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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

平塚市美術館と茅ヶ崎市美術館

2016年09月30日 23時07分01秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 午前中は久しぶりの秋晴れで爽やかな日和であった。湿気も少なく、ようやく秋らしい日となったと喜んだのだが、午後には雲が容赦なく広がりあっという間に全天を覆ってしまった。しかし雨も降らず、そして湿度も高くはならなかった。



 平塚市美術館は幾度か行っているので、駅から20分近く歩くのだが、慣れたため特に遠いとは感じない。平坦な市域で街の様子を見ながら歩くのは楽しい。平塚市域は道路の幅も広く、区画は方形に揃っている。大規模な空襲があり当時10000万戸の内8000戸が焼失したということなので、それで戦後の区画整理事業でも行われたのであろうか。
 美術館は25周年ということであるがとても新しい。広い敷地と開放的な建物である。中から庭を見ても明るい採光と広い庭が気持ちいい。1階のロビーからも2階の展示室前の廊下からも庭に出ることが出来る。
 ここで、「香月泰男と丸木位里・俊、そして川田喜久治」展と「創画会ゆかりの画家たち」展を見てきた。ともに感想は明日以降アップする予定。
 ここを15時半に出てから、平塚駅にもどり隣の茅ヶ崎駅から歩いて10分もかからないで茅ヶ崎市美術館に着いた。16時半ギリギリであった。茅ヶ崎市美術館は初めて訪れた。平塚市美術館よりは小規模である。日本庭園のようなところにあり、木が鬱蒼としていて静かなところであった。平塚市美術館が解放的で明るい庭と建物の一体的なつくりであるが、対照的である。このような雰囲気も悪くない。
 茅ヶ崎駅は多分初めて降りた駅だと思う。東海道線の北側にある旧東海道は幾度もウォーキングで歩いたが、東海道線の線路よりも南側は未体験ゾーンである。ここは道路も狭く、曲がりくねっている。東西の道路は直線に近いようだが、海岸までの道は狭い。美術館までは高砂通りという通りを歩いたが片側通行でしかもカーブの連続である。住宅街も入り組んでおり、都市基盤整備はなかなか困難な状況のようだ。
 美術館の全景写真を撮ろうと思っていたが、慌てて駆け込んだ時にすっかり忘れてしまった。

「北斎漫画展」(茅ヶ崎市美術館)

2016年09月30日 21時27分23秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日は午後一番で平塚市美術館で「香月泰男と丸木位里・俊、そして川田喜久治」展をみた。その後、隣の茅ヶ崎駅で降り茅ヶ崎市美術館で開催している「北斎漫画展-画は伝神の具也-」を見てから帰ってきた。
 茅ヶ崎市美術館ははじめて訪れた。駅を降りてから海に向かって狭く、そして古い道を10分も歩かないうちにたどり着いた。
 展覧会の概要については次のように記してあった。

★「画狂人」と自称した江戸の浮世絵師・葛飾北斎(1760-1849)の生涯はまさに創作の連続でした。狩野派や唐絵など伝統的な絵画様式を学ぶ一方、西洋絵画からも刺激を受けて自らの芸術の糧として吸収し、市販品である錦絵では役者絵、美人画を手がけ、花鳥画や「冨嶽三十六景」に代表される名所絵など新たなジャンルを開拓しました。また、一点物の肉筆画や、一部の好事家向けの摺物などにも優れた作品を残し、曲亭馬琴らの読み本の挿絵、数多くの門人のために描いた絵手本も充実しています。
森羅万象を描いたと言われる北斎の画業の中でも「北斎漫画」の存在は特に際立っています。「北斎漫画」は1814(文化11)年名古屋の版元永楽屋東四郎(東壁堂)から出版され、高い人気に支えられながら1878(明治11)年までの長きにわたり全15編が刊行されました。活き活きとした人物表現、ユーモアに満ちた内容、独自の視点に基づいた構図など「北斎漫画」の魅力は当時のヨーロッパにも伝わり、彼の地のジャポニスム・ブームの起因のひとつとなりました。
本展では、世界一の質と量を誇ると評価される「北斎漫画」コレクター・浦上満氏のコレクションを収蔵する公益財団法人山形美術館から作品をお借りし、現代の絵画にも通じる「北斎漫画」の魅力を紹介いたします。あわせてジャポニスムの影響を受けたヨーロッパのガラス工芸品(ポーラ美術館所蔵)も展示し、北斎の画業を多角的に検証する機会といたします。



