはガラスに砂利に生えるし、魚はぶくぶく太るし、食べ物のカスやフンが舞い水はにごり、仕方なく置いてます的な水槽になり果てていた。
つい先日も、にごった水の底を死んだエンゼルの上にプレコが乗っていて(食べているのだろう)、課長と二人でぼんやり「(社長がオシャレで買ってきたつもりでも)最後はこうなっちゃうんだよねー」「こうなってしまいますよねー」とぼんやり眺めていたのだった。


私は事務所のドアを開け、水槽に駆け寄ると、ライトをつけてエサをあげてみた。
やっぱり!
魚が食いついてこないのである。

水温はよ?と探すけど、温度計が無い。
どこやっちゃったんだよ、もう。
暖房を入れ、シクラメンにも水をやろうとお茶場に行くと、スポンジや石が排水口の網の上に落ちていて、それを拾い上げると、その下に温度計があった。
吸盤がダメっぽいので、ヒモで温度計をくくり、水槽に落としてみた。
徐々に魚もエサに食いつき始めた。(しばらくエサをやらないと忘れてしまうのだろうか。)

しばらくは暖房入れっぱなしで、父の病院に向う事にした。

あとわずかで死刑(?)になるエンゼル達を思うと、気の毒になった。
その用が済んだら終わり的な薄っぺらい命が、あたかも自分のように思われた。
せめて正月の間だけでもこうしてたまに暖房を入れて、元気にエサを食べてもらおう!
寒い所で知らん振りよりは、きっといい思い出になるに違いない。

そして父の病院に車を走らせた。

父は今日は割りと元気で会話も成り立った。
寝たり起きたりだったが、「sakeだよ」と言うと「何しに来たんだ?」と言い、「もうすぐご飯だよ」と言うと「そうか」と言った。
そして半分は箸でご飯を掛け込んでいた。
相変わらずキン○マをさすっていた。

病院は連休モードのせいなのか、それとも何人かの老人が家に戻っているためなのか、いつもより静かで穏やかであった。時間はゆっくりしていた。


さて、暖房を止めようと会社に戻ると、nanuさんが鍵を掛けている所であった。
「うわっ!」と言うとnanuさんも驚いていた。

「何しに来たんですか?」と言うと、魚にエサをやりにきたのだと言う。
鍵を掛ける手を止めて、「それではどうぞ」と言うので、「私も魚のために来ただけです」と言う。

「暖房がついてたけど」と言うので、さっき水温が低かったんですよと言う。
「nanuさんも魚を気にしてくれたんですね」と言うと、「暇だから来ただけ」と言い「私も暇だったから」と言うと「よいお年を」とぶっきらぼうに言って去って行った。

nanuさんも心配でエンゼルを見に来てくれたとは。
ちょっとはいい人ではないか。

エンゼル達も良かったね!(^o^)
また近々暖房を入れに来るからね。

良いお年に

2012-12-30 | 息子keke
天気が悪いのをいいことに、昨日は寝込んでみた。
(どこも悪くないので今は元気です。)
起きれなかった、起きたくなかった。
うずくまって寝ていれば、何かが解決するような気がした。

kekeがバイトから帰るって言うんで、やっと腰を上げてお昼を用意するはずが思ったより早く帰ってきてしかもご飯食べてきたと言うもので、とうとう何もやらずにそのまま。

TVもつけずに本を読んだりぼーっとしょうもないこと考えたりしてると、ガーガー掃除機の音がよそから聞こえてきて、あぁそう言えば大掃除ねん。
そう言えば秋ごろ一応要らないもの捨てたりしてたんだっけなー、つもり貯金みたいな捉え方で?


飲み会と言えば、そう言えばsakeさんちの息子さんは何してるの?みたいになって、「はぁ、バイトでも行ったりしてますよ」と言うと、「就職は?」「自立は?」「幾つだっけ?」みたいな風になって、私もエッヘン「いや、今はバイトで小遣い稼いでいますが、30ぐらいでどうにかなってくれたらいいかなって思うんですよ。」と悟りの境地で語れば、アッハッハッハ!
30ってアンタいい大人でしょ、中年でしょ?それまで養うつもり?
なんで家追い出さないの?そんな事したら死ぬって言いますよ。。。
死ぬって言う奴に限って死なないから、アッハッハッハ。

と、同情こそあれ、まさかネタになるとはね。
(冷静に考えればそうなる可能性は大いにありましたが、すっかり忘れてました。)