 1814年の初編から1878年の第十五編まで、順に展示されている。
 北斎は1780年に生まれ、1849年に亡くなっているので、初編は34歳、第13編以降は遺稿集ということなのだろうか。
 図録は2000円で初編から順に並んでいるが、財布に厳しいので残念ながら断念せざるを得なかった。
同時に北斎画の影響を受けた作品と思われるガレのガラス器も飾られていて興味深く見ることが出来た。
 チラシの表の作品「魚籃観世音」(第十三編)などいくつか惹かれた作品があった。

   


ようやく秋晴れ

2016年09月30日 11時29分40秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日はようやく秋晴れ。晴れ渡り、湿度も低く、爽やかな天気になった。このような秋らしい晴れの日は、8月7日の立秋以降初めてのような気がしている。
 貴重な晴れの日なので、やはり出かけてみたい。目的地は平塚市美術館と茅ヶ崎市美術館。

 夜のウォーキングに出かけて20分ほどゆっくりのウォーキングをしようと思ったが、つい早目のウォーキングで55分ほど歩いた。7800歩だったので一時間あたり8500歩ほどのスピード。思った以上に汗をかいた。
 途中、住宅街の中をとおるバス停のすぐ傍で、消防車2台、パトカー1台、東ガスの緊急車両が1台、回転灯を回しながら止まっていた。放水した後もなく、物が燃えた匂いもしなかった上に、見物人もいないので大事ではなかったようだ。

 ただ夜に歩いている人間にはあの回転灯と前照灯をつけたままの4台の存在は眩し過ぎて、そばを通り抜けるのはとてもつらいかった。眩しくて前が見えないのだが、交通は遮断していないため通過車両で怖い思いをした。
 手でライトが目に入らないようにして、さらに下を見ながら歩いていたら、目の前50㎝のところを乗用車が消防車の間をすり抜けて通過していった。夜の車のライトや回転灯は眩し過ぎて怖い。歳をとるといっそうつらくなる。交通量が多いバス通りなのでせめて交通整理でもしてほしかった。多分昼間なら、実際に消火作業をしていない時はパトカーもあることだし、交通整理をしていたり、交通遮断などの措置をしていたと思う。
 消火作業を実際にしていなくとも、こなさなくてはいけない業務は多数あるし、ひとりは車を離れるわけにはいかないから、交通整理をする手は確保できないのかもしれないが、通り抜ける私は怖かった。

 しかしその中を「スマホ歩き」をする女性の「雄姿」には驚いた。


休養日はヘンデルのヴァイオリンソナタ第4番を聴きながら

2016年09月29日 22時13分04秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 昨日はデモ2回。ウォーキングのような歩き方ではなく、ゆっくりの歩きであったが1日を通しての歩数は2万2千歩余となっていた。ゆっくりといってもトータルで時速4.4キロだったのでそれなりに疲れた。
 本日は休養日、午後からはごく軽い散歩を兼ねて妻と金融機関と区役所とそして買い物へ。途中かねてから入りたいと思っていた静かな喫茶店で30分ほど寛ぐことが出来た。チェーン店では味わえないストレートコーヒーをドリップで淹れてもらった。値段も高くなく、妻の注文したシフォンケーキも上品な味わいであった。これからも利用してみたい。

 夕方からヘンデルのヴァイオリンソナタを再び聴いている。6曲ともお気に入りであるが、特に第4番に惹かれる。傑作としてよく取り上げられる。おっとりとした第1楽章、のびやかな第2楽章、メランコリックな第3楽章、軽やかな第4楽章、いづれも対比がよく一体感がある。特に第3楽章はバロックというよりはロマン派の曲への通じる何かを感じる。