でも自分だって中高校生の親だったら、そう思うかもな。
だから許してやれよ、自分。


良いお年をと言うけれど、良い年とは、みんながニコニコ平和であることだけでなく、悩みぬくのも「良い年」かもしれません。それが成長に繋がる気がして、来年は何が待っていても、良い年になるような気がします。

小さな1日の積み重ねが、1年となり
1年の積み重ねが、たぶん着くべき場所に着けると
だから心配しなくていいよ、と言いたい。

毎日笑顔で受け止めていれば、何に転んでも結果、よいことになると。

ちなみにkekeは今日は朝5時起き。
明日は3時起きでバイトだそうです。^^
うれしいです。

女なんてもの

2012-12-29 | 女だから思ったこと
何が起こったんだろう。

電話ボックスを開けて、携帯を掛けると「こんなのイヤだ!」と言い出した。
ゼッタイイヤだと繰り返した。

おかしい。


この世を見据えるかのように、空の青さに、人の心に、希望。
感謝。
救いきれませんでした。
この業の深さは自分だけなのか。
女ゆえか。

よいお年なんてくそくらえ。


「Aさんの夢は社長になることですか?」
「世界平和かな。」
「セカイヘイワ?」
「世の中から争いがなくなること。」
「スケールでかすぎですね。」

「あたしの夢は好きな人と暮らすコト。」

あれもこれも情けなさすぎの夜でした。

3人でナイショの夜

2012-12-28 | 今の会社
課長が秀クンに「もう年賀状出すのやめない?」と言ってきた。

「もう出しちゃいましたよ」と秀クンは言い、「カミさんにいつになったら書くの?!と怒られて1時半まで書いてたんだから。」と言う。
課長がそんな事を言うのは今年3回目である。
あの課長が年賀状を止めようと3回も提案するには理由があると思われ、過去の自分を振り返ると、妹に「誕生日プレゼント止めない?」と提案した時はkekeが高校に入ってこれから金が掛かるぞーと言う時だったので(妹もこの前そのように言ってたし)、これから息子さん達が大学・高校と進学するに当たって、無駄なものは排除したいのであろうと勝手に推測した。

私は「来年からはこの3人では辞めましょう~」と提案した。
3人の間ではそうしようそうしようと言うムードになり、口には出さなかったが「ボーナスも無いのにそんなしきたりだけ残されてもねー」と言う暗黙の了解が流れるのだった。

sake「明日、社長ゴルフですよ。」
秀 「そうなの?!」
課長「そうなんだよなー」
sake「それも内々ゴルフですよ。」

そして課長は「これ、一つづつ持って帰らない?」と指差したのは、隣の部屋にあった後からきたビールのお歳暮である。
「そうしましょう、そうしましょう、もう誰も持って帰りませんよ。」と私は調子よく太鼓持ちになった。

そして3人でぞろぞろお歳暮の方に近づくと、
課長「オレ、このエビスでいい?」
sake「いいですよー」
秀 「オレは麺類とかコーヒーがいいな」
sake「ありますよ、ラーメンとコーヒー、ハイこれ」
課長「それじゃ、持って帰るね」
sake「あたしこっちの大きい箱にする、あ、こっちもエビスぅ(^o^)」

そして各自持って帰ろうとしたタイミングでAさんが現れたので、私はカウンターの下にゴロゴロンとエビスの箱を転がし、課長は「それじゃお先に」と紛れて帰り、秀クンは普通に仕事をしているフリをした。

Aさんが居なくなった後、秀クンは「オレだけは30日まで仕事だよ」と言い、「それじゃなきゃ終んないよ」と言う。
家ではゆっくり寝られないしと言うので、「でも~・・」と私は言い、「家に帰ればご飯があるんだから、まだいいですよ」と言うと、「ないよ。」と言う。

「ないですか。」
「作る暇無いって。」
「今は授乳が大変ですからねぇ。それでは買って帰ってるとか?」
「カミさんが風呂に入ってる時とかね、作ったりしてるよ。」

これ以上フォローの言葉もみつからず、私は「あとちょっとですよ、年がら年中の授乳は」と言い、家に帰る事にした。

いつものように見切りスーパーで半額惣菜をみつくろって、それではこれで帰りましょ、と言うタイミングで偶然ビールが見えた。

あっ!!!

エビス、カウンターの下に置いてきてしもうた。。。

時計は8時を回ろうとしている。
あぁ・・そなアホな。
なんであんな大事なものをそのまま忘れてきたんだろう。

まてよ、社長明日ゴルフだから最初にドアを開けるのは私か課長?
いや!
内々ゴルフだから、会社に誰かを呼んで車出させるわ~
あんな所にビール転がしたらゼッタイアカン。

家に帰るとkekeに「会社に忘れ物した取りに言ってくる」と言い、ビール忘れてしもうたと言うと「コンビニで買えば良いのでは?」と言うが、ダメなんだ、エビスビールだよ、ガソリン使っても元が取れるから1時間以内に帰る、では、と言い残し去って行った。

事務所はまだ冷え切ってはおらず、秀クンがさっきまで仕事をしていたのだろう。
私はよいしょと持ち上げると、事務所を後にした。

苦情の電話が入る

2012-12-27 | 今の会社
電話を受けると、「おたくの電話番号、違ってますよ!」と言う電話である。

は?とよくよく聞いてみると、nanuさんの現場の養生してるシートが夜中に風でバタバタうるさかった、苦情を言いに行ったが責任者がいない。

「おそらく掛け持ちでもしてるからだろうけどね。」
とイヤミをかまし、「だから会社に電話しようとして看板の番号に掛けたんですよ、そしたらおたくの電話番号が違ってますよ。まずそれを直してください。ちゃんと写真にも撮ってありますからね!」

えーーー◎◎

それから電話でしぼられること。
この前日曜日もやってましたよね?やるなとは言いません。でも事前に知らせてくれないと。工程表もおおざっぱだし。シートもね、調べたら防火のでメッシュタイプのがあるんですよ、それにしたらいいと思いますが?

「今日替えるのか、明日になるのか、担当者から電話をいただきたいですね。携帯教えていただけますか?相談してみてから?それでは電話待ってます。番号は○○○ー○○○○です。もう一度要点を繰り返しておきます、まずは電話番号を直すこと、それから・・・」

とおさらいされてスミマセンスミマセンと言うと、ガチャンと切れる。

「大変そうですねぇー」と課長が言うので
「なによ、この人。。。それにかこつけて、日頃の鬱憤をはらしてるってカンジ。。。この言いかた。」
「でもシートが夜中にバタバタなったらうるさいよね。」
「そんなの・・今日明日なんて替えられないですよ。」
「それまではしばっておくから大丈夫だよ。」

「こう言う苦情ってよくあることですか?」
「いーっぱいあるよ。」
「いっぱいあるんですか?◎◎」
「音はうるさいし、埃も舞うからねぇ。」

「工事をすれば埃が舞うのは当たり前ですよぉ。。。」と私は言い、「これって最近じゃないですか?」と尋ねると、「昔っからだよ」と課長は言う。

最近、赤ん坊の泣き声がうるさいとか、子供の声がうるさくて訴訟とか言うぐらいなんだもんな、ましてや隣に現場があったりしたら。。。

でも、私にもそう言う気持はないだろうか。
「客だから」とちょっとふんぞり返った物の言い方になっていたり・・・

最近、役所もそうだけど、この前新しくできた郵便局での対応があまりに親切丁寧で、たまげたことがあったけれど、ああ言う所で偉そうにしてる人(客)ってよく見かける。
税金払っているから、このぐらい言っても当然だろうと思うのだろうか。
しかし、一歩間違えると「権利ばかりを主張するヒト」になってしまうのではないかなぁ。

そんな誰にでも潜みかねない驕りの心に気をつけよう。
と、このクレーム電話一つでもただでは起きない私なのだった。(と締めくくる)


nanuさんに伝えると、携帯教えてかまわないよと言い、またしばらくすると電話が掛かってきて、渋滞で時間かかってるんだ、その間にまた電話きたかな?と思って、来てない?それじゃ分かった、と言う電話だった。

そう言えばお知らせ看板の電話が違うって言ってたけど、テプラで作ったの私だったような。

クリスマスカード

2012-12-26 | 日記
車を運転しながら、傷つくと言う言葉を考えた。
そしてこの頃意識的に避けていたのに気がつく。

「傷ついた」
それはあたかも自分ばかりが傷ついたかのような言葉に思えた。

でも、私は逆に誰かを傷つけてもいるだろう。

毎日、何かを話すたびに、どこかで誰かを傷つけているかもしれない。
こうして、感じた事を書くことも、誰かを傷つけているにちがいない。

不幸な私でいることに安心して読んでいる人もいるかもしれない。
「こんなsakeさん」と言うイメージに反することで傷つけていることもあるだろう。

それに気がついたのである。
だから、「本当に私は誰をも傷つけません」と言うならば、その人はそれこそ一人山奥にこもり、自分のことを語るべからずなのである。

でも、そう言うわけには行かない。
仕事にも行かなければならないし、ブログに自分の考えを書くぐらいの自由が許されてもいいはず。

そこで私は誰かを傷つける可能性があっても、自分の考えを書くことを許す事にしたのです。
そう思った時に「傷ついた」と言う表現に一種の驕りを感じるようになって、意識的に封じ込めるようになったのだ。