 雨は降っていない。これから30分ほど軽く夜の散歩に出かけてみたい。

 明後日の1日(土)に墓参りの予定を立てたが、本日の天気予報では雨のマークがついてしまった。予報が変わることを願っている。

「鈴木其一展」後期展示に期待

2016年09月29日 18時50分34秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 鈴木其一展の感想にコロコロ様から素敵なコメントをいただいた。感謝にたえない、うれしいコメントである。
 このコメントに刺激を受けて再び其一展の図録をめくっている。やはり10月5日以降の後期展示も見に行きたいという思いが強くなった。
 戦記展示での感想では触れなかったが、群鶴図屏風や三十六歌仙・檜図屏風、松島図小襖にも惹かれている。いつか触れたいと思っている。
 後期展示ではやはり夏秋渓流図屏風と風神雷神図襖に注目したい。図録だけで感想を書くのはどうも気が引ける。
 また蔬菜群虫図、四季花鳥図屏風、藤花図の比較、雪中檜図、毘沙門天象、瀧上白衣観音像、初荷入船図などをじっくり見てみたいと思っている。

 若冲の作品、先日横浜美術展で見た中島清之の作品との関連などなどいろいろ頭の中で渦巻いている。
 さらに水墨画も面白い。若冲の水墨画よりはまとまりが良くて、こじんまりと整いすぎている感じがしないでもないが、注目している。


「亡くなる」と「死ぬ」(続き)

2016年09月29日 11時39分08秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 わたしは「亡くなる」は「死ぬ」の丁寧語だとばかり思っていた。先に引用した広辞苑初版や字訓ではそのような表記はない。だが、「お亡くなりになる」という表現がされるので、「亡くなる」そのものには尊敬の意味合いはないといえるかもしれない。
 私の手元にある「角川新国語辞典」(1994年107版)では、
★なく・な・る【無くなる】1.ない状態になる。尽きる。2.うせる。紛失する。3.【亡くなる】死ぬ。
と表記されている。最初に【無くなる】として2つの意味を書いてから、【亡くなる】として3つ目の意味を記載するという不思議な並べ方をしているのが、気に入らないが、少なくとも「丁寧語」という表現はない。

 とここで探索はおしまいにするつもりだったが、本棚の片隅に久松潜一・林大・坂倉篤義監修の「国語辞典」(講談社学術文庫、昭和54年)を見つけた。そこには、
★なくな・る【亡くなる】「死ぬ」の尊敬語
と表記されていた。

 やっとたどり着いたという気分にはなった。だが、むかし中学校の時、国語の先生から久松潜一については戦前のイデオローグとして否定的な評価を聞かされて、それが印象に残っている。それ以来近寄らずにいたので、ちょっと複雑な気分ではある。逆にこの辞書に記載されているからといって、それで納得したという気分にはなりたくないという、それこそ思い込みで人を見るということになる。

 今度はネットで調べると、いろいろ出てくるがビジネス用語として尊敬語としてビジネスマナーとして使用例が出ている。
 そしてやはり「亡くなる」は婉曲表現として使われるということがようやく理解できた。

 ということで私がセキセイインコの死を「亡くなる」と表記したのは、表現として適切ではなかったことになる。

 恥ずかしながら過去の記事は訂正した。

ようやく帰宅

2016年09月28日 23時50分20秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ようやく帰宅。13時からの集会とデモ、18時からの集会とデモ、終了したのが21時ちかく。解散地点の東京駅の地下街に降りて居酒屋に入ったのが21時を少し回っていた。生ビール1杯と日本酒1合とモズク酢とお通しでひとり1900円。もっと安い店を探すことは出来たが、疲れて目についた店に入ったので止むえない。20時過ぎにラストオーダーと云われて会計を済ませた。
 9月は立て続けに東京での行動が入り、さすがに疲れた。本日の報告をホームページ上にアップをまず明日にはしないといけない。10月もいろいろ取組みはあるが、とりあえずは勘弁してもらって、9月初めの熊野古道のバス旅行の報告集の作成に専念したい。来週中にはこれを完成する必要がありそうだ。
 明日は午前中は本日の報告をホームページにアップしたのちは休養日も兼ねて、午後はのんびりと過ごしたいものである。

 最近は退職者会の取組みに追い回されてこのブログの主たる記事が書けていない。来週あたりから少しずつ以前の無いように戻していきたいものである。

「月―夜を彩る清けき光」展を紹介してもらった

2016年09月28日 13時39分02秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 こんな企画展の情報を教えてもらった。チケットを譲ってくれるらしい。