「傷ついた」としても自分ひとりがそう感じただけのことであって、そこから何をも求めないぞ。

「言わない」
そう思った時に、涙が流れた。


ポストを開けると、友達からクリスマスカードが届いていた。
昨日はポストを開けていなかったのだ。

私はみるみる元気になった。
これは偶然だ。

差し出してくれたお友達もそうだけど、神様がほほえんでいるんだと思った。

わたしが人生について語るなら/加島祥造さん

2012-12-25 | 読んだ本
加島さんの本をもう1冊読んだ。

これは10代の子に向けた「これから生きて行くにあたって、こんな風に考えていくと良いと思うよ」と言う本である。
そして、最後まで読んでいくとそんな気がするのだが、これは引きこもりや登校拒否で悩んでいる子へのメッセージのようにも受け取れる。

そして親の世代を遠まわしに警告する。
「大人は『好きなことをみつけろ』と言うが、好きなことは見つけることではない」と言う。

自分の気持に正直になって、自分の心のおもむくままにやりたいことをし続けることだ。
とことん試して、気が変わったらまたそっちにも行ってみよう。
そこからある時ひょんと見つかることがある。
(原文通りではないがこんな感じ)

そして、急がないこと。
10代で夢中でしてきたことは、今80代の自分のエネルギーの大きな部分を担っているから、どんなことも決して無駄にはならない、と言う。
(原文どおりではないがこんな感じ。)
やがて、樹がじっくり太くなると動き出せる時が来るから、待てばいいと言う。

読み終わってから、思わずもう一度さらっと読んでしまった。
10年早くこの本と出会いたかった!

私は自分がちょっと成長した風になると、すぐ偉そうになってしまい、上から見下したような物の言い方をしてしまうのだが(このブログ)、このおじいさんの素晴らしいところは、これだけ人生を生きて見据えたものがあるのにも関わらず、口調がいたって優しいことである。
驕り・たかぶりと言うものがないのである。
逆立ちしても(できないけど)、この境地にはなれないだろうと思われる。


私は心のどこかで、この数年車に明け暮れていた事に罪の意識を感じていたのだが、「これでいいのだ」と思うことにした。
あの時はどうしても、どうしても、そうしたかった。
体中がそうしたい!と、そうせずにはいられなかった。

でも「生きてる!」って思う時は、大抵そう言う時。

私はそう言う時が今まで何回かあった。
数える事はできるけど、あえてしないことにする。
そして、そう言う時って人生が大きく曲がる時なんだよね。

そこには「良い」も「悪い」もない。
あぁ、判断したがる人はいるけれど。
確実に言えることはその人にとってはそれが「生きている」時なのだ。


ちなみにこのおじいさんは、この本で自分がいわゆる「不倫」(と言えるだろう)をしていたことも暴露している。
さまざまな事情も重なり、妻子とは別れたと書いている。
それによって、去った人もたくさん居ると言う。

それでも、後悔はしていない。なぜなら自分の好きな道を歩いていたから。

そのぐらい自分の内なる声に正直に生きなさい、と言うものの例えだったのだが、私はこのくだりでギョッとしてしまった。
何故ならこの時60代だったと書かれているからである。
この本は暴露本ではないので、この件に関してこれ以上の記述は無い。
それほどまでに愛した人と、どうして信州の山奥で暮らさなかったのか。
謎は深まるばかりである。
(ちなみに最後に「傷つく人の事も考えよう」なんてさらっと書いてあったりする。)

しかし、ここで考えることは、経験に無駄はなくむしろ眉をひそめられるような経験に、人生のしわは刻まれるのかもしれない。

私は改めて自分の間違いに気がついた。
人生に効率的なんてことを求めていた、浅はかな罰。
早い遅いはもう考えたくない。考えることに意味はない。
どうか、それを踏まえて悩み楽しみ、kekeには生きていってほしい。
そうすれば、人生は楽しくなるだろう。すごく時間が掛かるだろうけど。

私は転ぶ。
あちこちで転びまくる。
転びまくりの人生さ。

でも、そこから学んだ事は体が覚えるから、手離す事はないだろう。
それもありがたいこった!