「月―夜を彩る清けき光」(松涛美術館、10月8日~)
→【http://www.shoto-museum.jp/exhibitions/170tsuki/

 次のような紹介がある。
「日々満ち欠けを繰り返し、時を刻む「月」は、1年間の人々の生活に12か月の節目を与えます。また四季のうつろいに従い景物としてその姿が長らく鑑賞の対象にされてきました。日本の美術において、月は鑑賞や信仰の対象として造形化され、その姿は、やまと絵や水墨画、浮世絵版画などに描かれるとともに、工芸の意匠としても採用されています。
本展では、絵画をはじめ、蒔絵調度、陶磁器、刀装具や甲冑などを「月」をテーマに多面的に展示し、日本人に脈々と流れる「月」への嗜好をあらためて見つめていきます。」

 そういえば松涛美術館、ずいぶん昔に行った記憶がある。いつだったか、何を見に行ったか、まったく覚えていない。場所も地図を見ないと思い出さないと思う。





地下と地上の景観

2016年09月28日 09時04分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日は東京の集会の後、打ち上げもせずに帰宅した。さすがに19、22、24、26日と飛び石での打ち上げは体にも財布にもきびしい。いくら控え目な呑み方と安い店を探す老練な会員が多いとはいえ、限界がある。
 そして夕食後風呂にも入らず、寝てしまった。妻には呑み過ぎと怒られたが、さすがに疲れが溜まっていたと思われる。

 退職者会であるから、さまざまな行動参加はどちらかというと引きこもり対策でもある。家を出て往復することが健康対策でもある。またあいさつや講師の話を理解する努力、会話や資料読み込みといった刺激を継続する場を提供することも退職者会の役割でもある。参加者同士の会話、主催者の挨拶や講師の話への賛同・批判・意見の表明など刺激は豊富である。しかし機会が多すぎればそれは不健康のもとである。
 集まれば、年金や保険や税金相談や、健康自慢・病気自慢を楽しみにしている会員もいる。仕事で得た知識を披露してくれる。地元での老人会の集まりを、横浜市内や都内に広げたようなものかもしれない。同じ職場を体験した仲間だから、しゃべりやすいことが多い。
 手軽なウォーキングや散歩、街歩き、ビル巡り、橋巡りなどの趣味はかなり多い。その人たちにとっては、目新しい集会場の往復やデモの沿道の風景は新しい刺激になるようだ。次は一人で見に行きたいという話もよく耳にする。
 たいがいの方は地下通路や地下鉄の連絡・乗り換えが苦手である。地上を歩かないと自分がどこにいるかわからなくなる、という。私などは逆に地下鉄や地下通路の方が案内標識が過剰ともいえるほど多いので、迷うことはない。しかし私の場合、地下の標識・掲示の記憶はあっても、地上の景色の記憶があまりないというのも問題ではある。
 都内では、旧東海道や上野界隈、新宿・渋谷のごく狭い範囲を除いて景観に詳しくない私は、これら以外の場所の景観の話を聞くことはとても楽しい。
 本日もこれから都内へ出かける。


明日も都内へ

2016年09月27日 23時13分32秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は夏に戻ったのかというような蒸し暑い1日となった。東京都内での集会参加のため横浜駅の自由通路を集合場所としたが、受付のため30分ほど立っていたら、それだけで両腕、手の甲、頭から汗が噴き出てきた。大きめのハンドタオルを持って行ったがすぐにビショビショになってしまった。
 この中央の自由通路は、いつもは通り過ぎるだけなのだが、この蒸し暑さに加えて大勢の人通りで息苦しくなるほどであった。とても待ち合わせに適さい場所であった。今後は自分だけであっても自由通路ではなく、南北の通路を利用した方が健康のためにはよいようだ。

 都内、横浜市内ともに30℃にわずかばかり届かなかったとは云え、この蒸し暑さでは熱中症に要注意であった。
 明日はさらに気温が高くなり、32℃という予報になっている。明日も都内の集会とデモに参加する予定となっている。しかも急に別の場所での夜の集会・デモにも参加要請があった。この蒸し暑さの中、2つの集会・デモをこなすというのはチョイと過酷である。夜のデモの後の居酒屋が満員となりそうな予感がする。


「亡くなる」と「死ぬ」

2016年09月27日 20時21分21秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日と本日午前中の記事で、セキセイインコの死亡について「亡くなった」と表現した。今ごろになって気がついたが、「亡くなる」は基本的に人間の死に対する言葉である、と学生時代に教わったような気がする。
 仕事の時も、人については「亡くなる」を使用し、動物の時は「死ぬ」を使ってきた。
 いくらペットとして日常接してきた愛着のある動物でも「亡くなる」はまずかったかな、と気がついて先ほど広辞苑の初版と白川静の字訓を引いてみた。
 しかしいづれも特に区別はなかった。
広辞苑初版
★なし【無し・亡し】1.人・事・物が存在しない。2.不在である。るすである。3.死亡する。4.しっかりした心がない。正体がない。5.またとない。類がない。
★なくなる【亡くなる】1.ほろびる。2.死ぬ。
★しぬ【死ぬ】1.生命を失う。息が絶える。2.その事物の声明とするものがない。生気がない。3.そのもののもつ力が活用されていない。利用されていない。4.囲碁で、的に意思を囲まれて取られる。
字訓
★なし[無・亡]の項に、「亡は死者の残骨の象。屈指葬のように肢体を屈している形で、死亡の意。すでに生を失っているものであるから、「亡し」の意となる。」とある。
★しぬ[死]息絶えて死ぬ。命が絶えてしまう。
 他の辞書や漢和辞典を見ても「亡」が人の死で、「死」が死一般という解説はなかった。ということは、本来は「亡くなる」「死ぬ」に厳密な用法上の区別はなかったのではないか。私の昔受けた教育は間違いだったのか。未だに判然としない。
 ということで、私としては多少違和感が後から湧いてきたが、訂正する必要性は感じられなかったので、そのまま訂正しないでおくことにした。

セキセイインコの埋葬

2016年09月27日 09時50分14秒 | 日記風&ささやかな思索・批評


 本日死んだセキセイインコ、ナナコ(オス・5才半、ナナちゃんとも呼んでいた)を埋葬した。いつもベランダの空調の室外機の上に籠に入れてお置いていたので、その位置のベランダの下の土を掘って埋めた。
 セキセイインコは仲間意識が強い鳥なので、ペアで飼っていたもう一羽のメス(4歳半)も、キョロキョロと探すようなそぶりを示す。
 しばらくは私どももさびしい気分が続きそう。


通夜の気分

2016年09月26日 23時04分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 セキセイインコのオスがあまりに突然死を迎えたので、愕然としている。
 通夜の気分である。昨日から聴いていたヘンデル「ヴァイオリンソナタ#1~#6」をレクイエムがわりにして追悼させてもらうことにした。
 今晩いくつか記事を書くつもりにしていたが、後日に延期する。


セキセイインコの突然の死

2016年09月26日 21時55分44秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 先ほど我が家のセキセイインコのオスの「ナナコ」が突然に息を引き取った。朝から元気がなく、簀の子に降りて静かにしていた。夕方になって嘴のつけ根から血が出ていたのに気がついた。さらに血の出ているほうの頭が少し膨れ上がっていたのについ先ほど気がついた。心配になって妻が捕まえて、傷薬をつけようとしているうちに全身が脱力して死んでしまった。21時ちょうど位。死因はわからないが、あっけない死に妻と愕然ととしている。
 籠の下の冷たい金属の簀の子の上で死を迎えるよりも、暖かい妻の手の中で死を迎えたのがせめてものなぐさめだろうか。
 セキセイインコの寿命は6年から10年と云われている。「ナナコ」の出生証明からすると5才6ヶ月。平均寿命よりも短かった。
 明日、ベランダの下に埋めてあげることにした。合掌

 十分に私ども夫婦を楽しませくれた。こころから感謝している。

ヘンデル「ヴァイオリンソナタ#1~#6」(スーク版)

2016年09月26日 19時29分50秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 一作に続いてヘンデル「ヴァイオリンソナタ#1~#6」をヨゼフ・スークのヴァイオリン、ルージチコヴァーのハープシコードの組み合わせで聴いている。録音は1975年。わたしが就職した年なので、レコードの時代であるが、年末の一時金あたりで購入した可能性がある。2002年にCD版を購入し直している。
 音の厚み、豪快さという点ではグリュミオーの演奏に軍配は上がる。だが、線が細いといわれる反面、音の透明感、美しさはわたしはとても好きである。テンポもゆっくりでじっくりと聴かせてくれる。私はこのスークの演奏ばかりを聴いてきたとおもう。割合にしたら8対2位だろうか。伴奏のハープシコードの音の質、ヴァイオリンの音量とのバランスも気に入っている。ヘンデルの時代、どちらの演奏が主流だったのだろうか。