sakeの歩窓から(夜のお台場)

2012-12-24 | 車の練習

お台場はレインボーブリッジ。
真ん中に見えるのが旧東京タワーです。

この日は風が強くて大変でした。^^;
何枚も何枚も撮ったのですが、ブレました。
撮ってはブレてしまい、手すりに乗せたり、しゃがんでひざに乗せて撮り、ビューで確認するときれいに見えたのですが、家に帰るとブレてました。
(それもあり、サイズを小さくしています。)

ちょっとショックだった。。。(-_-;)


アクアシティの向こうに見えるのがフジテレビです。
青い所の上が展望台になってます。


これは前から見たガンダムです。
足もとが写真ではピンクですが、ブルーにも変わるようです。

三脚持って撮られている方(男性)も大勢いらしてました。


実物大と聞きましたが、本当に大きかったです。

暗くなってきたし、駐車代が気になるしで、いたたまれなくなって帰ってきてしまいました。
昔(子供の頃)から、暗くなるとそわそわして帰りたくなるんですゎ。

他にも観覧車とか、いろいろあったはずなんですけどね。。。
1人で夜はどうも苦手です。
(カラオケは行けるのに。。)

あ、これ先週ですから。。。

「ひとり」/加島祥造さん

2012-12-24 | 読んだ本
この3連休は読書三昧にすることを思いついた。

理由は寒いから。
コタツか布団に入ってないと寒くていられない。
1人でエアコンを入れるのはもったいない。

何を言ってるのだ、今年はエアコンを入れて朝の家事をしようと誓ってたでは無いか。
そうなのだ、しかし実際この前掃除するためにつけてみたが、家の中をあちこち移動しているうちに、やはりもったいない気がして消してしまった。(ちなみにエアコンも古いもので省エネではないのだ。)

前置きはさておき、思い立つまま図書館に行き、本を借りた。
とは言っても、あまり冒険はしない。
前に読んだ事があったり、それは無いけど他の本は読んでますよ、と言う本ばかりである。

その中の1冊に「ひとり」/加島祥造さんの本がある。

前に「求めない」と言う本を紹介したが、その作者の加島さんの生活ぶりが伺える本である。

このおじいさんは東京生まれながら、40代での病気/手術をきっかけに「今の生活はあまりに人工的だ」と考え、横浜の自宅と信州を往復し始め、60代にしてついに信州の山奥で1人暮らしを始めるのである。

水道も使えるようだが、茶の水は隣の(と言っても林の向こうと書いてある)農家の井戸水を分けてもらっている。その水で気持を込めて入れる「ひとり茶」を毎日楽しんでいる。
あとは雄大な中央アルプスの山々を眺めたり、その日の思いを散文や詩でつづる毎日である。
しかし、それは決して「退屈」な生活ではないのだ。
その瞬間瞬間を味わいつくそうとしているので、景色も季節も一つ一つを感じ取ろうとしているから。。。。

  これからの時代は、後半の人生をひとりで送る人がますます増えるだろう。
  その人のためにひとり茶の楽しさを話したのだが、何でもいいのだ。
  いま自分のできる楽しさをみつけるのが大切なんだ。
  世間の見栄や体裁、ありもしない恐怖に囚われないで、自分1人で楽しむことだ。
  (原文のまま)


決してこのおじいさんは「人ぎらい」ではないのである。
本では、訪ね人がやってくればホイホイあがってくれとお茶を入れたりしている。
気立てがいいがゆえに、世間から距離をおいて自分自身の欲求に素直になりたいのである。(と私は解釈する。)

89歳のおじいさんの感性を、今の私が「分かります」と言うのは失礼にあたると思うので、あくまでも推測ではあるが、世間を切り離さないと自分自身が見えなくなると言うのは私にも通ずるものがある。

さすがに仕事も家も家族も捨てて、一人で暮らすわけにはいかないが、ある程度「ひとり」を意識して生活することは可能ではないか?
またそうでもしないと、(自分の場合は)人にも優しく接することもできないのではないか、とも考えた。

「求めない」とは自分の外に対して求めない。
自分自身にもあえて求めない。
そして何も無いところで感じる。

そうすると、自分の声が聞えてくる。
今、何がしたいのか。
何に対して面倒だなと感じるのか。

「今の生活が人工的」とは、「今、心からしたい何か」ではないことに振り回されすぎているのである。
もしもそれが見栄や体裁であるなら、それから解き放たれた方が楽になるよ、と言うのである。

中には見栄や体裁(分かりやすく言うと人からの賞賛を浴びる事)で自分を保っていける人もたくさん居るであろうから、その人の人生観によってここの解釈はいろいろであろう。
ただ、人からどう思われるかで自分を保っていくことは、自分の価値観を常に外部に委ねていることになってしまう。


そんな風に考えると今、自分の中にあるもの。
今、自分ができること。
今、目の前に居る人。
今、目の前にある仕事。

そう言うことを大切にすることで、自給自足できるような気がする。
自分と向き合えると言うのか。

森のごはん

2012-12-23 | 父の記録と母の思い出
父の所に行った。

父はお茶碗を持って自分でご飯を食べていた。
隣に座ると「森のごはん!」と言う。

そして一口食べては「森のごはん!」と言い、その顔には表情が一切無い。
「森のごはん!」
「森のごはん!」

何が森のご飯なのか分からない。
しかも半径5m円内には充分届くぐらいの音量で「森のごはん!」と言い続けている。

そして食べていることを忘れるので、「スプーンだよ」と持たせると、今度は分けの分からない「ウーダウト!」みたいなセリフを繰り返す。

「ウーダウト!」
「ウーダウト!」

この時父に認知症と言う肩書きがあってよかった、とほんとに思った。
そうでなければ、ただ頭のおかしな人である。いや、決してそれをバカにしている訳ではないが「認知症」と言う肩書きがあるがゆえ、「あぁ仕方がないのだな」と思える現在の自分がここにいるのである。

そして時々スプーンを思い出させながらもご飯が食べ終わり、「おつゆだよ」と飲ませると、「おつゆだよ!」と繰り返した。

「おつゆだよ!」
「おつゆだよ!」

ここで私はやっと言葉をオウム返しにしているのだと気がついた。
「おつゆおいしい?」と尋ねると、その言葉は「おつゆおいしい!」に変わった。

そうか!「森のごはん」はつまり「のりのごはん」
看護婦さんが「海苔のご飯ですよ」と手渡したご飯だったのだ。

そしていろいろ試してみると、必ず100%オウム返しになっている訳ではないのにも気がついた。
例えば「こんにちは」と言うと、「こんにちは」ではなく「こんにちは赤ちゃん!」とバリエーションが入ったりする。

しかし、辛い。

私の中では父は大好きで尊敬しており、男の中の男であることも間違いない。
ブログにその紹介したいエピソードはまだまだ残っているぐらいなのに、こうして「こんにちは赤ちゃん!」と連呼している父の隣に居るのが何とも辛いのである。

そう言えば思いだした。
それは最初に結婚した方の元夫。

私が聖子チャンの真似をして髪を短くしたのが不本意だったようで、しばらく「アウシュビッツ」と呼ばれていたが、その時に「アウシュビッツの拷問の一つに同じ歌を何度何度もそればかり聞かせると言うものがある」と教えてくれた。(それが本当かどうかは分からないよ。)

それに近い不快感である。
この状態は。
そして一つ同じ屋根の下でこの状態になられたら、自分までも頭がおかしくなるように思われた。

そして私は父以上に「やがては自分もこうなるのか」と言う愕然とした思い、その時のkekeよ、それから最終的にはポックリへの強い憧れ・・・毎回くどくて申し訳ないが、思っても考えてもしょうがないことをグルグル瞑想してしまう。
そこからは逃れたい、子供には迷惑掛けたくない、ましてや1人しかいないのだから・・自分に金が無いのが分かっている分、思いはより切実である。考えてもしょうがないのも分かっているのだが。

私はどうせ何かを繰り返すのであるならば「ありがとう」と父の耳元でつぶやいた。
父は「ありがとう!」と繰り返す。

「ありがとうごぜぇます!」
「ありがとうごぜぇます!」

何故かバリエーションが入ったので、「ありがとうございます」と言いなおすと「ありがとうございます!」に変わった。
英会話テープのようにそれは何度も何度も繰り返された。

あの父が今こうなのだから、あのヨダレをたらして寝ているバアさんも、そこらを浮遊しているバアさんも、皆しゃかりき元気な時代があったのだろう。
そう思うと誰もに尊敬できた。
(それだけで実際に世話できるかとなると別問題だが。)

しかし若い看護婦さんはそう思うかしら。
そう思えなかったら、さぞかしこの仕事は辛いだろう。

私は「ありがとうございます!」と繰り返す父に心の中で「また来るね」と別れを告げた。